「で、ターゲットはここにいるってことね」
 すぐ前方に見えてきた安ホテル、というか廃墟に近いそれを指差しながら、助手席のリザが呟いた。組織の下っ端を捕まえて引き渡すだけという仕事では味気ないのか、どこか退屈そうな表情を浮かべている。さっきオルテガに送信した報告書を見返しながら、情報を整理する。
「情報によれば、お二人は偽名を使ってこのホテルに潜り込んでやがるみたいだ。ただ、ろくに変装もしてなかったから、ロビーの監視カメラにばっちりと捉えられてる」
「なに、ダニエルって奴頭悪いんだ」
「組織内での評判も調べて貰ったが、お世辞にも有能とは言えないみたいだな。今回の脱走も、成功したのは奇跡としか言いようがない」
 組織から金や情報を盗み、恋人と共にどこか遠くの街へ。ありもしない終着点を探して、ありもしない希望へと走ろうとする連中を、俺は何人も見てきた。そしてそいつらのほとんどが迎える、救いようの無い結末も。この世に奇跡などは無いという、そんなシンプルな真理に気付けなかった者たちから、この街は簡単に振るい落としていくのだ。偶然が重なりフィルミナードから女を連れ出すのに成功したとしても、夢物語はここで終わりだ。
「ただ、そんなに簡単な仕事じゃねえぞ。最悪のケースも考えとかねえと」
「最悪のケース? 私らが扉を開けたら、ヤッてる最中だった、みたいな?」
「まあそれもあるが」リザのジョークは軽くあしらう。「潜伏してる間に口論になり、女が殺される場合。それから、最初から心中が目的だった場合だ」
 依頼内容がただの暗殺ならそれでもいい。だが今回の依頼主は二人を生きて連れてこいと仰せだ。扉を開けたら首を吊った二人分の死体があった、なんて展開だけは勘弁したい。
 オルテガへの報告を済ませた後、路肩に車を寄せ、標的たちがいるホテルの中へと歩く。自動ドアすらないらしく、ろくに掃除もされていないガラス扉を押して中に入るしかなかった。電灯が壊れたまま放置しているのかエントランスは薄暗く、床には埃が溜まっている。
「いらっしゃいませ。お泊りですか? それとも休憩?」
 年増の女店員が、ニヤニヤしながら訊いてきた。誤解されているようで不愉快だが、大人しく後者だと答えておく。こんなところで時間を取っているのは無駄だ。カウンターに代金を置くと、店員がルームキーを手渡してきた。女が指を差した方にあるエレベーターへと歩く。
「なんか勘違いされてるみたいでムカつくんだけど」
「奇遇だな。俺も不快な気持ちになった」
「あー、吐き気が止まんない。てかエロい目で見んな。鼻息荒いから、もっと離れろよ」
「ちょっと待て」そこまで言われると、男としては弁解するしかない。「言っとくけどなリザ、俺は笑いながら人を殺したりしない程度には良識がある、物静かで家庭的な女がタイプだ」
「世界で一番くだらない情報」
「……とにかく、自意識過剰も大概にしとけってことだよ」
 狭い箱の中での舌打ちと悪態の応酬という、この世界で最も非生産的な行為を一通りやった後、ダニエルたちの部屋があるという五階でエレベーターを降りた。堂々と歩いて五〇三号室に近付こうとするリザを慌てて制する。追っ手を警戒して敏感になっている逃亡者を前にして、無策で近付くなどあり得ない。
「リザ、音を消せ」
「は? あれ疲れるから嫌なんだけど」
 不満を言いながらも、リザは渋々能力を発動した。そのまま歩き始めたリザと俺から、足音も、衣擦れの音も、呼吸音も、ドアノブを回し施錠を確認する音も、ショットガンを召喚しスライドレバーを引く音も、俺たちを元に発生する一切の音が消失していた。
 リザが扉に耳を当て、内部の様子を探る。二人分の声が聞こえるという返答も、俺たち以外に聞こえることは無い。俺はショットガンの銃口をドアノブへと向ける。
 次の瞬間、音も無く木製の扉に大穴が開き、大量の木片が宙を舞った。引き金を引いた俺ですら撃った実感がないのだから、中にいる二人がこれに気付く筈がない。堂々とドアを破壊して、堂々と部屋の中へと押し入ってきた二人組を見て、ターゲットの両名は愕然としていた。
 ソファに座る浅黒い肌の男の眉間に銃口を向けてもなお、二人は状況を掴めていないようだった。ベッドに腰掛けている女の方は、場違いな程に呆けた顔をしている。
「あー……、あーあーっ、聞こえますか? おいリザ」
「とっくに範囲をこの部屋に広げてる」
「了解。ところでお二人さん、あんたらはダニエル・ゴースリングにシエナ・フェリエールで間違いないな?」
「てめえら一体何なんだ! 組織の追っ手か? それにどうやって入ってきやがった!」
「さてね、そいつは秘密だ。まあでもとりあえず、黙ってて貰ってもいいか?」
 俺はショットガンを消し、代わりに出したバラックで男の右の太腿を撃ち抜く。片方だけを撃ったのは、完全に動けなくした場合後で運ぶのが面倒だからに過ぎない。
「ダニーっ!」
 恋人が撃たれてようやく事態を掴めたのか、女は悲鳴を上げる。白いシャツには男の血が飛び散り、現実に抵抗するように耳を塞いでいた。見ると、まだ二十にも達していないくらいには若く見える。そういえば情報では、十七歳になったばかりの少女娼婦という話だった。こんな少女が不条理な世界に巻き込まれているという現実に嫌気が差すが、感傷に耽る暇もない。
「俺たちが入ってくるのを見てたなら、大体解るだろ? この部屋でどれだけ大声を出そうと、外には何も聞こえていない。勿論、銃声もな」
「あなたたち、まさか銀使いっ!」
「ご名答。ただ、俺たちが話したいのはあんたじゃない」

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