*

「おい、館長が本を読んでるぜ」「ほんと、珍しいわね」「調べ物か? 色んな文献を漁っているみたいだけど」「この前も読んでたってば」「吾輩に聞けばなんでも教えてやるのに」「どうしたどうした?」「館長が本を読んでいるのよ」「な、なんだって!」「そう言ってやるなよ、館長だって、わけもなく本を読みたい気分の時だってあるさ」
「うるっさいぞ、お前ら! さっきから聞こえてるんだよ!」
 背後からの声に、ウォレスは思わず怒鳴った。
 集中しているところに、珍獣でも見るように群がられ、しかも騒がれれば、文句のひとつも言いたくなるというものだ。本を読んでいるだけで、なぜこんなに騒がれなければならないのか。見世物小屋の猿は、こんな気分かもしれない。
 興味津々で覗き込んで魔物たちは、うわー、館長が怒ったー、などと呑気に言いながらも、散り散りに逃げていく。
「ったく……」
 完全に気配が消えたところで、ウォレスは再び本に目を落とした。
 ウォレスは、本館内部にある、連なる小部屋の一室にいた。小部屋といっても天井は高く、圧迫感はない。扉と平行に並んだ長方形の机が六脚、椅子が二十四脚、それぞれゆったりと間をあけて置かれていた。壁際には本がびっしりと詰まっている。勉強や調べ物をするには、丁度良い場所だ。そういった小部屋が、この図書館にはおおよそ百以上もあった。好きなだけ調べ物をしてくださいと言わんばかりだ。ろくに来館者は来ないにも関わらず、である。
 そんな部屋の隅に腰掛け、ウォレスは唸っていた。
 ルチアに勇者を勇者として旅立たせる方法を考えて欲しいと頼まれた夜。ウォレスは考えていた。しかし役に立ちそうな知恵を持っていない。人付き合いの経験自体が皆無なのだから、当然と言えば当然だった。あるのは砂粒ほどしかない己の経験と、世界中から集められた膨大な知識だけだ。
「光の勇者さまは、偉大だなあ」
 感嘆と呆れが混じったような言い方をした。
 ウォレスの目の前には、『光の勇者』が書かれた本が山のように置かれている。
 パライナに生きる人間なら、大抵は知っている有名な物語。史実らしいが、もう物語や神話と呼ばれるほど昔の話だ。その当時も今のような魔王がいて、その闇の魔王を、光の勇者が倒した。全ての物語の基盤になりそうな、ありふれたものである。
 最果ての図書館にも、単純な物語で改作し易いのか、色んな作家や詩人が書いた作品が、少なくとも百冊はあった。
 それらを一通り、旅立ちの部分を重点的に読み漁った。同じような境遇の勇者であれば、同じような苦悩と旅立ちを経験しているかもしれない。それを参考にしようと思ったのだ。しかし、驚くほどに光の勇者は潔かった。彼はどの本でも、剣を掲げて、颯爽と魔王に戦いを挑みに行った。一冊くらい、勇者が旅に出たくないと駄々をこねる話があってもいいではないか。何かしら糸口でも見つかるかと思ったが、まるで参考にならない。
「というかこれ、物語としても面白くないだろ」
 迷わず、戸惑いもしない人間は、果たして人間なのだろうか。確かに光の勇者を神の使い、または神そのものとして扱う本も、少なくない。しかしそれでは、ますます参考にならない。今回の勇者は、恐らく人間だろう。人間だとしたら、どうすれば動き出すのか。
「脅す……は、論外だな。そんなことすれば、町の連中と一緒だ。じゃあ物で釣る、煽てる……どれもしっくり来ないな…………いっそのこと、魔導士の方を説得するとか。いやでもなんて言って? そもそも、勇者も魔導士も、どういう人間か全くわからないんだから、どの手段が有効かなんてわかるはずないだろ……」
 ウォレスがぶつぶつと呟いていると、
「失礼します」
「おわっ」
 背後から声をかけられ、ウォレスは座っていた椅子を大きく揺らした。
 振り向くと、リィリがいた。細い腕で何冊もの本を抱えたまま、微動だにしない。彼女は見た目に反して力持ちだ。
「マスター、言われていた本をお持ちしました」
