さて、吸血鬼の前で初めての食事である。人間を完璧に演じられる《白檀式》は食事時でもボロを出さない。
リタはフォークを取って言った。
「カノンさえよければ、わたくしは喜んでチームに参加するわ。《白檀式》に近しいオートマタを作るとこなんて、まず見られないもの。なんだか楽しみになってきたわね」
「そう言ってくれると嬉しい。今まで《白檀式》を悪く言う人たちばかりで、みんな、わたしの設計図を見ただけで相手にしてくれなかったから」
「人間の《白檀式》嫌いは、少し加熱しすぎているわよね。製作者のドクター・ビャクダンについても、いつもメディアでは彼女の功績ではなく過失が取り沙汰されるし」
「……やっぱり、ケルナーの悲劇のインパクトが大きいんだと思う」
「それでもよ。《白檀式》がなかったら、そもそもヘルヴァイツはヴァンパイアに占領されていたんだから……ミナヅキ。さっきからタバスコをかけているけど、いつまでかけるつもりなの?」
「え?」
動きを止めて、水無月はリタを注視した。
リタは水無月の手にあるタバスコを見て、目を丸くする。
「まあ、半分くらい使ってるわ! そんなにかけて大丈夫なの?」
大丈夫? 何がだ!?
焦燥を覚えた水無月は、助けを求めるようにカノンへ目を走らせた。青ざめたカノンがそっと耳打ちをしてくる。
「タバスコは辛いから、ほんの数滴だけ。たくさんかけない」
「早く言え。全部かけるところだった」
囁き返し、タバスコの瓶を置く。二人がやっているのを真似てスパゲッティをフォークで絡め取り、口へ運ぶ。
水無月には味覚と嗅覚がない。だから食事をしても温度と食感しか認識できない。温かいケーブルの束を咀嚼しているような感覚だ。細かくなったところで飲み込む。
そこで、リタが水無月をじーっと見ているのに気が付いた。
「……何だ?」
「辛くないの?」
「美味しいぞ」
食べ物の感想は「美味しい」と言っておけば問題ない。基礎知識通りに水無月は言う。
「一口ちょうだい」
リタがフォークを伸ばし、ペスカトーレを取る。口に入れた瞬間、リタは「んんっ!」と声にならない悲鳴を上げて、グラスの水を一気に飲み干した。
「辛い! 超辛い!! こんなの食べ物じゃないっ!」
舌を出してハアハアしながらリタは、水無月を信じられないという目で見る。
「これが美味しいって、ミナヅキはどうなってるの!?」
「み、水無月は味覚音痴なの! ものすごい激辛が好きで……」
慌ててカノンがフォローを入れる。
その横で水無月は、今度はフォークでアサリを殻ごと口に入れ――噛み砕いた。
バリ、と音がしたところで、「ひっ」とリタが息を呑む。
「おっ、おかしいわ、ミナヅキ! どうしちゃったの!?」
バリバリと殻を咀嚼しながら水無月は怪訝な目でリタを見つめた。
と、カノンにぐいっと腕を引っ張られる。
「大変! 水無月が熱を出したみたい! 頭を冷やさせてくるから、リタさんは待ってて!」
強引に水無月はテーブルから退場させられた。
リタから死角になったところでカノンは少年をじっと睨みつける。
「……水無月、答えなさい。あなたが食事をしたのは何回目?」
口の中のアサリを殻ごと飲み下した水無月は言う。
「今回で四度目だ。一度目は人工消化器官の動作テストでパンを三切れ、二度目はテーブルマナーの学習のために前菜からデザートまでのフルコース、三度目は卯月と皐月がくわえていたキャンディを好奇心から舐めてみた。完璧に人間に見えただろう?」
「どこが完璧!? 完璧に人間じゃなかったよ! リタさんもびっくりしてたよね」
「あいつはなんで、パスタの上に乗っているデカい具を食べないで避けているんだ?」
「渡り蟹の甲羅は食べられません。当然、貝の殻も食べられません。そんなことも知らない人間がどこにいるの!」
「くそ、やられた。メニューの『オススメ』とはトラップだったか。タバスコといい、まんまと相手の術中に嵌まってしまった……」
カノンが沈痛な面持ちで額を押さえた。
「……普段から食事をしていないから、こんなことになる。一緒に食事していれば、水無月の食事知識がひどいって気付けたのに……」
「問題ない。もう学習した。二度と同じトラップには引っかからない」
「誰も水無月の食事に罠なんて仕掛けてないけどね!」
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