トン、トン、と無遠慮な足音が廊下に反響する。
 虚ろな目に締まりのない表情。乱れたシャツから覗く白い鎖骨。首に刻まれた二つの傷から流れる赤が少年の肌を濡らす。
〈魅了〉をかけられた人間に意識はない。彼らはそれが解けるまでの間、吸血鬼になされた命令を忠実に実行する。
 ――吸血鬼を油断させるには〈魅了〉されたフリをしろ――
 プログラム通りに水無月は行動する。
 廊下の先から二体の吸血鬼がやってきた。水無月は怯まず、足も緩めない。
「なんだ、あいつ。〈魅了〉された人間がなんでこんなとこにいるんだ? しかも男かよ」
「誰かそっちの気がある奴がいたんだろ。女みたいな顔してるし」
「違げえねえ、はは……」
 すれ違いざま、水無月は二体の首をアサシンブレードで刎ねた。
 ゴトン、と落ちた首が驚愕の眼差しを向けてくる。次の瞬間、水無月は彼らの心臓を暗器で撃ち抜いていた。
 最初に心臓を抉って即死させなかったのは、単に二体の会話が気に食わなかったからにすぎない。女顔はコンプレックスなのだ。性別を問わず気を惹けるようにと春海は設計したらしいが、水無月は如月みたいに男らしくなりたかった。
 これで十体。
 悲鳴一つ、銃声一つ上げさせずに吸血鬼を始末した水無月は奥へと進む。まだヴァンパイア革命軍は異変に気付いていない。敵の指揮官が水無月の存在に気付く前に、できるだけ敵の数を減らしておきたかった。
 叫び声が聞こえてきて水無月は視線を巡らせた。更衣室、と書かれた部屋から複数人の声がする。
 水無月は躊躇なくドアを開けた。
 中には吸血鬼が五体、人間が二人いた。人間は二人とも若い女性で、白い調理服が半分脱がされている。ウエイトレスの仕事は今ほとんどオートマタにとってかわられているが、味見が必要な調理は人間がやっていることが多い。吸血鬼に捕らえられた彼女たちは吸血されている最中だった。
 吸血鬼も人間も、闖入者である水無月を見る。吸血鬼は驚いたような目で、女性たちは助けを求めるような目で。
 水無月は吸血現場を顔色一つ変えずに見遣った。
 一瞬の沈黙の後、吸血鬼たちがドッと笑う。
「ビビらせんな、奴隷かよ! 男のガキなんて誰が〈魅了〉したんだ?」
「宴会場の人間はまだ食わないってボスは言ってたのにな。もう解禁令が出たのか?」
「さあな。気になるなら見て来いよ」
 彼らの言う宴会場とはレストランの客席だろう。彼らの話しぶりだと、まだ人質は吸血されていないようだ。
 まずは、目の前の敵に注力する。
 両脇にロッカーが並んだ細長い部屋だ。正面奥は窓で、そこに敵が一体もたれている。右手前には敵二体と人間一人、左手奥にはまた敵二体と人間一人だ。
 水無月は〈魅了〉されたフリを続け、部屋へ入る。
「吸血鬼のみなさんの餌になりに来ました。僕も吸血してください。きっと美味しいですよ」
「あーこいつを〈魅了〉した奴は変態だな。食われてこいって命令したんだろうな……」
「人質はまだ大勢いるだろ。一人くらい死んだって構わねえよな」
 言いながら左奥にいる吸血鬼の一体が水無月を手招きした。水無月は求めに応じ、彼へ歩み寄る。
「なんだよ。おまえ、そいつ気に入ったのか?」
「いや、なんかこのガキ、妙に色気があるっていうか……」
 引き寄せられ、首筋に吐息がかかる。
 その際、水無月は左手を横へ向け、隣で女性を吸血している敵の心臓を撃ち抜いた。
 ――まず、一体。
「ぶっ! なんだこれ!」
 人工血液を口にした吸血鬼が驚愕の声を上げる。それ以上、続けられる前に水無月は彼の心臓を抉った。びしゃり、と赤い塊が床へ叩きつけられ、残りの三体が凝然とする。
「てめえ……!」
 吸血鬼たちが気色ばんだときには水無月は跳んでいた。
 バク宙。
 天井すれすれまで背面跳びをした水無月は、部屋の右にいた敵二体へ銃弾を浴びせる。彼らの背後へ着地するや否や、アサシンブレードと拳銃で二つの心臓を後ろから貫いた。
 ――あと、一体。
 ようやく窓際にいる吸血鬼が機関銃を水無月へ向けた。その愚鈍さに鼻で笑う。
「このガキがあああっ!」
 トリガーを引き絞った彼は、自分の腕がないことに気が付いた。
 目前には愛らしい少年の貌。機関銃を持つ両腕が落ちる音と同時に心臓を穿たれ、吸血鬼は絶命した。
 五体を秒殺した水無月は、暗器を収めた。
 それから後ろにいる二人の女性を振り返る。彼女たちは吸血されていたせいか、顔色は紙のように真っ白だった。
 ガチガチと歯を鳴らし床にへたり込んでいる二人へ、水無月は歩み寄りながら言う。
「裏口にいる吸血鬼はすべて倒しています。そこから逃げることもできますし、あるいは、ここで救助を待つことも……」

