「やっば。まじ激ヤバっ! 願ってもない超展開じゃん!」
リザの歓喜が緊張する空間を貫いて俺の鼓膜に届く。もう大丈夫だ。身体も正常に動く。
轟音が発生した方向を見ると、さっきリザが金庫を探していた本棚が、何か巨大な獣に食い破られたかのように破砕していた。巻き上がる粉塵の中に、粘着いた殺意の正体。そいつは確かに、先程までレイナスの隣で泣き喚いていた金髪の青年である。
ただし、その風貌は先程までとはまるで違う。纏っている空気の違いもあるが、最も大きな相違点は通常よりも二回り以上は肥大した右腕だろう。皮膚は赤黒く変色しており、五本の爪は短剣のように鋭利だった。広げれば俺の肩幅ほどはある掌を悪戯に開閉しながら、青年は空虚に笑っていた。
「さっきの号泣は演技か。まんまと騙されたよ。こんな腐れ仕事からはもう足を洗って、俳優で世界でも目指したらどうだ? もちろん陰ながら応援してやるよ」
「ははっ、そんなお世辞はいらないよ」
好青年のような口調だが、本質にある狂気が全く隠しきれていなかった。なんせ、まともな人間はこんな人形めいた笑顔は作れない。こいつの視線は俺ではなく、俺という破壊対象を見ているのだ。こうして言葉を交わしてみても、会話をしている実感が全くない。
「よ、よしいいぞエリック。そのまま助けてくれ!」
「いいですよ。ほら、手を握って」
唯一生き残っていた男に、エリックと呼ばれた銀使いは人間のままの形状を保つ左手を差し出した。相変わらずの中身が伴わない笑顔を警戒して動けない。気付くと、既にリザが横に立っていた。桜色の唇が愉しそうに動く。
「ねえラルフ、私の勘ってヤバくない? まさか本当に銀使いを雇っててくれたなんて! ああヤバい、テンション上がってきた!」
異常さでいえば、うちのリザも負けてはいない。普段は低血圧で常に不機嫌なくせに、戦闘になると思春期の少女のように活発になる。だがまあ、味方のうちは心強いのは確かだ。
「気を付けろよ。見るからにあいつと接近戦はヤバい。距離を取って戦うぞ」
「私が射撃とか苦手なの知ってんじゃん。陰湿な戦い方なら、あんたがやってりゃいい」
俺の忠告を無視して、相棒は刀を構える。俺も、仲間の手をまだ握っているエリックにクリックガンの照準を合わせる。膨張する空気。交錯する視線。リザが喊声と共に飛び出した。
俺が引き金を引こうとした瞬間、視界に黒い影が広がった。それはエリックが放り投げた仲間の身体だった。毎分五〇〇発の弾丸は男を蜂の巣に変えていくが、肝心のエリックには届かない。死体が失速して地面に落ちた時にはもう、二人の決闘者は部屋の中央まで移動していた。
「さすが銀使い、仲間の命を何とも思ってないね!」
「彼らはただの依頼主だよ。もしかして引いた?」
「まさか!」俺の眼では追えない速度で刀を振り乱しながらリザが笑う。「私が戦う相手なら、そのくらいじゃねーと話になンねえよッ!」
エリックは壁や天井を蹴りながら、部屋を立体的に利用して太刀筋から逃げる。俺が援護射撃しようとすると、すかさずリザを射線上に誘導するという視野の広さも脅威だ。だがこちらが数的有利な状況に変わりは無い。銃撃で敵を牽制しつつ、俺も徐々に距離を詰めていく。
リザが突き出した白刃を、エリックは異形化した右腕で受ける。まるで鋼か何かで出来ているかのような硬度で、リザの刺突は軽々と弾かれた。
しかし、リザの剣技の神髄は流れるような連続攻撃にある。右に流れた刀を両手で握り直し、エリックの足元に踏み込みながら振り下ろす。それを後方へ跳んで回避した相手の喉元を狙って、掌で反転させた刃を斬り上げる。金髪の男の口許には笑み。戦槌のような右腕が漆黒の颶風となって刀身を横から捉え、金属質の悲鳴を残して刃を圧し折った。