「ああ、ありがとう。そっちの本は、書架に戻しておいてくれ。伝記の三番。七段目だ」
 リィリから本を受け取りながら、元々机の上に乗っていた本を指した。
「はい。他に御用は?」
「もうない。戻っていいぞ」
「はい、失礼します」
「……あ、やっぱりちょっと待ってくれ」
 机上の本を抱え、部屋から出て行こうとするリィリを、ふとした思い付きで呼び止めた。リィリは呼ばれた直後にぴたりと動きを止めて振り向いた。不満そうな表情は、一切ない。
「何でしょうか?」
「リィリは、やりたくないことをしなきゃいけない時、どうすれば動く?」
「マスターがご命令下されば、リィリは動きます」
 即答だった。
「そ、そうか……それじゃあ、やりたくないって言っている人を、動かすなら?」
 今度はすぐに返事は来なかった。リィリは首を傾げて、考えたままだ。しかしウォレスの質問に対して、何も答えないという選択肢はないらしい。
「……飴を与えるか、鞭を与えるか。リィリは動かしたい人間に有効な方を選びます」
 今度は割とまともな答えが返ってきた。
「飴と鞭か……でも、出来ることなら自ら進んで動くようにしたいんだ」
「でしたら、飴の方かと思います」
「褒美は何が適当だと思う?」
 空を見つめるような動作をして、リィリはしばらく間を置いた。考えてくれているらしい。しかしこの物欲が全くなさそうな少女に聞くのは、酷かもしれない。ウォレスはそう考えて、話を切り上げようとした時、リィリは主人の方を見た。
「目に見えないものの方が、長続きすると思います」
「目に見えないもの?」
「はい。形があるものは、壊れやすいですから」
 リィリにしては、曖昧な言い方だった。
 ウォレスは顎に手を当てながら、リィリの言葉を頭の中で反復した。
 目に見えないもの。
 名声の類だろうか。ルチアが、勇者は正義感が強そうだと言っていたのを思い出す。それならば名声よりも、自尊心と使命感を与えた方がいいかもしれない。光の勇者のように。では、それをどこから出させるべきか。打倒魔王の旅へ出るしかないほど、雁字搦めに出来るような使命感とは。
「確か、勇者は東の方から旅をして来たと言っていたな。ということは、まだ被害の少ない地域か……」
 迷っていても仕方がない。時間がないのだ。
「ゆうしゃ? たび?」
 初めて聞く単語のように、リィリが聞き返す。
「いや、なんでもない。それより悪いけど、また調べ物をするから席を外して欲しい」
「はい、マスター」
 ウォレスが言葉を濁すと、リィリはそれ以上追及することはせず、抱えた本に頭をぶつけるのではないかと心配になるほど深く一礼して、部屋を出て行った。
「えっと、今リィリが持ってきてくれた本の中に、フレイラの情報が書いてある本も頼んでおいたはずだけど…………お、あったあった」
 いつもはただの背景である本たちも、今はありがたかった。
「…………出来ないこともないか」
 ウォレスは、地理や歴史など、とにかくフレイラに関する文献を手当たり次第漁り始めた。時間はないが、下調べは綿密にしなければならない。蝋燭の灯りを頼りに、集中する。
 こうして、夜は更けていった。
 
      *
 
 時間になって鏡の前に立った時も、ウォレスは大あくびを隠そうともしなかった。
「一晩でずいぶんやつれたね。隈、すごいよ」
 ルチアが茶化す。
「誰のせいだ、誰の」
「誰だろう?」
「おい」
「嘘だよ。ありがとう」
 ウォレスがじとりと睨むと、ルチアは微笑んだ。ルチアの目の下にも、薄く隈が出来ていた。
「はあ……ふざけてる場合じゃないんだろ。作戦会議だ」
「良い案は浮かんだ? こっちの状況は変わってないよ」
「一応浮かんだけど、良い案かはわからない。謙遜じゃないんだ。上手くいく保証なんてない。でもやってみるしかない。それでいいか?」
 返ってきたのは、真剣な眼差しと、頷きだった。
「十分だよ。私は何をすればいいの? 何でもするよ」
