第二章「籠の中の物語」
塔の中は快適とは言えなかった。下方に窓は無く、通気性が悪いため湿気が籠り、息苦しい。
二人はこの密会を朝方に変えた。その方が互いの都合がよかったからなのだが、初夏を迎えたフレイラは、日によっては汗ばむほど気温が上がるのだろう。
姿を現した時、ルチアは気だるげに汗を拭っていた。
「すごく暑そうだな。その部屋も熱気が籠るのか?」
少し気になって、尋ねる。
「ここはそうでもないよ。この部屋、地下にあるから外よりは涼しいし。ここ、私の秘密基地なの。多分誰も知らないと思う。だからあなたのことも内緒」
ルチアが大勢の友達を連れてきて見世物にされる心配がなくなって、ウォレスは安堵した。人付き合いが皆無の自分は、もしそんなことになったら、彗星のごとく尻尾を見せて逃げ出すに違いない。大勢の人間に囲まれるなど、想像するだけで鳥肌が立ちそうだった。
「あなただって誰にも言ってないんでしょう?」
「言う相手がいないからな」
魔物たちは本のない部屋まで追いかけて来ないし、リィリには塔に上がらないよう釘を刺しておいた。これではまるで塔に何かありますと言っているようなものだったが、リィリは館長の言いつけを破ることはしない。
それでも階段の一段目に、軽く足止めの陣を作っておいた。誰かが陣を踏めば、ウォレスにすぐ伝わる。なぜだかこのことは、秘密にしておかないといけないような気がしたのだ。背徳感とは違うが、図書館の意思にはそぐわないような気がした。
「それより、さっきから何を作ってるんだ?」
ウォレスはルチアの手元を覗き込んだ。
数本を纏めて出来た糸を、指先を使って器用に編み込んでいる。出来上がった部分には、白地に赤と黄色を綺麗に織り交ぜて作った唐草のような模様が描かれていた。未完成なそれは縦長になりつつあり、手のひらに収まりそうな小さなものだった。
「ああ、これはね。うちの店で売ってる御守りの、タペストリーの部分だよ。本体の小さな魔法石を最後に編み込むんだけど。魔女が編むことによって一緒に魔力が編み込まれて、旅を助ける御守りになると言われているの。軽いから腕に巻けるし、はじまりの町なだけあって、結構売れるのよ」
思いのほかしっかり仕事をしていたらしい。
手馴れているようで、それはみるみる形になっていった。
「器用だな」
「あなたは普段なにをしているの? 本の整理とか?」
ウォレスは首を横に振った。
「本を仕入れて来たり、整理したりするのは魔物たちの仕事だ。あの量は、とてもひとりじゃ出来ないからな。俺は館内の把握と、結界や魔力の維持。あとは来たことないけど来館者があった時の対応。だから主な仕事は目録作りとか見回りとか、あとは修復とか。じつは今も結構魔力を使ってるんだ」
と言っても、今までずっとそうであったし、常に魔力を使うことを苦痛とは思わなかった。しかしルチアにとっては、すごいことだったらしい。尊敬の眼差しでウォレスを見る。
「すごい魔力を持っていたのね。鏡越しじゃ全然魔力が伝わってこないから、わからなかった」
「別に、そんなにすごいことじゃない。俺なんて、そんな器用なことは出来ない」
そう言って視線をルチアの手元に戻した。穴の開いた小さな魔法石に、器用にも糸が通された。教えてあげようかと尋ねられ、糸が勿体ないからと断った。
「こんなの慣れれば、結界張るより楽だと思うけどな。あ、でもやっぱり喜んで買ってくれる人がいるから、作り甲斐があるよ」
へへ、とルチアが笑う。
侵入者を排除するような結界よりも、そっちの方がよっぽどいいとウォレスは思ったが、適材適所というやつだと思い直した。
「あ、そういえば、勇者様たちにもあげたのよ。私のとっておきの御守り」
「そんなようなやつか?」
「ううん、私の宝物。魔王打倒の旅に向かわせてしまったせめてものお詫びに、私の宝物をあげたの。魔女の宝物は、魔女の魔力が一番込められていると言うから、御守りよりずっといいと思って。私の魔力なんて、あなたと比べたら微々たるものなんだけど」
