× × ×
 
「黙想ォ――! ……止め。正面に、礼! 先生に、礼!」「ありがとうございました!」
 生徒が座礼をすると、対面に正座する佐々木も座礼を返す。今日は練習に参加しなかったから、黒いジャージ姿だ。身体をぴしりと正し、佐々木は二列に座った生徒たちに笑いかけた。前列には上級生組が、後列には初々しい一年生組が正座している。
「皆さん、今日もお疲れ様でした。……うん。列が二列になると、やはり人が増えた実感があっていいですね。四月も、残すところあと数日。そして今日で、仮入部期間は終わりです。ここにいる皆さんで、今年の部活メンバーは確定しました。改めて、よろしくお願いします」
 城崎俊介は、いつも教室でするように辺りを見回す。
 ぐっと両拳を握りしめている円香が可愛い。ツンとしてる八代は可愛くない。
 けれどそれくらいの愛嬌は多めに見てやる。だって、自分は今年から先輩なんだし。
「……と、いうわけで。少し大型連休のお話をしましょうか。今年も連休頭に、武人錬成会のお誘いを頂いています。ありがたく出させていただきましょう。これは江坂くんと立花さんからもう展開しているでしょうが、一年生もいますし改めて。それと連休終わりくらいに、未定になっていたところがありますね。あそこは皆さんが良ければ、休みとしましょう」
「っしゃぁア!」
 隣の黒瀬が吠える。練習中の声より全然元気すぎて笑ってしまった。
 見ると、他の部員も同じように喜んでいる。やっぱり休みは最高だ。自分もその日は絶対に昼まで寝ていることだろう。城崎は深く頷く。
「それでは、みなさん風邪を引かないように。本日は解散!」
 ありがとうございました、と部員全員が一礼した。

 悠が、光の速さで防具を片付ける。その様を城崎に笑われた。
「なーに急いでんだ? もう練習終わったんだからゆっくりしろって」
「いや、仕事が終わったら早く帰るんだ。俺がかーさんの手本にならないとな!」
「な、なんでそんなに必死なんだ? てかお前さあ、ほんと凄えな! まーじで同じ人間とは思えねえ。ちっと感動した」
「……寂しいこと言ってくれるじゃん、人類。お供えに英語の課題でも写させてくれー」
「英語ならオレよりクロだな。……でも、すげーよ。お前なら、乾だって倒せるんじゃね?」
 悠が腕を組んで、数秒考える。だが、そんな名前に心当たりはなかった。
「いぬい? 誰? はーちゃん、知ってる?」
「…………水上。正気?」
 この世のものを見るとは思えない目で葉月に見られて、極大の精神ダメージを負う。
 もしかして何か、地雷踏んだのか? 悠は冷や汗をかき、もう一度懸命に考えてみる。
「…………あっ。ああ! 思い出した! この前、練習試合に来てた桐桜の子か!」
「いや、それはそれで合ってんだけどさ。……お前、まーじか。まじで知らないのな、最強兄妹。……てか、乾快晴知らないのは百歩譲って、言わないと吹雪ちゃんも思い出せないって」
 二人の、引いた視線。それを浴びて、悠の身体が固まる。嫌だ。この視線は好きじゃない。
 早く道場から出たい。身体はそう叫んでいるのに。
「いぬい、かい、せー?」
 なぜだろう。口が、その名を紡いでしまった。頭に、影絵のようなノイズがちらつく。
「乾快晴。『笑わない男』だ。吹雪ちゃんの兄貴だよ。今、一番強いって言われてんだぞ。ほんとに知らねーの? あいつ全国とか蒼天旗とか、あらゆる大会全部優勝してんのに」
「……ごめん、知らない。俺、公式戦も中一の夏しか出たことないし、時期がかぶらなかったんじゃないかな、多分。……ふーん。お兄ちゃんがいるんだな。ありがと、覚えとくよ」
 既視感の正体は、結局掴めず。悠は、逃げるように道場を去ろうとする。
「なー水上。このあと、クロとか二宮とかとどっか寄るかって言ってんだけど、お前は?」
「悪い。本日の営業はおしまいだ。ちょっと、疲れた。また今度な」
 本当のことだった。悠は排気のように息をついて、体育館の外で立ち止まる。
「……ほんと、ダメだな。練習は上手くやれたのに」
 疲労は身体のせいではないはずだ。この程度の練習、三周してもお釣りが来る。
 なのに色んなものが、靄のように身体を包んでいるような気がした。
 つい、宵空を見上げる。
「おーい、水上くーん。おつとめ、ご苦労さま」
 振り返る。女子副部長の幸村円香が、にこにこ笑っていた。手拭いをだらりと手に下げて。
「あのねえ。ちょっと、教えて欲しいことがあるんだー」
「おっ? どうしました、幸村先輩? この剣道AI、水上悠に教えられることならなんでも! 引き技から投資信託まで、部活に入ったからにはみんなの役に」