「それより、ひとつ質問させてくれ。戦闘経験はあるか?」
 ルチアはウォレスの意図することを読み取れず戸惑ったようだったが、ひとまず指先をくるくるまわして見せた。人差し指に夕焼け色のやわい魔力が灯る。ほわりと辺りを照らす、優しい色だった。
「あるわ。けど、フレイラ周辺の魔物としかないし、実戦経験も少ないけど。私、火の魔法は比較的得意なの。師匠にも戦闘実技だけは褒められた」
 つまり他は駄目だったようだ。
「じゃあ、ルチアが守れそうな範囲の子供を連れて、白妙の森に行くんだ」
 ルチアが、驚きの声を上げる。
「えっ、危ないじゃない。あそこに住む魔物は、凶暴化したって……」
 夜が明けきっていない時間帯のためか、はたまたその場の雰囲気からか、ルチアは声を抑えながらも、はっきりと抗議した。
「だからだよ。危ない場所に行って、危ない目に遭うんだ。そこを勇者に助けてもらうように御膳立てする」
「それで、どうなるの?」
 ルチアは喉に何か詰まったような顔をして言った。
「その二人組は東から来たんだろ? 東の方は、まだまだ魔王の被害が薄い。ということは、魔王の存在が、現実味をおびていないと思うんだ。そこに、現在の状況を目の当たりにさせる。勇者さまとやらは、正義感が強そうなんだったな?」
「う、うん。困った人を放っておけなさそうな人だと思う……けど」
 勇者の姿を思い出すようにして言ったルチアに、ウォレスも結論から言うことにした。
「そこに付け込めば、勇者は今の悲惨な状況を見て、自分がなんとかしなくてはいけないと、旅立つ決意をする。魔物を倒した高揚感も相まって、自分なら出来るような気がしてくる。しかも、弱き誰かを助けることで、反発派を含めた町の連中の尊敬を一身に受けさせるんだ。それには、子供がうってつけだ。あの人が、町の子供たちを救ってくれた、あの人こそが勇者さまなんだと、町中で噂されるくらいに。そしたら、決心が付きやすくなるし、使命感も俄然出てくる。なんせ四方が固まるわけだからな。武器は持っているようだし、仲間もいる。万が一その勇者の剣の腕がへっぽこでも、フレイラ周辺の魔物なら大丈夫だろう。それでも負けるようなら、まあ勇者業は無理だろうな。神託がでたらめだったと思うしかない」
 あえて断言するように、力強く説明してみせる。計画を実行に移すためには、ルチアに上手くいくと信じ込ませなければならないからだ。
 当の本人は、単純なのか、ウォレスの説明を感心したように聞いていたが、
「…………ちょっと待って、それってつまり私が悪者じゃない」
 嫌な部分に気付いてしまったようだ。
「確実にお師匠さまの雷は落ちるだろうな。まあ適当に理由を付けて子供たちを連れだしてくれ。くれぐれも誘拐犯にはならないようにな」
「うー……この間怒られたばっかりなのに」
「さっき何でもするって言ったな?」
「うっ」
「勇者さまに勇者として旅立って欲しいんだろ?」
「ううっ」
 この言葉に、不本意ながらもルチアの心は決まったらしい。
「それで、子供たちは連れて行けそうか?」
「大丈夫だと思う。近所の子供たちとは仲がいいから、度胸試しとでも言えば、男の子は付いてきそう。それか、どうしても欲しい薬草があるから付いてきて欲しいとか。とにかく、その辺はどうにでもなるわ」
 ウォレスは下知するように言った。
「いいか、自分が動ける範囲の人数で行くんだぞ。どれくらい魔物が凶暴化しているか、俺にはわからない。しかも、勇者が来るまで足止めしていないといけない。こんな提案をした俺が言うのもなんだけど、不幸な事態にならないようにしてくれよ」
「うん。子供たちには絶対危害がいかないようにする」
「自分にも、だ」
 強く念を押す。
「心配してくれてありがとう。約束するよ」
 嬉しそうに、ルチアが笑う。