今でも気に病んでいるらしく、勇者の話をすると時々悲しそうな顔をする。
しばらくルチアは無言で御守りを編んでいたが、ふと顔を上げた。熱心にルチアの手元を見ていたウォレスもそれに気付いて顔を上げる。
「どうかしたのか?」
「戻って来たみたい」
ルチアはふらりと立ち上がって、鏡の前から姿を消す。
すぐに鏡は鏡に戻って、ぼんやりした顔の青年を映した。ルチアは行ってしまったが、ウォレスはその場に留まった。そして思う。
この鏡は、いつまで二つの《空間》を繋げていてくれるのだろうか。ある日突然、普通の鏡に戻ってしまったら、二度とルチアには会えないのか。いや、同じパライナで生きているのだから、会いに行ってしまえばいい。そう思って、しかし自嘲気味にその恣意を振り払う。
ウォレスの持つ魔力は特殊なものだ。持って生まれたものか、図書館に与えられたものかはわからないが、図書館のためにあるのは間違いなかった。図書館を維持し、守るために。
そしてそれは同時に、ウォレスをこの《空間》に縛り付ける役割を果たしている。図書館から離れたことはなかったが、恐らく出ようとすれば、首に掛かった縄が図書館の柱に縛り付けてあって、離れれば離れるほど絞まっていくように、己の持つ魔力に締め付けられて死んでしまうに違いないのだ。試してみるまでもない。ウォレスは図書館の物だった。
そんな恐ろしいことを考えていると、鏡がまた《空間》同士を繋げた。ルチアが戻って来たのだ。
「ただいま」
「おかえり……あんたも」
ウォレスに呼ばれたそれは、その言葉に反応するかのように高らかに鳴いた。
ルチアの肩に乗っている、黄緑色をした小鳥だった。片手に収まるほどの小ささだが、聡明な瞳と、ふわふわの羽毛がなんとも愛らしい。頭部からは寝癖なのか、羽が一枚飛び出ている。今はルチアにくちばしの下を撫でられて、気持ちよさそうに目を閉じていた。
「思ってたより早かったね。さすがピート」
「ピピッ」
ピートと呼ばれた小鳥は、ルチアの一番の友達らしく、最近になってウォレスも紹介してもらった。さすがに鳥にまで人見知りは発動しないようで、ウォレスも快くピートと挨拶を交わしたのだった。
「それで、勇者御一行はどうだったんだ?」
ルチアが編み物を再開した所で、尋ねてみる。
「無事にエレパース草原を抜けたみたい。あそこは風を操る魔物が多いから、ピートもあまり近づけなかったみたいだけど」
「エレパース草原か。だいぶ遠くまで行ったな」
パライナの地図を頭に思い浮かべながら、ウォレスが言った。ルヴァ地方を抜けてからしばらく経つ。王都アネットも近いだろう。
「うん、順調だね……え、ピート、なあに?」
ピートは、勇者たちの身を案じたルチアによって、旅を続ける彼らの様子を見てくるように指示を受けた小鳥だ。優秀なようで、フレイラに戻って来ては、その様子を彼女に知らせていた。二人がどのようにして会話をしているのか、ウォレスには検討もつかなかったが、ルチアは詳しく情報を教えてくれた。今もピートがさえずり、ルチアは真剣に頷いている。
当然のことながら、ウォレスはおいてきぼりである。
「なにかあったのか?」
「それがね、勇者様たち、今フェルゼンの町にいるらしいんだけど、凶暴化した魔物に手を焼いているみたいなの」
「魔物?」
ルチアが頷いた。
「そう。あそこって、遺跡の町でしょ? その遺跡を守っているはずの魔物たちが、なぜか町にまで出てきて、暴れまわってるんですって。勇者様、町の人を助けようと遺跡に向かったはいいけど、その魔物、倒しても倒しても復活してしまうらしくて」
「それはまた面倒事に首を突っ込んだな」
「いったん町に引き返してきたみたい。でも勇者さま、町の人たちを助けるまできっとフェルゼンにとどまるわ」
腕を組んで考え込んでしまったルチアの指先から頭部へ、ピートがバサバサ音を立てながら飛び移る。
ウォレスは思いついて立ち上がった。
「ようはその魔物の動きを封じればいいんだろ?」
「簡単に言うけどね、ウォレス……」
「ちょっと待ってろ」
