リザがソファに座る男の髪を掴んで強引に立ち上がらせる。ダニエルの顔は苦痛に歪み、写真で見た陽気な印象は消し飛んでいた。
「おっ、お前ら俺を殺しに来たんだろ? 殺りたいなら早くっ」
「残念だけど条件は生け捕り。でも、あんまイライラさせたらマジ知らないから」
 言いながら、リザはダニエルの鳩尾に強烈な拳を叩き込む。激しく咽びながら体を折る逃亡者だが、リザの非情な左手が髪を掴んで倒れることを許さない。また一発。シエナの悲鳴を無視して、さらに数発叩き込む。ならば俺も、非情な追跡者を演じなければならない。
「吸っても?」
 煙草を咥えながら、ベッドに座り込むシエナの隣に腰掛ける。抵抗するシエナの肩に腕を回しながら、布切れのようになったダニエルの顔を見上げる。
「あんたにはいくつか訊きたいことがある」
「てめえっ! シエナに手ェ出してみろ! ぶっ殺してやるからなっ!」
「てめえは聞かれたことにだけ答えてりゃいいんだよ、タコ野郎」
 言いながら、リザは更なる一撃を加える。既に肋骨の数本は折れているかもしれない。殺さないと言われてはいても、リザの凍えきった眼と言葉は男の脆い自尊心を粉々にしてしまった。血と涙が混じった顔で喘ぐダニエルに、俺は言い放つ。
「どっちが主導権を握ってんのか考えろ。ああそれから、誰が誰を殺すって?」
 腕の中のシエナと、ダニエルの両方が、絶望に包まれていく瞬間が見て取れた。一度心を折ってしまえば、尋問は半分以上成功したに等しい。
「哀れなダニエル、改めて質問だ。あんたが持ち出したフィルミナードの重要機密とは何で、そしてそれは何処に隠してある?」
「隠し場所だけ聞けばいいんじゃないの?」
「いや、これでいい」
 これから先のオルテガとの交渉を有利にするためにも、手札は多いに越したことはない。しかし、ダニエルから帰ってきた言葉は、予想していたものとはかけ離れていた。
「……は? ……重要機密? そんなもんがあるのか?」
「……………………は?」
 慌ててリザを見る。これだけの秘密だ。嘘を吐くにしても、心拍が乱れているなりに動揺があってもいいものだが、ダニエルは本当に何の事だかわからない、という顔をしている。
 確かに、リザの能力すらも欺いて嘘をつける人間も数多くいる。だがそれらは軍隊などで特別な訓練を受けてきた連中に限られる。とてもダニエルがそんな種類の人間には見えないし、もしそうなら、ただの運転手に追いやられるなんてことはあり得ないはずだ。
「ラルフっ!」
 リザの声で現実に引き戻される。気が付けば俺はベッドに仰向けで倒れており、シエナ・フェリエールが俺の上に馬乗りになっていた。左手に握る護身用の小型拳銃の、震える銃身は俺の眉間に突き付けられている。迂闊だった。
「さっさとそいつを押さえつけろマヌケ野郎っ!」
「わかってるよ!」
 右手で少女のか細い左腕を掴み、手前に引き倒す。その反動を利用して起き上がり、そのまま頭を後ろから抑えようと手を伸ばす。しかし、ここでも状況は俺の予想を裏切った。
 シエナは俺の下で素早く身を反転させると、拳銃を右手に持ち替えて俺の喉元に突き出してきたのだ。全身が総毛立つ。ほとんど反射で、俺は銃のスライドを強く握っていた。オートマティック式であるため、これで発砲することは不可能になる。少女から銃を奪い、銃口をそのまま脳天に突きつける。形勢逆転だ。
 それにしても、こいつはただの娼婦ではない。いくら俺の身体能力が常人のそれと変わらないにしても、大した体術だ。危うく殺されかけた。
「くっ……!」
「あんた、娼婦になる前に格闘家でもやってたのか?」
 そこで初めてシエナの顔をまともに見て、思考が停止する。
 整った鼻梁に、絹のように白い肌。腰まである白金色の髪に、緑色の大きな瞳。身体的特徴を羅列すると、心臓を淡い痛みが刺してきた。似ているのだ。あまりにも似ている。シャルロッテに。俺が昔好きだった女に。決して戻ることのない、写真立ての中の追憶に。
「……っ! 放してよっ!」
 シエナに下から蹴飛ばされ、俺は情けなく後ろに倒れこむ。上体を起こした時には、既にシエナが繰り出した蹴りが、鼻先まで迫っていた。
 衝撃。鈍い痛みと、リザの呆れた顔、唖然とするダニエルの横顔、粗末なソファ、冷たい床、そして暗転。すべてがコマ送りのように俺の横を通り過ぎて行く。いや、俺が吹き飛ばされていたのだ。床と激しい抱擁を交わしている俺に、リザの不愉快な笑い声が突き刺さる。
「え、まじ? 何やってんの。ねえラルフ、生きてて恥ずかしくない?」
 最悪だ。油断していたとはいえ、こんな屈辱はない。痛みに抗って強引に起き上がると、俺を倒した張本人であるシエナ・フェリエールがベッドの上で仁王立ちしていた。彼女が着ている薄緑色のカーディガンや白いワンピースが、今では何か高貴な召し物にすら見える。
「何なんですかあなたたちは! いったい私が何をしたっていうの? 確かにダニーは組織を抜けたみたいだけど、私は関係なくない? 強引に連れ出されただけで、別に私は組織から抜けたかったわけじゃない! 乱暴にしなくても、自分で勝手に戻りますからっ!」
 早口で捲し立てるシエナに、誰よりも動揺しているのはダニエルに他ならない。俺たちにボコボコにされ、恋人に裏切られ、しかもこれからオルテガに殺されるのだ。仕事に最も不要なものは同情だということは何度も言い聞かせてきたが、今回は流石に可哀想すぎる。
「そんな、どうしてだシエナ! 二人で一緒にイレッダを出て、どこかで静かに暮らそう?」
「大体さあ、なんで私たち付き合ってるってことになってるんですか? 逆上して殺されるのが怖かったから話を合わせてたけど、恋人面はもうやめてもらえます?」
 先ほど感じたシャルロッテの面影もどこかに吹き飛んだ。外見こそ確かにかなり似ているものの、中身は全くの別人だ。親近感でも感じたのか、リザは口元を吊り上げて笑っていた。
「いい感じに性格悪い娘じゃん。なんか気が合いそう」
「頼むから地球の外でつるんでてくれ」

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