得物を破壊されたリザは、柄と砕けた刀身だけになった刀を投げ捨て、太腿に巻かれたホルスターからナイフを抜く。刀を犠牲にすることで敵の体勢を崩し、まんまと懐に入り込むことに成功したのだ。
突き出されたナイフは、反応が追い付かないエリックの左胸に突き刺さる。リザは即座に男の身体を蹴飛ばして後退。緩慢に宙を舞う刀の破片が、今頃になって落下した。
俺の横に並んだリザには、何故か焦燥の色が見られた。
「なんなのアイツ。アホみたいな筋肉のせいで、ナイフが心臓まで届かなかったんだけど」
「……マジかよ」
怪物は空虚な笑みを浮かべたまま、リザが突き刺したナイフを引き抜いた。傷口からは僅かに出血している程度で、致命傷には至っていない。
その上、奴の右腕は更にドス黒く巨大になっている。事務机を握り潰せる程の大きさになった剛腕は、この狭い地下室では脅威だ。押し潰すような空気を纏っているせいなのか、奴の身体全体の体積も増しているように見える。
恐怖を押し殺し、俺はエリックに問いを投げる。
「一応聞くが、銀の弾丸は今どこにある?」
「僕はただの傭兵だよ。邪魔者を消せという以外、何も伝えられていない」
リザに確認するまでもなく、エリックに企てに参加する協調性があるとは到底思えない。
「なにも知らねえなら、こんなバカに用は無え。さっさとぶっ殺すぞ」
「笑える冗談だけど、無駄だよ。壊されるのは君たちだ」
エリックの赤黒く変色した右腕が膨張する。巨人のような手が掴んだのは、部屋の中央に置かれていた革張りのソファだった。
「避けろっ!」
俺たちは左右に分かれて地面を転がる。風を切る音が聞こえるほどの速度で投擲された家具は机や椅子を破壊し尽くし、壁に激突したところでようやく停止する。
奴の狙いが俺たちを分断することだと気付いた時には既に、向かってくる五本の爪が視界を覆っていた。生存本能が下した命令に従って、ライオットシールドを高速展開。合金が陥没する轟音と脳の髄まで揺らしてくる衝撃を受けて初めて、防御が無意味だったことに気付く。
朦朧とする意識の中で何とか機関銃を召喚するも、既にエリックの姿が視界から消えていた。リザの叫び声。俺はやけになって地面に頭から飛び込んだ。
一瞬遅れて、質量の塊が頭の後ろを薙いでいく。だがまだ状況は全く好転していない。急いで立ち上がったときには、怪物はもう腕を振り上げていた。
「どんだけ世話掛けさせるんだよこのバカっ!」
俺の後方にいたリザの援護射撃。銃の扱いが壊滅的に下手な相棒の攻撃は全く当たらないが、一瞬の足止めには成功している。内心で胸を撫で下ろしながら後退する。
こいつは強い。手榴弾の爆風すら防ぐ盾を陥没させるほどの馬鹿げた筋力だけでなく、相手を追い詰めるための冷静な思考も兼ね備えている。
見ると、奴の身体は二メートルを超える高さにまで達していた。右腕だけでなく胸部から両脚にかけての筋肉が肥大化しており、奴が着ている黒いスーツは膨張に耐えられず所々破れていた。人間の形状を保っているのは首から上と、それから左腕くらいなものだ。
「奴の能力もだいたい見えた。どうやら奴の身体は時間の経過と共に怪物に近づいていき、質量も増大する。最初俺たちがこの部屋に入った時に弱者の演技をしてたのは、そのための時間稼ぎだ。これ以上デカくなられると、この狭い室内じゃどうしようも無くなるぞ」
「なるほど、次が最後ってことね」
「そういうことだ。何か策は?」
「……アレを使う。ラルフは隙を作ってよ」
「了解。てか、刀の在庫はあと一本しか無えからな。大事に使えよ」
右手に出した刀を投げ渡しながら、俺は切り札となる兵器を左手に生成する。勝負は一瞬だ。タイミングを逃せば、そこですべてが終わる。