リタを犠牲にして戦線離脱に成功した水無月は、一人で館内を巡る。
 水無月が最初にここを訪れたのは三か月前のことだ。
『おはよう、水無月。今日も素敵な日よ』
 起動命令の言葉をカノンに初めて囁かれたその日、小さな輸送用コンテナで目覚めた水無月は十年前の常識しか持ち合わせていなかった。
「初めまして。僕は対吸血鬼戦闘用オートマタ、絡繰騎士《白檀式》第陸号・水無月です」
 新たなマスターに挨拶をしながら自分が廃棄処分されなかったことに安堵したのも束の間、窓から吸血鬼を見つけた水無月は微笑んでこう続けた。
「僕を起動させてくれてありがとう。必ずすべての敵を殲滅し、吸血鬼に占拠されたこの街からマスターを救い出してみせる」
 殺る気満々で窓から飛び出していこうとする水無月へカノンは慌ててしがみつき、そこから懇々と現代の常識講座が始まった。
 最初は到底信じられず、「嘘だ!」とか「バカな!」とか言い張った。「どうして僕を騙そうとするんだ!」と怒りもした。埒が明かないと思ったカノンが連れて来たのが、ここ、国立オートマタ博物館だった。そこで揺るぎない事実を見せつけられて、水無月はようやくカノンの言葉を信じたのだった。
 貴族の間で自動演奏用オートマタの流行コーナー。
 ヘルヴァイツの国力を飛躍的に向上させた農業用、工業用オートマタの台頭コーナー。
 ヘルヴァイツの国際的地位を確立させた労働用オートマタの輸出コーナー。
 一家に一体が常識となった家庭用オートマタの普及コーナー。
 そして、四つのコーナーを抜けた展示の最後。
 そこには、二十歳過ぎくらいの青年が博物館の目玉として展示されていた。立派な金のプレートには彼の製品名が記されている。
『絡繰騎士《白檀式》第弐号・如月』
 強化ガラスの箱の中。燦々とスポットライトを浴びる青年の前に立った水無月は、親しげに呼びかけた。
「兄さん、また会いに来たよ」
 鋼色の短髪に琥珀の瞳をした彼は、水無月に応えることなく、ただ虚ろな目を宙へ投げるばかりだ。
 幼い子供のようにガラスケースへ両手をつき、他の見物客の迷惑も顧みず、水無月は正面から兄と相対する。
 水無月は彼の瞳が力強い光を放っていたときを知っている。
 家族の中で男は如月と水無月だけだった。同じ男性型でも如月はカッコいい青年で、大人の男としての魅力を備えていた。長身で、顔立ちは柔和だが野性味があり、人懐っこい笑い方をした。ひょろひょろの自分と違って筋肉質な身体だったのを水無月は覚えている。
 彼の暗器は両腕に仕込んであるマシンガンとライフル銃だった。
 狙撃もできる中・長距離戦闘タイプで、戦闘になると腕がいくつもの銃を組み合わせた複雑な形になるのだ。戦闘形態になったそれがとにかくカッコよくて、水無月は幾度も見せてとせがんだものだ。その度に如月には「俺の暗器を拝めるのは戦場でだけだぜ。おまえにはまだ早いな」とはぐらかされた。
 今、彼は動力を止められ、自慢の暗器を多くの見物客に晒している。
 戦闘形態になったままの右腕は見えやすいようワイヤーに吊られ、左腕は暴走したときに壊されてしまったのか肘から先を失っていた。
 上半身は裸で、胴体はネジが外され内部構造が見えるように開かれている。最高級のエーデルライト九五〇製ゼンマイと複雑に配置された波動歯車。その隙間に、無数の神経ケーブルやメタリックな輝きを持つ人工骨、人工臓器や人工筋肉が見える。
 ズボンのポケットからは、ひしゃげたタバコの箱が覗いていて水無月は思い出す。
 如月は愛煙家という設定だった。より人間らしく見せるために《白檀式》はそういう小道具も使う。またタバコの味など認識できないのに、如月はうまそうに吸うのだ。
 水無月は一度、彼からタバコをもらって吸ったことがある。何の味もしなかったが、睦月と弥生に見つかって春海にチクられ、「あなたは十六歳なんだから、そんなことしたらダメ!」と叱られたのは、まさに苦い思い出だ。
 如月の影響は水無月の「俺」という一人称にも表れている。大人っぽい感じが気に入って使ったら案の定、春海に直すよう言われた。誰にも注意されることがなくなった今では、勝手に使っているが。
 如月の背後の壁には大きなパネルがかかっている。
『忌まわしき過去の遺物 ――対吸血鬼戦闘用オートマタ――』
「……兄さん、俺たちは何のために作られたんだろうな」
 水無月の問いに如月は答えない。
 数時間後、ハイテンションで語り続けるカノンと完全にドン引きのリタがやってくるまで、水無月は如月の前から動かなかった。

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