「家畜の代わりにキミが囚われるだって……? 気が変わったよ。お父上の前に、キミの考えを矯正する必要があるようだ」
 嘆息したヴィルヘルムの瞳が鈍い輝きを放つ。瞬間、彼の手にある剣がさらに伸び、カノンの首にまで巻きついた。
「くっ、あ……!」
「何をするの、ヴィルヘルム!」
 リタが叫ぶ。
 首を絞められて喘ぐカノンを、ヴィルヘルムは皿にたかる蠅でも見るような目で見た。
「人間と暮らしたせいでリタはすっかり自分を見失っているらしい。人間のために犠牲になるなんて、ヴァンパイア王族のキミがそんなことをしちゃいけない。僕は決めた。キミの遊び相手の家畜を一匹残らず屠ることにするよ。自分が家畜と同等だと思っている可哀想なお姫様を正気に戻してあげないとね」
「やめて、ヴィルヘルム! お願いよ、わたくしのお願いを聞けないの!?」
 ヴィルヘルムがリタへ目を向けた。独りよがりの思想に浸った青年はぞっとするほど優しく微笑み、
「愛しいリタ。この家畜が首だけになれば、キミもきっと目が覚めるよ」
 甘やかに言った。
 刹那、水無月は厨房から飛び出す。
 端に寄せられていたテーブルを目にも留まらぬスピードで渡り、客席の奥へ。
 テーブルを力強く蹴り、水無月はヴィルヘルムに跳びかかる。心臓目掛けてアサシンブレードを突き出したとき、
「っ!?」
 信じがたいことが起きた。
 アサシンブレードがあと数センチでヴィルヘルムに埋まるところで、何かが横から飛来し、暗器の刃先を弾いたのだ。
 不測の攻撃を受け、水無月は咄嗟に狙いを心臓から腕へ変更。
 ブラッディソードを持つ腕を斬り飛ばした。
 紅い剣は消失し、カノンは放り出される。
 水無月の追撃より早く、ヴィルヘルムは残った腕にブラッディソードを出現させる。次いで驚愕に顔を歪めた。
 バックステップで水無月から距離を取る。
「ミナヅキ……!」
 リタが歓喜の声を上げ、解放されたカノンが床でゲホゲホと咳き込む。
 あらかじめ人工血液を付着させていたアサシンブレードを受けたことで、今、ヴィルヘルムは〈霧化〉ができなくなっている。驚いたのはそのためだろう。
 しかし、その前、アサシンブレードを弾いた攻撃がわからない。
 当のヴィルヘルムですら水無月の刺突に反応できていなかったのに、何故、横から攻撃されたのか。
 ちらりと攻撃の来た方角を見るが、今さら機関銃を構えるグズがいるだけだ。彼らの仕業ではない。
 正体不明の敵への警戒から動けないでいると、水無月の登場で勢いづいたリタが、勝ち誇った顔で青年へ指を突きつける。
「ここまでよ、ヴィルヘルム! ミナヅキは人間だけど、わたくしより強いんだからね!」
「何……?」
 ヴィルヘルムが怪訝な目で水無月を見る。ふと、その眉が寄った。
「……おまえ、どこから入ってきた? 初めからこの部屋に潜んでいたのか?」
「裏口からだ。見張りは全員死んでたぞ。今生きてるのはここにいる奴らだけだ」
 ヴィルヘルムの顔色が変わった。
 近くにいる吸血鬼へ「確認しろ!」と命令を飛ばす。慌てて吸血鬼が無線機を手に取ったとき、
「共和国軍だ! 人質は伏せろ!」
 バックヤードに続くドアがバン、と開き、共和国軍の兵士たちが雪崩込む。
 怒号のような銃声が響き渡った。同時に客用の出入口も割られ、兵士が続々と入ってくる。
「ちっ、撤退だ!」
 忌々しげに叫んだヴィルヘルムは窓へと駆け出す。
 逃がすか、と水無月はその背を追った。
 四連装拳銃を彼へ向ける。
 発砲したとき、またもや何かに銃弾を撃ち落とされた。
 バカな! 一体、誰が銃弾を落とすだなんて芸当を……。
 視線を走らせたとき、水無月の目に眩いばかりの金髪が映った。
 銃撃戦の白煙と兵士たちが入り乱れる混沌の最中、場違いな白スーツを纏ったその女はヴィルヘルムと並走する。まるで彼を守るかのように。
 ――そんな。
 その純白のスーツ姿はよく知っている。
 タイトスカートから伸びる長い脚。すらりとした肢体は魅力的な女性像そのもので、すれ違った男たちは皆振り返った。けれど、実際に声をかける者はいなかったという。整いすぎた顔立ちと、かっちりした服装は冷淡な印象を与え、また、彼女自身も感情表現が豊かではなかった。
 しかし、それは些末なことでしかない。経験に裏打ちされた戦闘技能、膨大な知識、咄嗟の判断力、卓越したリーダーシップ……。彼女以外、隊長としてありえなかった。彼女が兄姉を率いて吸血鬼を駆逐し、《白檀式》の名を世界に轟かせたのだ。
「睦月姉さんッ!」
 水無月の声に反応し、女がわずかに横顔を見せる。
 記憶領域と寸分違わないコバルトブルーの瞳が水無月を捉えた。しかし、その動きに水無月はどこかぎこちなさを覚えた。
「なんで……!」
 水無月の言葉の途中でヴィルヘルムが窓を割り、身を投げる。
 金髪の女は水無月に応えなかった。何の感情も読み取れない冷たい一瞥を投げただけで、ヴィルヘルムの後を追う。その背中は窓の外へと消えた。
 水無月は破られた窓へ駆け寄り、眼下を見下ろした。
 ヴィルヘルムにつき従い、女も着地していた。だが、やはり彼女の挙動は精彩を欠いている。そのまま二体は寄り添うようにイエッセルの街中へ消えた。
 水無月は立ち尽くしたままそれを見送っていた。

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