「〈デイドリーム〉っていうクスリの噂を聞いたことは?」
退屈を紛らわすためだけの俺の問いかけに、助手席のリザは窓の外を向いたまま答える。
「いや、聞いたことない」
「昔仕事で関わった売人に教えてもらった話だが、イレッダ地区でもほとんど流通していない、かなりの高級品だそうだ。その効能が何より便利で、服用した人間の前後数時間の記憶がブッ飛ぶばかりか、効いている間は誰の命令でも忠実に従うようになる」
「へえ、本人に記憶が残らないなら、いくらでも悪用できそうじゃん。攫ってきた女とセットで金持ちに売りつけるとか」
ボロ車を運転して目的地まで移動するという退屈な作業に、俺もそろそろ飽きてきていた。眠たい目を擦りながら、面白くもないジョークを紡いでいく。
「一番人気だったのは、組織の構成員に汚れ仕事をさせる前に服ませるやり方だ。実行犯には記憶が無いから情報が漏れることは無いし、どんな無茶な命令でも喜んで実行してくれる」
相棒は欠伸を隠そうともしないが、構わず続けることにした。
「ある弱小組織のボスはよく、その辺のチンピラどもをとっ捕まえてクスリを服ませ、敵対組織を襲撃させていた。だけど、どんな便利なアイテムにも欠点はある。どこかの倉庫で薬漬けにしたガキどもに武器を渡していたとき、外から拡声器の声がした。『目の前にいる連中をぶっ殺せ!』ってな」
「ああ、敵対組織の命令でも聞いちゃうってことね」
「その通り。おかげで、敵対組織は一人の犠牲も出さずに連中を皆殺しにできたってわけだ」
「それで、この話の教訓は?」
「『力に溺れる者は、いつかそれが原因で自らの身を滅ぼしてしまう』かな」
「相変わらずくだらない」
リザは間を持たせるだけの陳腐なジョークを鼻で嗤う。俺たち二人に対する皮肉も込めてみたつもりだが、どうやら相棒のお気に召す内容ではなかったらしい。退屈な話が終わったところでやっと、目的地に到着したようだ。酒場近くの駐車場に車を停める。
「行くぞリザ。今夜は奢ってやる」
「私はいい。ここで寝てるから」
「もうガキじゃないんだから、少しは社交性を持てよ」
「は? うるさい……」
会話の途中でもうウトウトし始めたバカを引き摺ってまで連れて行く義理もない。相棒を残して車から出ると、微かな潮の香りが冷たい海風に運ばれてやってきた。
穏やかな夜の海に、雑多な光の群れが揺らめいている。西海岸にあるここからでも、イレッダのシンボルである、建設途中の超高層ビルの威容が遠くに見えた。遥か高みを目指し、半ばで放棄された欲望の巨塔。この街の有様を表現するのに、あれ以上のものは無いだろう。
駐車場から少し離れた目的地まで歩く。通りを抜け、狭い路地に入ってからは陰鬱さも増していた。娼館の客引きや薬の売人の媚びるような声を無視して奥へと進んでいく。血塗れで倒れている中年の男も見掛けたが、この人工島では野良猫よりも頻繁に見る光景だ。
大口を開ける地下への階段を降りた先に、〈アルーゼ〉の桃色の看板が見えた。鉄の扉を開けて店内に入ると、銃撃戦でもやらかしているかのようなバカ騒ぎが広がっていた。カウンター席に座る中年の大男が、小さく手を挙げている。苦笑と共にそちらへ向かう。
「相変わらず下品な店だ」
座りながらそう言うと、グラノフが俺を一瞥した。
「こういう店は嫌いか?」髪と同じ砂色の顎髭を擦りながら続ける。「俺は好きだけどな。こういう、ろくでなしどもが好き勝手に騒いでる感じ」
「この空気を居心地いいと思えるなら、それはもう頭の病気だ」
適当に酒を注文しながら店内を見渡す。それぞれ凶悪な顔面をした犯罪者どもが、怒鳴りつけるように騒いでいた。麻薬の売買が平然と行われ、殺すだの殺しただのの台詞があちこちから聞こえてくる。隅の方では大男たちが殴り合い、周囲の連中はどちらが勝つか賭けていた。
馬乗りになった方の男が取り出したナイフを見て、客どもは腹を抱えて笑い始めた。奴らにとっては、他人の死すらも娯楽でしかないらしい。温和な顔をした老店主も、苦笑いを浮かべているだけで止めようともしない。後片付けが面倒だな、としか思っていない表情だった。
「銀使いは人の心を棄てた化物だと言われるが」グラノフは酒杯を傾けながら笑う。「この街の連中も充分なほど人間を辞めてる。ラルフ、お前よりはよっぽどな」
長い付き合いだ。グラノフは、俺が銀使いとして異質であることを、人間のままの精神で化け物を演じていることを知っている。
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