「水上くん、部活、楽しくないでしょ?」

 斬られた、と思った。
「あっ、よーやく後輩の顔になったねえ。……よかったあ、一本取れてあげて」
 今日立ち合った誰よりも、彼女が一番、強く大きく優しく見えた。
 言葉が紡げなくなる。そんな自分を見ても、彼女は優しく笑っていた。
「ごめんね。……でも、練成会まで待ってみて。わたし、あれ、大好きなんだ。みんなと一緒に、沢山戦えるから。だから、色んなものが見えてくるようになるの。……君にも何か、いいものとの出会いがあってくれたら、わたし嬉しいなあ」
 後ろから歩いてきた円香が、羽根で触れるように優しく悠の背中を撫でる。
「他人任せにして、ごめんね。……弱くて、恥ずかしいな」
 その手が、震えていた。円香の姿が消えてしまうまで、悠はその場で立ち尽くす。
 こんなに強い人がいるんだ、と思った。
 半端な刀を振り回すだけの自分が、ひどく卑小に思えて仕方なかった。
 
 × × ×
 
「小ぉッ手ぇ―――――――――ええええ…………、ええっ!?」
 嘘や~ん、と三刀愛莉は自分で打ったのに信じられない。吹雪に出小手が入ってしまった。
 ありえん。なんでこんなに簡単なん?「彼女のグチ聞いたげる~」とか言って恋愛相談の流れからそのまま彼氏ぶん取るくらい簡単だった。
 あの乾吹雪が、剣姫が、こんなに簡単なワケがない。
「ふ、吹雪~。今のでラスト一本だったけど……。やり直す、よね?」
「……ううん。わたしの、負け。もういい……」
「カモンアップルサポ~ト! ウイルス入った~! 何もしてないのにこわれた~!」
 今日は藍原が職員会議でいないから、地稽古の雰囲気が気持ち自由だ。
 向こうから、大貫林檎が召喚に応じる。
「き、きさまら情弱はいつもそうだ! 何かしたから壊れるの! 原因しっかり切り分けて! お願い林檎氏は神じゃないインターネットが壊れたってなんなのもうヤダいじめないで……」
 何やらトラウマを刺激されている林檎に構わず、愛莉は吹雪の両肩を掴んでゆさゆさ揺する。
「ど~したの吹雪。もっと足りない足りないしろよ~! あたしが落ち着かないじゃん~!」
 林檎も、吹雪の身に何かあったのかとおろおろし始める。反応を見た。
 宝石のような瞳が、うるうるして今にも泣きそうだ。
「……りんご、あいりぃ……。たすけて……。わたし、変。こわれちゃった……」
 二人に、変なときめきが走る。テクニカルサポートがこれは一大事だと問診に入った。
「ヘ、ヘンとは何? 具体的にいつからどうおかしいか林檎氏に切り分けておしえてほしい!」
 問いかけられて、吹雪は言語化を試みる。両手で心臓を押さえながら。
「で、出稽古から。……試合で負けてから、ボーっとしたり、にやにやしたり、いらいらしたり。……それから、……どきどきするの。打たれてから、胸がいたくて、いっぱいで……」
 二人が顔を合わせる。そして国会答弁のように粛々と、愛莉が手を挙げた。
「三刀ぼーえーだいじん」
「そ、それはですね、いいですかそれはですね。……恋かと、思うのでありますが~?」
 審議結果。……面の中、真っ赤になった吹雪がこくり。
 まるで、溶けてる雪のようだった。
「林檎ォ!」
「全員集める! 練習終わったら、集合っ!」
 
 × × ×
 
「作戦タ――――――――イムっ!」
 認めるッ!
 愛莉の号令のもと、桐桜レギュラー五人娘は部活帰りJKの聖地、サイゼリヤに集っていた。
 本日の乙女会議の主役は、吹雪。驚天動地のイベントに、みんなが目を輝かせる。

