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[千紘]ゆーくん。銀貨三十枚って、今やったら三千円くらいかなあ? おいしかったー!
「……ちっひはさっきから一体何のことを言ってるんだ?」
風呂上がりの悠は、タオルで頭を拭きながら適当に携帯をスクロールする。サイゼには勝てなかったよとか訳の分からないことを始め、好きな食べ物、異性のタイプに好みの服装。それから、ぐっとくる異性の仕草は何? とか。色々。
「まあ確かに、耳に髪かけんのとか、授業だけ眼鏡かけるとか、そういうのは好きだけど」
そんなの別に、中身を好きになんなきゃあってもなくても同じじゃね? と心底思う。
むしろ刺さったのは、中盤あたりに紛れてきたこの質問だ。
[千紘]結婚するなら、どんな女の人がいい?
「……家庭を顧みる人、ってのは贅沢かな?」
零時前、一人きりの食卓で苦笑する。人間、無いものねだりがしたくなるものだ。
「別にもう、気にしてないのにな」
千紘との会話を閉じて、だいぶ前に既読が付いた母への会話を開いた。
[Yu.M]防具のこと、怒ってないよ。部活もしっかり楽しんでるから。
今日はパスタ二種だから、早く帰っておいでよ。ソースから作ったぞ?
明後日は練成会。ということは、今日は連休の真っ最中だ。なのに。
[母]ありがとう。でもごめんなさい。今日は仕事で帰れそうにない。先に寝ていて下さい。
「……すーぐ仕事に逃げる。母親失格だぞ?」
普段言えない軽口も、独り言ならいくらでも言える。でもまあ、仕方ないかなとも思う。
「俺も人間、下手くそだもんな。……そこはやっぱり、親子かな」
ぎくしゃくした関係も、喧嘩して無くなってしまうよりかはずっといい。
殴り合ったら最後、目の前から誰もいなくなってしまう。
それだけは、嫌だった。
「……ん? なんだ? 瞳?」
ぴこん、と通知音。バナー表示された新着メッセージをタッチした。
[藍原瞳]言うの忘れてたけど、この前の動画、乾にあげちゃった。事後承諾めんごー♪
「鬼かよ……」
自分が負けた動画渡すとか。しかも、あんな屈辱的な内容。自分ならデータを破壊する。
「あんなの見て喜ぶやつ、よっぽどの変態だろ……。絶対友達になりたくないな」
リビングの電気を消し、自室に戻る。本日は、閉店。
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「ああ、無限に見られるなぁ……。もっかい見よ」
乾快晴は、いつかの妹と同じ不気味な顔で、練習終わりに動画を見ていた。明日の練成会に備え、防具袋と竹刀袋でいっぱいの秋水部室はとても狭い。なのに快晴がそんなだから、他の部員がドン引いて、橋倉のスペースまで寄ってくる。
「おい、狭めーだろ影下! 瀧本! 男が汗臭い身体で寄ってきてんじゃねー! 殺すぞ!」
「だだだって乾センパイがなんか壊れてて怖いんすもん! 保険呼びましょうよ!? 誰かー!」
頼れるね、の先輩の隣で震えているのは一年の影下彰だ。常にクラスの中心に居そうな、瞳の茶色いその少年は、実は溢れんばかりの才覚を期待されている特待生だ。中学三年時からレギュラー内定と呼ばれていて割と怖いものナシだった彼にも、コレは別格だ。
「お、俺も流石にこれはアウトじゃ……。気持ちが悪ぅなる」
そして、一年時からレギュラーを守り続けてきた主将の瀧本龍伍もそれは同じのようだ。筋骨隆々の百九十超えの体躯とハゲ頭は秋水高校のトレードマークで、よく『技の橋倉、力の瀧本』と並び称されていたものだ。不気味に携帯を見て笑う、『笑わない男』が入部するまでは。
橋倉がまた仕事を増やされ、ため息をつく。
単身、快晴にクレームを付けに行った。
「おい快晴、さっきから何見てんだよ。逸品か? 裏ルートにしか出回ってないヤツか?」
「はい。妹モノです。乱暴されちゃう感じの」
「そ、それは流石に……業が深すぎねーか?」
ジャパニーズ、HENTAI。橋倉は色白の身体を震わせた。
けどまあ、こんだけ強くて容姿まで整ってやがるんだから、せめて性癖の一つや二つ、手が付けられないくらい捻れてないとバランスが取れない。
橋倉は怖いもの見たさで、後ろに回り込んで動画を覗き込んだ。その様子を、影下と瀧本はそおっと見守ることにする。
変遷は面白かった。初めは、露骨にがっかり。
「んだよ、剣道かよ。おめーやっぱ変態すぎだろ……」
次は、ぱっと明るく。ちょっとの希望。
「お、吹雪ちゃんじゃん。なんだよ、妹モノってそういうことか」
その次。眉をひそめて、画面に顔を近づける。
「……ん? こいつ、誰……」
そして最後。まるで呪いのビデオでも見たように、顔を驚きとわななきに染めた。
「……あ、あ、あ……。ああ―――――っ!? こ、こいつ……、御剣じゃねーか!」
その名を聞いて、瀧本の巨体が跳ね上がる。電流が流れたようだった。
「何っ!? 嘘言うなや!」
「嘘じゃないですよ。……ああ、良かった。やっぱり先輩たちも、彼を知ってるんですね」
「馬鹿野郎! 俺っちがこいつのこと忘れるわけねーだろ! は、なんで、はぁっ!?」
快晴が、なぜか誇らしげ。
そして橋倉は異常に騒ぎすぎだろと、影下は不思議で仕方ない。
「皆さん、何騒いでんすか? その『ミツルギ』とかいう人、強いんです?」
「つっ、強えなんてもんじゃねえよ! 鬼神だこいつは! 中一の夏で全中優勝しちまうような化けモンだぞ! おめーなんで知らねえんだよ!」
「なんでって言われても……。オレにとって、全中覇者は常に乾センパイですよ?」
瀧本が、続いて快晴の動画を覗き込む。偉人の生前映像を見るかのように、唸った。
「ほんまに御剣じゃ。生きとったんか……。影下は、知らんのも当然じゃの。アイツは、蒼天旗しか出んかったからな。中一の夏に三位、冬に準優勝。中二の夏は棄権で冬は優勝。けど三年からは、どこにも出とらん。辞めたとも、事故や病気で死んだとも言われとった」
「……いや。いやいやいや。そんな強いのに、なんで大会出てこないんですか?」
「僕にも分からない。……けど、今となってはどうでもいいんだ」
快晴は携帯をしまい、今度は練成会のプリントを手に取った。参加校の欄を見て唇が緩む。
「会える。……ずっと、待ってたんだ」
剣道の予定なのに、明日が楽しみで仕方なかった。