三人は博物館に併設されているレストラン棟で昼食にすることにした。
 吸血鬼も人間と同じように通常の食事が必要である。彼らは魔術を使うために血を摂取しているが、血液だけで胃袋が満たされることはない。
 昼時を過ぎたカジュアルなレストランは大盛況だったが、タイミングよく空席はあった。接客用オートマタに窓際の丸テーブルを案内される。
「それで、わたしはやっぱり遊星歯車じゃダメだと思う。確かに遊星歯車は配置の融通が利いて組みやすい、修理のとき楽というメリットは大きいんだけど、何よりかさばるの。オートマタの全身動かすと考えたときに、人間の関節はいくつあると思う? 答えは二百以上。それを胴体に収めた遊星歯車だけで動かすなんて現実的じゃない。それより、摩擦による動力損失も少なくて、歯が噛み合ったときのバックラッシュもない……」
「ちょっとミナヅキ! カノンのマニアトークが止まらないんだけど! どうにかしてよ!」
 テーブルについて手早く注文を終えた後も、カノンは延々と歯車について持論を語っている。
 げんなりしたリタがこそっと水無月に助けを求めるが、
「同情はするが、ここにカノンと来てしまった以上、抵抗は無駄だ。諦めろ」
 水無月は頬杖をついて、聞き流す態勢に入っている。
「そんな、ひどいわ! ミナヅキはカノンがこうなることを知っていたのね!? だから、わたくしにカノンを押しつけて……」
「リタさん、ちゃんと聞いてる!? 歯車はオートマタを動かすのに欠かせない部品なんだから! 技師のセンスは歯車の配置に表れるって言われるくらい大事なことなんだよ! 波動歯車の有用性はわかってくれた!?」
「ひいぃっ、わかったわ! わかったから……え、波動歯車?」
 リタがきょとんとした。
 反芻された言葉に、カノンの話が止まる。
「波動歯車ってあれよね? 世界で一番、吸血鬼も人間も殺したオートマタ、《白檀式》に使われてたっていう」
 リタの確認にカノンは黙り込んだままだ。
「もしかしてカノンは、波動歯車を使おうとしているの?」
 レストランの喧騒が一際大きく響いた。
 カノンは傷付いたような表情でリタを見返していた。やがてリタの視線を受け止めきれず、目を伏せる。長い睫毛が少女の目元へ影を落とした。
「……うん、わたしが設計したら、主要な歯車は波動歯車になる。《白檀式》と同じもの」
 リタが息を呑んだ。
 俯いたカノンは膝の上で両手を握る。
「今まで黙っててごめんなさい。騙すつもりじゃなかった。もし、この事実を知ってリタさんがわたしとはオートマタを作れないと言うのだったら、ここで解散しよう。後のことは何も気にしなくていいから」
 水無月は銀髪に隠れたカノンの横顔を見遣った。
 ま、こういう奴だとわかっていた。ここで、だからどうしたと開き直れるなら、初めから嫌がらせなんか受けていない。
 と、リタが首をかくんと傾けた。
「何を謝っているの? チームに参加してよいかどうか尋ねるのはわたくしのほうだわ。《白檀式》と同じ歯車を使ってオートマタを作ろうとしているのに、無知なわたくしが参加してもいいのかしら」
「え……?」
 不思議そうなリタに、カノンも瞬く。
「だって、あの《白檀式》よ? 世界最強の暗殺機械人形。無敵の絡繰騎士部隊。オートマタの最終進化形。ドクター・ビャクダンが作ったオートマタの素晴らしさは、ヘルヴァイツにいるヴァンパイアなら誰でも知っているわ! まさかカノンがそんなすごいものを作ろうとしているなんて驚きよ」
 ここまで賞賛されれば水無月も悪い気はしない。
 そんなことを言われたのは初めてだったのだろう。カノンが戸惑った声を上げる。
「どうして……? 《白檀式》は吸血鬼もたくさん殺したのに……」
「戦争で殺し合うのは当然でしょう? そんなのはお互い様じゃない」
 あっけらかんと言ったリタは、グラスの水に口をつけた。
「《白檀式》を嫌悪しているのは人間だけよ。人間に作られたのに、人間に仇をなしたから憎まれているんでしょう。ヴァンパイアはむしろ、敵ながら敬意を払っているわ。ヴァンパイアに脅威を与えられたのは《白檀式》だけだったんだから」
 兄姉の活躍はどうやら敵側の吸血鬼だけが正当に評価しているようだった。水無月は複雑な気持ちになる。
 リタは窓の外、イエッセルの穏やかな街並みを見下ろして続ける。
「お父様も戦時中に《白檀式》と交戦したそうよ。ムツキとね」
 睦月。
 水無月はどこか冷たい雰囲気を放つブロンドの美女を思い出していた。
 春海が最初に作った対吸血鬼戦闘用オートマタ。非の打ちどころがない完璧な容姿をした二十歳設定の女性だった。
「壮絶な戦いになったみたい。でも、お父様のブラッディソードでもムツキを下すことはできなかった」
「ほう、吸血鬼王ローゼンベルクと睦月は引き分けたのか。興味深いな」
「ええ。我が生涯であれ以上の奮戦はないだろう、とお父様は今でも語るわ。それくらいムツキとの戦いは衝撃的だったのね。それからなの、お父様がヴァンパイア至上主義から脱却して、吸血鬼王ルートヴィヒと手を切ったのは」
 こんな言い方は人間であるあなたたちには不愉快かもしれないけど、と前置きしてリタは言った。
「ムツキとの戦いで、人間が取るに足らない種族ではないとお父様は悟ったのよ。《白檀式》を作った人類は、ヴァンパイアと肩を並べる存在に足る、とね」
「それで、吸血鬼王ローゼンベルクはイエッセル条約を?」
「そうよ。《白檀式》の暴走を嘆いたのは、お父様もだったわ。お父様は自分と引き分けた彼らを好敵手のように感じていたのよ。きっとヘルヴァイツやオートマタの技術を滅ぼしてしまうには惜しいと考えたのね」
「ケルナーの悲劇が三日で済まなかったら、たぶん今頃ヘルヴァイツという国はない……」
 そう言うカノンの表情はとりわけ暗い。
「仮にお父様が手を差し伸べなくても、いずれ吸血鬼王の誰かが動くことにはなったと思うわ。暴走した《白檀式》を放置していたら、人間だけではなくヴァンパイアも危ないもの。自らの臣民に危険が及ぶなら、吸血鬼王は必ず動く」
「臣民?」
「人間社会でいう国民みたいなものよ。ヴァンパイア王族にはね、ブラッディソードがある代わりに自分たちの臣民を守る義務、ノブレス・オブリージュがあるのよ。わたくしたち王族が今、軍に属しているのも、有事のときは率先して民を守るためなの」
《赤の乙女部隊》の紅薔薇少将という二つ名が一般人にまで浸透しているのは、リタが共和国軍でそれなりに活躍している何よりの証左だろう。
「だからね、《白檀式》がなければイエッセル条約は結ばれなかったのよ。わたくしとミナヅキもこうして出会うこともなかったというわけ」
 リタが手を取って指を絡めてくる。
 されるがままになって、水無月は目を落とした。
 ――《白檀式》の存在が、この平和ボケした世界を作ったというのか。
 カノンが「ちょっと、リタさん!?」と声を上げたとき、注文したパスタが運ばれてきた。
 リタは渡り蟹のトマトクリーム、水無月はペスカトーレ、カノンはカルボナーラである。接客用オートマタが「お好みでお使いください」とタバスコの瓶を水無月の傍らへ置き、去っていく。

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