第三章「勇者のための物語」

 夏になれば、朝早くから人が動く。少しでも涼しい内に仕事をしておきたい、日が出ている時間に精一杯出来ることをやりたい。そんな例に漏れず、ルチアも忙しげに魔法石の仕訳をしていた。とは言ってもルチアがいる場所に日の光はなく、魔法珠と呼ばれる、ぼんやり光る石で灯りをとっているのだが。
木箱に入った魔法石を、三種類の籠に分けていた。中身はそれぞれ良品と、安物としてなら使える品、そして粗悪品だ。ルチアはひとつひとつ魔法珠に半透明の石をかざしては、どれかの箱に放り投げていく。投げられた石が、他の石に当たって、カチンと音がした。
 ウォレスは膝の上で本を開いていた。ルチアの邪魔をしてはいけないと思いつつ、読んでいた本の章がひとつ終わったため、声をかける。
「ご苦労なことだね」
 ルチアはじろりとウォレスを見る。
「あなたは良い御身分ね」
「おかげさまで」
「何の本を読んでいるの?」
 額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら、ルチアはウォレスの手元も見た。
「え……ああ、『光の勇者』に関する本だな。この著者は、物語に出てくるゆかりの地を自分自身で追って、それを旅行記風にまとめているから、けっこうおもしろい」
 その本は、アランに教えてもらったものだった。この本を読んで、私は旅に憧れるようになりましたと言っていたので、少し興味が湧いたのだ。
「本は嫌いじゃなかった?」
 珍しく皮肉の混じった問いだ。暑さに苛立っているのだろうか。
「そう言われても、ここには本しかないからな。それに、嫌いとは言ってないじゃないか。確かに本の背表紙を見るのは好きじゃないけど、読むのはそんなに悪くない。あ、その石は隅っこに不純物が溜まって見えるから、やめたほうがいい」
 ルチアが無言で、今しがた安物が集まる籠へ放り投げた石を、粗悪品の籠に投げ直した。心なしか普段より大きな音をたてて他の石にぶつかった気がする。
「あーあ。本嫌いの会も、これで解散ね」
「そんな会いつ発足したんだ?」
「短い付き合いだったわね、ウォレス」
 別れの言葉を口にしつつ、もちろんルチアは動かない。
「そんな悲しいこと言うなよ。だいたい、あんたのお師匠さまから出された課題、ほとんど俺に助けを求めて、結果的にここの書物から答えを引用しているじゃないか。十分恩恵を受けてるだろ。この前だって、魔法学の色彩についての初歩的な問題なのに、最終的にあのルーカス・シモンの『魔法と色の――」
 口うるさい説教に、もう沢山だとルチアが口を挟む。
「わかった、わかりました! 今度からはもう少し本を読みます! 寝ません!」
「ったく。今度ルチアにも読めそうな簡単なやつ、探しておいてやるから」
 ウォレスがなだめるように言った。
「あ、じゃあ今度から私がお仕事してる間、あなたが読み聞かせしてよ」
「そういうのは苦手だ」
 断るも、ルチアは楽しそうに話を続けた。
「最近王都でまた新しく『光の勇者』の演劇が流行ってるらしいの。なんでも有名な戯曲家が新しく書き直したとかって。あなたのところにその台本、ある?」
「あるけど、なんだかくどくて、おもしろくなかったぞ」
 魔物が興奮気味にウォレスの元に持って来たのを思い出した。ルチアの言う通り、有名な戯曲家の新作なのだそうだ。ここのところ勇者に縁のあるウォレスも、魔物があんまり騒ぐものだから、目録を作る合間に読んでみた。最近の流行りなのかもしれないが、やたら登場人物の心理描写に力をいれており、戯曲にしては物語の進展が遅い気がした。そしてこのご時世だから仕方ないのかもしれないが、勇者は生まれた時から正しい行いを繰り返し、正義の心を持ち続けている。かたや魔王の心理描写の方はとにかく残酷で、生まれた時から死ぬまで、彼は一貫して横暴で世界を滅ぼすことしか頭にないのだ。
 だが、本当にそうだろうか。現在、パライナは魔王に脅かされてはいるが、果たして本当に勇者は生まれた時から聖人で、魔王は生まれた瞬間から悪人であったのだろうか。悪の道に魅せられる勇者や、本当は心を傷だらけにした魔王はいないのだろうか。
 固く口を閉じて考え込むウォレスに、なにを思ったのかルチアは歌いはじめた。いつも歌っている曲で、暖炉の残り火のように優しく、心が満ちる声だ。
 顔を上げたウォレスに、ルチアは微笑みながら今度は軽快に歌いつづける。ルチアなら、演劇の花形も飾れるだろう。しなやかに踊るだろうし、その声はきっと聴衆の胸を打つ。
 ルチアが歌い終わった時、ウォレスは本を脇にそっと置いて、拍手した。
「王都で歌ってみたらどうだ。その劇の花形に抜擢されるかもしれない」
「田舎娘を調子にのせちゃだめだよ。でもそうね、少しだけ自慢してもいいなら、昔歌って生計を立てていた時期もあるの」
「それは初耳だ」
 驚きに、目を丸くする。あまり気にしなかったが、ウォレスは今のルチア以外を知らないのだ。ずっと魔女稼業をしていたのだとばかり思っていた。
 ルチアが恥ずかしそうに笑った。
「ちょっとだけだけどね。それより、やっぱり読み聞かせをしてよ。私ばっかり歌うのは、ずるいじゃない」
「自分から歌っておいて」
「ひどい。じゃあもう私、石みたいに黙ってるから」
 ぷいと顔を背けてしまったルチアがずっと黙っていられるとも思えなかったが、歌声が聞けなくなるのは名残惜しいため、ウォレスは彼女が絶対に反応してくるであろう話題をふった。
「そんなことより、現在の勇者さまはどうなんだ」

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