土埃と死臭、肉が焦げる臭気が混じり合う混沌とした部屋の中で、マクスウェルは大鎌を担いで立ち尽くしていた。黒いコートは大部分が破れ、所々から死人のように青白い肌を覗かせていた。右手首から先は消失しており、手榴弾の爆発により飛び散った鉄片が全身に万遍なく刺さっている。出血多量。常人であれば即死と診断されるような状態だった。
 舌打ちをしつつ周囲を見渡すと、爆撃で粉々にならずに済んでいた奴隷が四体ほど蠢いていた。そのどれもが五体満足とは言い難く、足を失くして地面を這っている個体もいた。
「さっさと追い掛けて来い、って言っても無駄だろうな」
 冷たい目で見下しながら、マクスウェルは死神の指先を振るう。死者たちの身体が冗談のように破裂し、血飛沫が男の身体に吸い込まれて負傷個所を修復していく。背後に何者かの気配。男がゆっくりと振り返ると、そこには赤いスーツを着た中年女が立っていた。
「てめえは確かヴェロニカ、いやレベッカ、それともナターシャだったか?」
「今はクリスティーナよ。もう辞めるけど」
 女の輪郭が水面に映っているかのように歪む。目と鼻と口、顔面を構成するあらゆる部分が渦を巻いて中央に集まっていき、絵の具を水に溶かしたように混ざり合っていく。女が顔を手で覆い、離したときそこには、絶世の美女とでもいうべき秀麗な顔が現れていた。続けて全身の骨格が音を立てて矯正されていき、脂肪も減少していく。映画女優かモデルでなければおかしいほどの美貌とスタイルを併せ持つ金髪碧眼の美女へと、先程の中年女は変貌していた。信じられないことに、スーツのサイズも体格の変化に合わせてタイトになっている。
「それとも単純に、ジェーン・ドゥとでも呼ぶ?」
 美女は悪戯めいた色色で囁いた。マクスウェルは鼻を鳴らして不快感を示す。
「先に消えたと思ったら、受付嬢に変身してたのかよ。奴らに奇襲をかけるわけでもなく、いったい何がしたかったんだてめえ?」
 相手を圧殺しそうなほどの殺意を向けられていても、ジェーン・ドゥは飄々とした態度のままだった。紅い口紅の塗られた魅惑的な唇からは、鼻歌でも漏れてきそうなほどである。
「別に何も。だってほら、世界はそもそも無意味なことで溢れてるわけじゃない? どうしても理由を答えろというのなら、気紛れか趣味だと言うしかない」
「はっ、俺が言えた事じゃねえが……、てめえはかなりイッちまってる」
 マクスウェルの嘲弄にも、女は微笑みを返すだけだった。
「とにかく、連中には逃げられた」
「別に問題はないんじゃない? 彼らが向かう先には〈狩人〉もいるわけだし」
「馬鹿かてめえ。俺は仕事なんざどーだっていいんだよ。ただ、楽しく殺し合いができればいいだけだ。ついでに可愛い奴隷ちゃんが増やせれば言うことないね。ジェーン、てめえみたいな女かどうかすら怪しい謎の生命体は願い下げだけどな」
「あなたの死姦趣味はともかく、珍しく同感ね。私も任務なんてどうでもいい」
 ジェーン・ドゥはガラスの割れた窓の向こう、ネオンの輝く街のさらに向こうを見ていた。
「私はただ見ていたいだけ。劇作家がどんな脚本を書くのか、呪いの子がどう踊るのかを」
 上空には、地上に蔓延る欲望の光を見下すように、下限の月が浮かんでいた。人が奪い合い、そして殺し合い、殖えては死ぬの営みを繰り返していく有様を、闇夜からずっと見つめてきた。いくら人間が神に近付いたと錯覚しても、あの小さな天体すら掴むことができていない。ジェーン・ドゥは、それでも全能を目指した愚者に敬意を払い、謳うように呟いた。
「私はただ、貴女が語ろうとしたおとぎ話を観てみたいだけなのだから」

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