「いやああああああっ、来ないで……!!」

 叫ばれて、水無月は硬直した。
 水無月に助けられたというのに、女性たちは吸血されていたとき以上にパニックになっていた。恐怖に顔を引きつらせ、転げるように更衣室を飛び出していく。ドアが乱暴に開けられ、音高く閉まった。
 静寂が訪れる。
 金縛りにあったように立ち竦んでいた水無月は、やがて周囲を見渡した。
 無惨に転がる吸血鬼の死骸と、夥しい血。
 ふと水無月は室内に姿見があるのに気が付いた。
 そこには、返り血を浴びて満面の笑みを浮かべる少年が映っていた。
「……」
 思わず自分の顔に手を当てる。だから、さっきの二人は逃げ出したのかと納得した。楽しそうに笑う血塗れの美少年は我ながら狂気的だった。
 でも、どうしてだろう。笑みが収められない。
 思えば、最初に裏口で吸血鬼を殺したときから興奮状態だった。
 敵を倒す度に胸の奥から打ち震えるような歓喜が込み上げてくるのだ。
 頭に詰め込まれている人工頭脳が激しく発熱しているような錯覚すら覚える。
 ――ああ、やっと生きている気がする。
 生命などあるはずがない絡繰少年は、だが、今確かに「生」を実感していた。
 オートマタにとって生きることとは、自分に与えられた役目を果たすことである。製作者が設定したコンセプト。目的や用途とも言い換えられるそれがあって、初めてオートマタは生み出される。
 製作者が決めた目的こそが、彼らの存在理由なのだ。
《白檀式》のコンセプトは暗殺者。
 授業でマイヤーが言っていたのを思い出し、水無月は「くっ」と声を上げて笑った。
「くくっ、ははははは……!」
 一度笑い出したら止まらなかった。
 吸血鬼たちが息絶えた室内に、少年の愉悦に満ちた声が響く。
 嬉しいのはきっとそのせいだ。吸血鬼を殺して殺して殺し尽くすのが自分の目的だから、それを達成できている今が愉しくて仕方ないのだ。
 これが、俺の正しい在り方だ。
 清々しい充足感を抱き、水無月は更衣室を出る。と、吸血鬼が三体いた。
 血塗れの水無月に三体がギョッとする。
 考える間もなく水無月は彼らへ襲いかかった。その口元には、おぞましい笑みが浮かんだままだ。
 吸血鬼の骸を作りながら絡繰少年は進む。己の存在理由を思い出した彼を止めるものは、もう何もないのだ。

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