火照った体に夜風を浴びながら駐車場へと向かう。かなり酔ってはいるが、車を自分の家まで走らせることが出来るくらいには頭も動いているはずだ。記憶が確かなら飲酒運転は懲役刑になるほどの重罪だった気もするが、この街では素面で運転している人間の方が珍しい。
 駐車場に着くと、違和感があった。愛車を停めていた筈の場所には、何故かフロントガラスに穴が開いた廃車があった。助手席側のドアはよほど乱暴に開けられたのか、もう二度と閉じることのないような開きっぷりをしている。可動域を遥かに超えて開かれた扉は、車の側面から情けなくぶら下がっていた。
 酔って場所を間違えたのか、違う車を見ているのか、そもそも車で来たこと自体勘違いだったのかなどといろいろ考えたが、どこをどう見ても俺の車だ。
「ははーん、これはさてはドッキリだな。どっかにテレビカメラでもいるってことか?」
「バカ言ってねーで伏せろ貧弱野郎!」
 襟首を掴まれて地面に叩きつけられる。頭上を通過していく銃弾を見て、リザに助けられたことに気付いた。混乱する頭を必死に整理しようとするが、情報が足りなさすぎる。命を狙われる心当たりがありすぎて、敵の全貌が全く掴めない。
「おいこらアホ女、これは一体どういう状況だ?」
「マヌケ面のラルフが酒飲んでる間に、知らない連中がフロントガラスをノックしてきたの」
「それで?」
 止まない銃撃をしゃがんでやり過ごしながら、リザの言葉を待つ。
「いきなり起こされたからイラついて、ナイフぶん投げてやったらガラス貫通しちゃってさ。なんか肩に刺さったのかブチ切れてきちゃって」
「そして、応戦してたらこうなったってことか?」
「そうそう。てか今思ったけど、私もしかして悪いことしちゃった感じ?」
「いきなり殺されかけてブチ切れない聖人がいたら、お祈りしてやりたいくらいだ」皮肉を返しながら、俺は重大な事実に気付いた。「ってことは、俺の車をぶっ壊したのはてめえじゃねえか! もう死ね!」
「あーもーうるっさい。だから悪いっつってんじゃん」
 反省の様子が見られないバカはあとで必ず殺すとして、まずはこの状況をどう切り抜けるかだ。まず確認すべきなのは、敵意の有無。話を聞く限り、今のこの銃撃はむしろ正当防衛に近い。話し合いが出来る状態かどうかは定かではないが、試してみる価値はある。
「あーあー、言葉は通じます? えー、なんかうちのバカがそちらの誰かの肩をイッちまったみたいで? まーそのあれだ、やっぱ痛い? 一旦銃置いて話し合おうよ」
 完璧な交渉術だったはずだが、お気に召さなかったらしい。返答の代わりに返ってきたのは鉛玉の嵐だった。俺が溜息と共に肩を竦めると、それを合図にリザが飛び出していった。
 向かってくる銃弾を意に介さず、リザは矢のように車の屋根の上を疾走していく。俺はリザに注意が向いている内に他の車を盾にして回り込み、銃声の聴こえる方向を目指す。あと少しまで近づいたところで、初めて男たちの姿を見る。左胸あたりに施されている金色の薔薇の刺繍を確認して、酔いは完全に醒めた。
「リザ、絶対に殺すな! こいつらは……」
 俺の威嚇射撃で出来た一瞬の隙をついて、リザは車に隠れている男たちの背後に着地。彼らが振り向くよりも速く、流れるような動きで五人の男たちの顎に触れていった。
「てめえ、なにしたたたああるるるっ?」
 立ち上がって銃口を向けようとした男が奇声を上げて膝から崩れ落ちる。俺が駆け付けた時にはすでに五人とも意識を失っていた。泡を吹いて白目を剥いている者までいる。
「相変わらず手際が良いな」
 リザは自分の周囲に発生する音を支配する能力があるが、音を支配できるという事はつまり空気や物質を意のままに振動させられるという事に等しい。外からの干渉を受けにくい銀使いでもなければ、顎に触れるだけで脳をシェイクし、気絶させることすら容易いのだ。
 夢に墜ちた男の左胸にある、金色の薔薇の刺繍を指さしながらリザが言う。
「こいつらがフィルミナード・ファミリーの下っ端どもだとして、私らに近付いたのは何で? 確か今まで仕事受けたことなかったじゃん?」
「だからこそ新規の顧客を開拓できたかもしれねえのに、お前のせいで台無しだ。まあ、知らない内にやらかした何かが原因で、狙われてただけかもしれねえけどな」
「残念ながら前者だ」
 背後に気配。振り向くと、声の主と思われる痩身の男と、闇に浮かぶ十数もの銃口があった。リザが物体を振動させている間は聴覚の増幅が使えないことを知っていたかはわからないが、気付かれずにここまで接近できるとは、大した統率力だ。
 しかもこいつが羽織っているスーツは、他の連中のそれと比べてもかなりの上物。時計や革靴も、高級品とは無縁の俺ですら知っている一流ブランドのものだ。いくら五大組織のひとつに数えられるフィルミナードであっても、こんな恰好をしていられるのは幹部クラスの人間だけだろう。緊張が背筋を伝う。
「私はオルテガという者だ。ラルフ・グランウィードとリザ・バレルバルトは貴様らだな? それとも化け物らしく、〈ハルーファス〉に〈アムドゥスキアス〉と呼んだ方がいいか?」

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