「では始めましょうか、皆さん。ええ、落ち着きましょう。まずは紅茶でも一杯」
  桐桜学院主将、柏倉由季は黒髪ストレートの髪を耳にかける。伸びた背筋や話し方からは、隠しきれない気品が滲む。優雅な所作で紅茶を口に運んだ。彼女はまさに、深窓の令嬢。
「あちゅっ! あちゅいですっ!」
 見た目だけは。
 その隣で、由季と二年間を連れ添った相棒がブラックコーヒーを口に運ぶ。彼女の身長は低い。顔も幼い。
「あー、やっぱファミレスのって不味いな。まあ原価から考えりゃマシか」
 でも、中身は大人。桐桜学院の頼れるちっちゃなアネゴ。 
 速水桜子は、カップをテーブルに置いて腕を組む。顔をしかめていた。
「あと、林檎と愛莉の人選ほどマズくもない。なんで男の話なのにアタシらだよ」
「何を言っているのです桜子。男の話といえば、この私。ハンムラビ法典に載っていますよ」
「林檎~。さくちゃん先輩だけで良かったんじゃね~?」
「大丈夫、愛莉以外は皆似たようなもの。林檎氏は様式美って大事だと思うオタクなのである」
「……あの。私、これでも、キャプテンなんですけれど」
 みんな冷たい。
 由季は涙目になるが、今日に限ってはこれ以上言わない。周りを見ると、どうやらみんな同じ気持ちのようだった。にやにやした顔を四つ並べて、彼女に向ける。
「ふーぶーきー♪」

「う……! か、かえるぅ……!」
 吹雪が、沸騰する。
 荷物を持って逃げようとするが、すぐに愛莉と林檎に阻まれた。そしてたたみかけるように三年組に頭を撫でられて身動きが取れなくなる。詰んだ。みんなずるい。
 特に、桜子だ。そんな風に優しく手を握られたら、もう何もできなくなってしまう。
「水上くんだろ? 分かる分かる、あれはちょっとカッコ良すぎたな?」
「林檎氏はなんだか強すぎてフリーズしてしまった。すごく吹雪らしい。かわいい」
 林檎は聖母のような笑みを浮かべている。そんな反応をされると、また恥ずかしくって真っ赤になってしまうのに。
「……う。……うぅ……。やめて……」
 悶えていると、隣で由季が高級そうなハンカチで頬を拭っていた。
「遺憾です……。うちの可愛いお姫様が、突然現れた男に傷物にされてしまうなんて……」
「オマエはもう少しダメージ仕様になったらどうなんだ。……なあ、吹雪。教えてよ。水上くんの、どこが良かっ――」
「は、はじめてだったの! お兄より強いかも、って思える人!」
 ああ、やっぱりうちのお姫様はこうじゃないと。
 みんなが顔を合わせて笑う。そして吹雪には、それがやっぱり照れくさいのだろう。全身を動かして言い訳していた。
「ま、まだわからないから! わたし、ひ、人を好きになったこととか、ないから。これが……その、……こぃか、……どうとか、わからないもん! か、勘違いしないで!」
 全く、どこまでもほっとけない魔性の女。
 由季たちは頭を撫でながら、吹雪のために骨を折ることをすぐに決めた。
「でも、会いたいんでしょう? ……頑張りませんと。まずは、情報収集からですね」
「それはそうだけど、どっから集めんだ? やっぱり、藍原せんせーか?」
「待って欲しい! 鬼畜氏は敵の可能性が大! あのふたりの雰囲気、林檎氏の同人ビッグデータがなんだか怪しいと警鐘をリンゴン鳴らしており……」 
「ハッハッハ。心配ご無用~。そこでこの愛莉さんの人間関係が、役に立つんじゃ~ん」
 愛莉は、カバンから校則違反のスマートフォンを取り出す。そして過度に発達したJKスキル、高速両指フリック入力で奴を呼び出した。大体十五分後くらいだろうか。
 すぐに不用心なバカが釣れた。
「愛莉―! 来たぞー! ひっさびさに清船中のみんな……は……どこ?」
「よ~、二宮。あんたバカだからほんと好き~。ま~座りなよ。……座れって」
 出会って五秒、いきなり拉致。
 怖い笑顔の桐桜五人娘に囲まれ、千紘は椅子に座らされる。身動きができなかった。
「な、何!? 何よ!? うち、なんかした!?」
「あんたに罪はないけどさ~。……洗いざらい、吐いてもらおうじゃん?」
「お願いしますよ、二宮さん。悪いようにはしませんよ」
 由季が、メニューを顔の横に持って邪悪に笑う。札束で殴る準備は出来ていた。
 はっ、と千紘が気づく。探る気やな? うちの高校の弱点とかを!
「う、うちは何も喋らへんもん! 絶対! 何があっても! 桐桜には屈せへんからな!」
 巨大な影が、千紘を包む。彼女の背後には、イタリアンレストランにありがちな、『最後の晩餐』の模写が飾られていた。

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