リザの溜息を背中で聞きながら、返答も待たずに奥の扉を開けた。
「男の子の部屋を開けるときには、必ずノックをしろと教わらなかった?」
気の抜けた声が薄暗い部屋の中から返ってきた。この部屋の主であるカイ・ラウドフィリップは、椅子を回転させてこちらを向いた。ジーンズに赤いシャツ、青く染めた髪に派手な伊達眼鏡という格好は部屋に籠って仕事をするには派手すぎるし、回転椅子に膝を抱えて座りながら飴を咥えている姿は、とてもではないが悪名高き情報屋〈ダイバー〉には見えない。
「あれ? 珍しいねリザちゃんがここまで来るなんて。遂に俺の誘いに乗る気になった?」
「うっさい」
「え、まじ? もしかして照れてんの? うっわ可愛い」
「あーもうマジでぶっ殺すっ!」
リザはどこからかナイフを取り出し、カイに襲いかかろうとする。予測していた俺が必死に後ろからリザを羽交い絞めにするのを、カイはけたけたと笑いながら見ていた。銀使いに殺意を向けられてもプレイの一環と思っているだけのこの男は、間違いなく異常者だ。
「いやあ、やっぱ君ら仲良いねえ。息が合ったコンビネーションだ」
「はあ? どこが」
「アホ言ってねえで早く標的の居場所を探せ。こっちは急いでんだよ」
一向に抵抗を止めないバカを全力で押さえながら言うと、カイは不敵な笑みで応えた。
「もう終わったんだな、それが。街中の監視カメラの映像はとっくに解析したし、島中の安宿の宿泊客リスト、その他諸々の電子記録は一通り洗ったよ」
「それで、ダニエルと女は見つかったのか?」
「当たり前じゃん?」
相変わらずの仕事の早さに、思わず感心する。確かにカイは軽薄で女好きな典型的ダメ人間だ。だが、ありとあらゆるセキュリティを掻い潜りながら電子の海を遊泳し、求められた情報を即座に見つけ出すその能力には、悔しいが敬意を払うしかない。仕事のやり方は企業秘密だと言っていたが、もしかするとこいつも銀使いなのかもしれない。真相は定かではないが、少なくともそんな推測をさせるくらいには、情報屋として信頼に足る男である。
「で、これが今回の情報提供料ね」
カイが突き出してきた紙を見る。これが夢や幻覚でないとするならば、一〇〇万エルが俺に請求されていることになる。大組織から逃げ出してきたとはいえ下っ端に過ぎないダニエルの居場所を探すだけの仕事にすれば、随分と法外な金額だ。
「おいおいおいおい、なんだこの額は? たかが居場所を調べたくらいで高すぎるだろ」
俺が反論すると、カイは大袈裟に肩を竦めて見せた。
「ラルフ。この世界で最も大切なものは何だか知ってる?」
「話を逸らしてんじゃねえよ」
「真面目な話さ」
「……それは愛か金かって話か?」
呆れながら答える。隣のリザに至っては露骨な舌打ちで興味のなさを表明していた。
「愛なんてのは多少の見た目の良さと、大量の金があればいくらでも買える」
「じゃあ金か?」
「金も結局は不安定だよ。昨日までの大金が、次の日には紙切れに変わってたなんて話はザラにある。でももしそういった情報を真っ先に掴めたら、それを利用して更なる金儲けができるだろ? そしたらその金で女も買える。要するに、情報こそが最も大切だってことだ」
「その意味不明な理論と、このイカレた代金とに何の関係がある?」
「つまり、情報は本来なら端金で買えるような代物じゃないってことだよ。それを一〇〇万で手に入れられるってのに、文句が出る方がおかしくない?」
呆れて言葉も出ない。めんどくさくなってきた俺は、カイに中指を立てながら携帯から代金を振り込んでやった。居場所は既に掴めているとはいえ、これ以上時間を食うのは得策ではないからだ。さっさと退散しようとする俺たちを、カイが呼び止めた。
「あー、それからラルフ。あんたがこの前買った玩具も届いてるよ」
すっかり忘れていた。立ち上がって歩き始めた華奢な男の後を慌てて追う。この二階建てのアパートは実は全て内部で繋がっており、出入り口もさっき俺たちが入ってきた扉以外にない。他の場所から無理に侵入すると自律機械による狙撃を受けるという徹底ぶりだ。
足元に散らばる書類の山々を避けながら、下階へと降りていく。三人揃って突きあたりまで歩くと、一際重厚な金属扉が見えてきた。右端に取り付けられている電子錠に、カイは番号を入力していく。扉が開くと広がっていたのは、子を持つ親が見たら卒倒しそうな、つまりは凶悪な光景だった。
俺は思わず口笛を吹く。部屋を埋め尽くしていたのは、あらゆる種類の銃器、刃物、爆薬に弾薬、それと個別に注文していた二つの特殊兵器だった。
「エリックを始末した報酬で多めに仕入れたが、これでもまだ不安だな」
「相変わらず身の丈に合ってない能力。金持ちが使えば強いんだろーけど」
リザの皮肉にも、返す言葉がない。俺の能力は一見すると自由自在に武器を取り出せる便利なものに見えるかもしれないが、実は全て自腹で買ったものに過ぎない。俺の銀の弾丸に棲む悪魔の美学に反するのかなんなのかは知らないが、他人から奪ったり、格安で譲り受けたものについては対象外となる。職業柄入ってくる金は確かに大きいが、それ以上の速度で出ていくのであれば、この苦しい生活にも納得するしかない。
「じゃあ確認だ。俺はこの部屋にある玩具を、全て自分の金で買った。いいな?」
俺の問いに、カイの眼鏡の奥の眼が妖しく光る。
「ああ、間違いない。代金は既に受け取ってるよ」
「よし、契約成立だ」
左手を冷たい床に押し付けると、そこから赤く光る文字列が溢れ出てきた。学者どもの間では〈忌み字〉とも呼ばれているらしいが、俺には到底解読することは出来ない。一文字一文字が絵のようにも見える忌み字の羅列は、蜘蛛の巣のような模様を描きながら部屋を覆い尽くしていく。それらは部屋を埋め尽くす兵器や弾薬を絡め取っていった。魅惑的な輝きを放つ文字の群れは周囲に黒い霧を発生させ、その中に武器たちを引き摺りこんでいく。
やがて文字列が全て俺の掌に返ってくると、部屋は嘘のようにもぬけの殻と化していた。
「これだから怖いねえ、銀使いとやらはさ」
カイが少しも怖くなさそうに言うので、俺は苦笑を返してやるしかなかった。
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