「俺も罪悪感には苛まれたくないからな。それと、勇者に伝達させる係の子供を一人残しておけよ。ある程度時間が経ったら、友達が危険な森に入っていった、約束の時間になっても帰って来ない、危ない目に遭っているかもしれないと言えるような子供だ」
 ルチアはしばらく、子供たちの顔を思い浮かべているようだったが、
「でも本当に勇者様が助けに来てくれるの? いくらその子が勇者様に助けを求めても、この町は、騎士様や冒険者だって大勢いるのよ? それに、子供たちがいなくなったって言えば、町の人たちだって大騒ぎすると思う。気付かれたら台無しになっちゃう」
「なに言ってるんだ。出来るだけ大騒ぎにするんだよ」
「あ、そうね、確かに大騒ぎになればなるほど、勇者様の偉業がそれだけ多くの人に伝わるのね。でもそれって、私の悪評もそれだけ広がるのよね。う、考えるとちょっと頭が痛い」
 頭を抱えこみながら、ルチアが呟いた。
「ルチアの頭痛で世界が救われるなら安いもんだろ。大丈夫、まだあんたは子供だからで許されるぎりぎりの範囲にいる、多分」
 おざなりに勇気づける。
「うう。この痛みがあなたに移るように、呪いをかけておくわ」
「やめろ。魔女の呪いなんて洒落にならない」
 恨めし気な視線を手ではらって、ウォレスは話を続けた。
「それで、どうやって他の人間よりも先に勇者をルチアたちがいる場所まで向かわせるかって話だけど……」
「まさかパンくずでも撒いておけ、なんて言わないわよね?」
「言うわけないだろ。ところであんたは動物魔法が得意だったな」
「ええ、これに関しては右に出るものはいないと思っているわ」
 ルチアが胸を張った。
 これを機に、ウォレスも魔力に関して少々調べてみた。
 一言に魔法と言っても、その魔力の種類や色は様々だ。パライナでは、四大元素を操る基本的な魔法から、空を飛んだり、瞬時的な《空間》の移動であったり、大よそ通常の人間では成し得ない事は全て魔法に分類される。中には、時を操ることの出来る魔女なんかもいるらしい。そんな特殊な魔法は、魔女でさえ生まれ持った素質がなければ習得は難しいという。
 動物魔法は生き物の声を聴くだけではなく、会話をしたり、指示したりすることが可能で、そこらの調教師など目ではない。これを使わない手はなかった。
「それなら、動物に指示することも出来るな。例えば、鳥とか」
 少女の顔がぱっと明るくなった。
「わかった! その鳥に、勇者様を道案内してくれるように頼めばいいのね!」
「ご名答。出来そうか?」
 頭上にある小窓が、じんわりと明るくなってきた。
 ウォレスは欠伸を噛み殺す。普段、夜更かしはしない。
「出来る。友達の小鳥が何羽かいるの。私も昔はよく白妙の森に入って遊んだから、土地勘もあるし。その子たちなら、かなり細かく指示が出せるわ」
「小鳥にまで友達がいるのか」
 噛み殺せなかった欠伸が、口の端に残ってむずむずする。
「大丈夫。あなたを上回るほどの奇抜な友達はいないから」
 どの辺が大丈夫なのだろうか。そう聞き返したくなったが、眠さに負けて無視した。
「まあいいや、その友達の小鳥とやらへの指示は、ルチアに任せる。それから、動物魔法だけど、たとえば、竜も操れたりするのか?」
「竜?」
「白妙の森に封印されし竜。あんたの大好きな光の勇者さまが、当時悪さをしていた竜と闘い、白妙の森のどこかに封印したらしい。知らないか?」
「知ってるに決まってるでしょ。フレイラの人間なら、みんな知ってるわ。むしろ、なんであなたがそんな古い逸話を知ってるのよ」
 ウォレスはそばに積み上げておいた本の、一番上を手に取る。布張りの、大型の本だ。表紙には『白い森と赤い竜』と彫りこまれている。栞代わりの紙切れを挟んであったページを開く。ページの左半分には、白黒の森と、そこに佇む一匹の飛竜が描かれている。竜は無表情だった。
 ルチアの瞳が驚きに染まった。
「どうしてその本を、あなたが持ってるの。それ、持ち出し禁止のはずなのに」