そう言い残して、ウォレスは鏡の前を離れ、階下に向かう。
しばらく書架が連なる廊下を歩き、目当ての物を探し当てる。その中に魔物が入っていないか確認して、またすぐに引き返した。
「おかえり」
不思議そうな顔をしながらも、律儀に同じ態勢で待っていたらしいルチアが出迎えた。
「ただいま。あったぞ」
「なにが?」
「ゴーレムを封じる方法」
「ゴーレム?」
いよいよルチアの頭上に疑問符が浮かんだのを感じて、ウォレスは笑った。それに気を悪くしたのか、頬をふくらませるルチアに、慌てて持って来た本を差しだしてみせた。
その本は紙を束ねて紐で綴じただけの、荒っぽい装丁だった。表紙には『ゴーレムと創造』と走り書きされている。
「その復活する魔物っていうのは、ゴーレムって言って、今はすっかり遺跡の守り人になっているけど、元は人間が作り出したんだ。そいつを作り出した奴の書き記した本がこの図書館には残っていて、作中にはちゃんとゴーレムを停止させる方法も書かれている」
いつだったか、伝記好きの魔物が話していたのを思い出したのだ。その魔物が言ったことが本当ならば、フェルゼンにこの本は現存していないだろう。
「すごい!」
感嘆の声を上げるルチアに、ウォレスも気分がいい。お喋り魔物に少しだけ感謝した。だからといって、あの長話を終わりまで聞こうとは思わなかったが。
「それで、どうすればいいの?」
俄然元気になったルチアが、鏡に近付いて来た。
「ある単語を、ゴーレムの額に彫りこめばいいらしい。これは、もう一度戦わないといけないな。相手を動けなくしないといけないから」
本の末尾あたりをルチアに見えるように鏡の前に広げた。
「これをメモして、ピートに持って行ってもらえばいいのね」
「そういうこと」
「勇者様のお手伝いが出来るなんて嬉しいな」
「手伝うのはいいが、そろそろ偵察に行くのも大変なんじゃないか、そいつ」
ウォレスが苦言をもらす。
「大丈夫。ピートは普通の鳥じゃないもの。生まれつき微量に魔力を持っていて、こんなに小さくて可愛いけど、すっごく勇敢で、どんな鳥にも負けないくらいの速さで飛べるの。それに、飛びまわるのが好きだから、私が指示しなくても一日中飛んでるわ。ね?」
ルチアは嬉しそうにピートに同意を求める。
ピートも同意するように鳴いた。ずいぶん仲良しらしい。
「まあ、お互いの利害が一致しているなら、俺は何も言わないが」
「あっ、ねえねえ。いいこと思い付いた!」
「何だよ」
「この御守り、出来上がったらウォレスにあげるわ。この子なら、最果ての図書館まで届けられそうじゃない?」
そう言って、ルチアは御守りをそばにいるピートに合わせてみせた。確かに、なんとかピートでも持ち運びが出来そうな大きさだった。
しかしウォレスはその提案に、渋い顔をした。
「さすがに無理だと思う。海を渡らないといけないし」
「えー、そうかなあ。ピートなら海でも大丈夫だと思うけど」
「いや、とにかく、やめてくれ」
その言葉に、ルチアは口を尖らせた。それでも、ウォレスは頑なに首を縦に振らなかった。
最果ての図書館と呼ばれているからには、それだけの所以がある。ルチアが思っている以上に、ここは世界から突き放された場所にあるのだ。パライナの中でも特殊な《空間》。そして図書館を取り巻く《空間》たちも、やはり普通の《空間》ではなかった。
ちょっとした遠出とはわけが違う。きっとピートでも途中で朽ちてしまう。そうなって、一番悔やむのはルチアだ。
「その御守りは、あんたが持っておいてくれよ。それでいい」
立ち上がりながら、ウォレスはそう言った。
「あれ、もう行くの?」
「そろそろな、南側の結界が緩んでるみたいなんだ」
早急に直さなくてはいけないようなものではなかったが、話を切り上げてしまいたかった。ウォレスは軽く手を上げて挨拶をし、鏡の前から離れる。
「ピュイッ」
完全に離れる間際、甲高い小鳥の鳴き声が聞こえた。
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