その戦場に、死者はいない。
『――それでは、本日の戦況をお知らせします』
『第十七戦区に侵入した帝国軍無人機、〈レギオン〉機甲部隊は、我がサンマグノリア共和国の誇る自律無人戦闘機械(ドローン)〈ジャガーノート〉の迎撃により壊滅的損害を受け、撤退。我が方の損害は軽微、人的損害は本日も皆無であり――』
サンマグノリア共和国第一区、共和国首都リベルテ・エト・エガリテのメインストリートは、十年近くにも渡る戦時下とは思えぬ平和さで美しさだ。
彫刻に飾られた白亜のファサードが壮麗な、古めかしい石造りの高層建築(ビルディング)群。街路樹の緑とアンティークな鋳鉄の黒い街灯が春の陽光と青い空に絵画のようなコントラストを成し、街角のカフェには生来の銀髪を輝かせて学生や恋人たちが笑いさざめく。
市庁舎の青屋根で誇らしく翻るのは革命の聖女マグノリアの肖像と共和国国旗の五色旗で、それは自由と平等、博愛と正義と高潔を現す。広々と作られて郊外までまっすぐ延びる、綿密な都市計画に基づいたメインストリートと、歪み一つない精緻さで石畳の敷かれたそこを行きかう人々の、最新モードの春物の衣装の華やかな色彩。
月の銀色の瞳を輝かせた幼い男の子が、両親と手を繋いで楽しげな高い笑い声で行き過ぎる。
おめかしして、お出かけだろうか。微笑ましく親子連れの背を見送ったレーナは、白銀色の双眸から微笑を消すとホロスクリーンの街頭テレビに目を戻した。
共和国軍女性士官の紺青のブレザーの軍服。十六歳の少女らしい白雪の美貌は硝子細工の繊細さで、良家の出を如実に語る優雅な身ごなし。緩く巻いた、繻子の輝きの白銀の髪と長い睫毛にけぶる同じ色の大きな瞳は、共和国の誕生以前よりこの地に住まう白系種(アルバ)の一つにしてかつての貴種、白銀種(セレナ)の血を純血で受け継ぐその証だ。
『有能なる指揮管制官(ハンドラー)の管制の下、高性能の無人機(ドローン)に戦闘を行わせることで、危険な最前線に人員を投入することなく国防を可能とした共和国の人道的かつ先進的な戦闘システムの有用性は、このように疑いようがありません。亡国の悪しき遺物を共和国の正義の機構が打ち破る日は、二年後の〈レギオン〉全停止を待たずして訪れることでしょう。サンマグノリア共和国万歳。五色旗に栄光あれ』
雪白の髪と目をした雪花種(アラバスタ)の女性キャスターの誇らしげな微笑に、レーナは顔を曇らせた。
楽観的というより非現実的な戦況報道は開戦直後から繰り返されたいつものことで、多くの市民はそれを疑うこともない。開戦からわずか半月で国土の半分以上を放棄するまでに押し込まれた戦線を、九年経った今でも共和国は押し返せていないというのに。
それに。
一見一幅の絵画のような、春の光の大通りを振り返った。
女性キャスター。カフェの学生や恋人たち。首都の目抜き通りを行きかう沢山の人々。すれ違った親子連れや、もちろんレーナ自身さえ。
世界初の近代民主制国家であるサンマグノリア共和国は、その喧伝として他国からの移民を奨励し、積極的に受け入れてきた。共和国は古くから白系種(アルバ)の暮らす地で、他国には別の色をした民族が住む。夜を纏う黒系種(アクィラ)、光の金色の金系種(アウラータ)、紅い色彩の華やかな赤系種(ルベラ)に青い瞳の涼やかな青系種(カエルレア)。様々な色彩の有色種(コロラータ)の、その全てを平等に迎え入れて。
けれど今、その首都の目抜き通りを行きかう誰にも、それどころか首都全体、八五ある共和国行政区のどこにも、銀髪銀瞳の白系種(アルバ)以外の色を持つ者はいない。
そう。今、戦場には公式に人間と扱われる兵士も、戦死者と数えられる死者もいない。
けれど。
「……誰も死んでいないわけじゃないのに」
王政時代の宮廷であるブランネージュ宮殿の一角、絢爛華麗な後期王政様式の国軍本部がレーナの行き先で、ここか行政区全体を囲む大要塞壁群〈グラン・ミュール〉が、共和国軍人全員の配属先だ。
グラン・ミュールの外、要塞群から更に百キロ以上も離れた前線に配属される軍人はいない。前線で戦うのは無人機(ドローン)――〈ジャガーノート〉だけで、その指揮は国軍本部の管制室から。総勢十万余の〈ジャガーノート〉とその後方の対人・対戦車地雷原、自律式地対地迎撃砲で構成される防衛線は一度として破られたことはなく、当然グラン・ミュール配備の部隊も一度の戦闘も行ったことがない。その他の職務も兵站に輸送、分析に作戦立案の書類仕事の類だから、今の共和国軍人に真の意味での戦闘職は一人もいない。
すれ違った士官達の、露骨に漂う酒臭さに眉を顰めた――また、司令室の大スクリーンでスポーツ観戦でもしていたのだろう。戦闘を行わないから戦争も他人事だと思うのか、今が戦時だという認識は軍の中でさえ欠如しがちだ。