「ここは最果ての図書館なんだから持ってて当然だろ。それより、その竜を操れたりしないのか? 竜を勇者たちにけしかけて、程々に闘わせて、ルチアが竜を退却させれば演出としてはばっちりだと思うが」
「そんなの絶対だめだよ!」
 ウォレスとしては、文献を漁れるだけ漁って考えだした結果なのだが、ルチアは珍しく攻撃的に反発した。
「負けた竜はどうなるの? せっかく大人しく眠っているのに、今度こそ危険だからって退治されたらどうするのよ。かわいそうじゃない。第一、いくら私でも竜を操るなんて出来ないわ。彼らは群れたりしない、孤高の存在だもの。人間の言うことなんて、聞くはずないでしょ?」
 そこまで反論されては、ウォレスも無理強いすることは出来ない。それに、初めからあまり期待はしていなかった。竜による効果は大きいだろうが、その分危険も大きい。竜は魔物ではなく生物だが、万が一魔王の影響を受けて凶暴化していたらまずいことになる。
 素直にこの作戦は諦めることにした。
「わかったよ。じゃあ、こういうのはどうだ。勇者が魔物を倒す。そしたら、ルチアが勇者の背後に光の柱を飛ばすんだ。火の魔法の変化形だからそんなに難しくない。見たところあんたの魔力の色は黄昏色だから、いい具合になると思うんだ。それを見た子供たちが、勇者様が魔物を倒した瞬間光った、後光が射したって周りに吹聴すれば、勇者さまの誕生として中々いい演出になるだろ? ルチアに余裕があるなら、森の上まで光を飛ばせば、町の人間にも見えるだろうし」
 手本を見せるように、指先に力を宿し、青白い光の柱を作る。それは小さな天の川のように、天井付近まで照らした。
 竜の話をした時とは打って変って、ルチアの表情が生き生きとしだした。
「それいいねえ。かっこいいよ!」
「おさらいだ。あんたは子供を連れて、白妙の森に行く。頃合いを見計らって、残しておいた子供が勇者に助けを求める。指示の出来る鳥に、ルチアたちの元まで勇者を案内させる。その間、ルチアは魔物の足止めをしなくちゃいけないからな。結界の効果を持つ護符を持って行くといい。それで、勇者が魔物を倒した瞬間、背後に光の柱を飛ばす」
「うんうん」
「他に質問は?」
 今のうちだぞ、目でそう告げる。ルチアはしばらく考えたあと、
「あなたは、この作戦、上手くいくと思う?」
 そう尋ねた。
 ウォレスは正直、勇者が勇者として旅立とうが、どうでもよかった。神託など信じていなかったし、魔王が今以上の脅威にならなければ図書館には関係ない。いわば、観客のような傍観者だった。しかしそれらは全て、ルチアがいなかった場合の心境だ。
「上手くいく……と、思う」
 自分に言い聞かせるように呟いた。ルチアはにっこりと笑う。
「ウォレスが言うなら、きっと大丈夫だね」
「あんまり俺を過大評価しないでくれ」
 うつむきながら釘を刺すと、ルチアは心外といった口調で言い返す。
「過大評価じゃないよ。信じて待ってくれる友達がいるなら、きっと上手くいくの。そういうものなの。とにかく、私はそうなの」
 そう聞いて、ウォレスはますます顔を上げられなくなってしまった。どんな表情をすればいいのだろう。また口端がむず痒いような気がした。
「何だよそれ。あんたが実技以外やばい理由がわかった」
「失礼ね……それじゃ私、そろそろ行くね」
 スカートの裾をはたきながら、ルチアが立ち上がる。
「反省文、頑張れよ」
「手伝ってね」
「いやだね」
「いじわる。私本当に行くからね」
「ああ。健闘を祈る」
 背を向けたルチアに、ウォレスは軽く拳を向ける。
「まかせて」
 一度振り向いたルチアも応えるように拳を軽く突き出すと、またすぐに背を向けた。少女が鏡の前から立ち去ると、一瞬で鏡は本来の機能を取り戻し、眠たげな表情をした青年を映した。
「…………寝るか」
 役目を終えた青年は誰ともなくそう呟き、自室に戻るべく、鏡の前を後にした。

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