「貴方たち――」
「おはよ、レーナ」
横から声をかけられて、振り返ると同期のアネットだ。
研究部所属の技術大尉で、唯一の同い年の同期で、中等学校以来の友人の。
「……おはよう、アネット。いつもは寝坊なのに、ずいぶん早いのね」
「帰るとこよ。昨日徹夜で。……さっきのバカ連中と一緒にしないでよ、あたしは仕事。この天才、アンリエッタ・ペンローズ技術大尉にしか解けない難問が持ち上がってね」
ふわあぁとアネットは猫のように欠伸をする。ショートカットにした白銀種(セレナ)の白銀の髪、同じ色で吊り気味の大きな双眸。
挨拶の間に遠ざかった酒臭い一団を一瞥して、アネットは肩をすくめた。馬鹿の躾け直しなんか時間の無駄。そう雄弁に語る白銀の瞳に、止めてくれたと察してレーナは顔を赤らめる。
「ああそれと、あんたの情報端末、侵入警報(アラート)ついてたわよ。管制してやれば」
「いけない。……ごめんね。ありがとう、アネット」
「いーえ。でも、あんまり無人機(ドローン)なんかに入れ込むもんじゃないわよ」
む、と振り返りかけて、結局一つ頭を振ってレーナは自分に割り当てられた管制室に向かう。
管制室は無機質なコンソールで半ば埋まるような小さな部屋で、薄暗くひやりと冷たい。待機状態のホログラムのメインスクリーンの淡い光にぼんやりと照らされる、銀色の床と壁。
未来的なデザインのアームチェアにきちんと足を揃えて掛け、華奢なチョーカー状の銀環――レイドデバイスを長い銀髪をかきあげて首に嵌めて、レーナは凛と視線を上げる。
戦線は遠く、グラン・ミュールの遥か外に固定された今、このちっぽけな部屋が共和国八五区内に残された、唯一の戦場だ。
「認証開始。ヴラディレーナ・ミリーゼ少佐。東部方面軍第九戦区第三防衛戦隊指揮管制官」
声紋と網膜パターンの認証を経て、管制システムがスタート。
ホログラムのスクリーンが次々に浮かび上がり、遥か前線に設置された各種観測機器の膨大なデータを表示、メインスクリーンがデジタルマップと彼我の機動兵器を示す輝点(ブリップ)を映し出す。
友軍機(ジャガーノート)を示す青のブリップは七十、レーナ指揮下の第三戦隊が二四に、第二、第四戦隊がそれぞれ二三。敵性存在(レギオン)の赤のブリップは、最早数も知れぬほど。
「知覚同調(パラレイド)、起動(アクティベート)。同調対象、〈プレアデス〉中枢情報処理ユニット(プロセッサー)」
レイドデバイスのうなじ部分に嵌め込まれた青い結晶体が、じん、と僅かに熱を帯びた気がした。物理的な熱ではない。知覚同調(パラレイド)で活性化した神経系が感じる、幻の熱だ。
励起した擬似神経結晶が情報演算を開始。構築した仮想神経を通じて、脳の特定部位――人類が次の進化のために取り置いた、あるいは進化の過程の遥かな太古に忘れ去った、未使用領域(ナイトヘッド)の奥底の一機能を活性化させる。
レーナ個人の顕在意識と潜在意識の、その更に奥。本来意識的にはアクセスできない、人間全てが共有する『人類種族の潜在意識』――集合無意識に『道』が通る。その『道』は集合無意識の海を経由し、第三戦隊隊長機、パーソナルネーム〈プレアデス〉の情報処理ユニット(プロセッサー)の意識に接続。その知覚とレーナのそれを同調させる。
「同調完了。――ハンドラー・ワンよりプレアデス。今日もよろしくお願いしますね」
穏やかに呼びかける。ややあって、一つ二つ年上と思われる青年の『声』が返った。
『プレアデスよりハンドラー・ワン。同調良好』
どこか皮肉な響きを帯びた『声』だ。管制室にはレーナ一人しかいないから、ここにいる別の誰かの声ではない。知覚同調(パラレイド)で同調した聴覚を通じ聞こえたように感じている、〈プレアデス〉のプロセッサーの声だ。
声。
戦時急造の兵器である〈ジャガーノート〉に、音声会話機能などない。感情や意識と呼べるような高度な思考能力もない。
人間という種の集合無意識を経由した、知覚同調(パラレイド)。
敵機甲兵器群に対して設営された防衛線の、対人地雷原。
無人機(ドローン)同士が殺し合う最前線、戦死者ゼロの激戦のそこにいるのは、本当は。
『人間擬(もど)きのエイティシックスに毎度のご丁寧なご挨拶、ご苦労なことですね、白系種(人間)』
エイティシックス。
それは〈レギオン〉に席巻された大陸で共和国市民(人類)に残された最後の楽園である八五の行政区の外、人外領域(第八六区)に棲息する人型の豚。
共和国市民として生まれながらその共和国によって人間以下の劣等生物と定められた、グラン・ミュールの外の強制収容所と最前線で生きる有色種(コロラータ)を指す蔑称である。
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