「……で、受けちゃったの? レーナってばどんだけ物好きなのよ」
さて、担当部隊が変更になるということはそれに伴って色々なものが変更になるということで、知覚同調(パラレイド)の接続対象の設定もその一つだ。
知覚同調開発チームの主任はアネットで、だからレーナの設定変更や調整の依頼は全て彼女がやってくれる。ついでに検査もしてきなよと勧められて、受けて軍服に着替える、その合間。
検査用の不織布のガウンを丁寧にハンガーにかけ、ブラウスのボタンを留めて、レーナは検査室とは強化硝子の壁で仕切られた観察室のアネットに応じる。
王政時代は離宮であった研究棟は、外観は瀟洒な中期王政様式だが内部は少々趣味走った未来的な作りで、金属と硝子を多用した無機質さがいかにもらしい。一面の硝子壁に展開しては流れていく、熱帯魚や珊瑚礁の映像ウィンドウ。
「だって、どうせ作り話でしょう、アネット。仕事をしない口実の」
両のストッキングを靴下留め(ガーター)で留めながら、レーナは唇を綻ばせる。知覚同調使用に関する定期検査はきちんと受けているのに、心配性なんだから。
「自殺した奴がいるってとこはほんと」
硝子壁とホロスクリーンの向こうで、変更後の設定値をレイドデバイスに入力していたアネットはマグカップのコーヒー……というか濃すぎて泥水的な何か……を啜ってから言う。
「死霊がどうとかは暇なおっさんの与太だと思うけど。散弾銃で自分の頭吹っ飛ばしたって」
スカートを着け、上着を羽織り、襟元を留めて振り返る。身をかがめた時に肩から滑り落ちた銀髪を片手で背に払った。
「……本当に?」
「知覚同調の不具合じゃないかって、調査依頼がうちにも来たから。辞めてく分にはともかく、流石に自殺ってなると世間的にもね」
「どうだったの?」
アネットは飄然と肩をすくめた。
「さあ」
「さあ、って……」
「本人死んでんだから詳細なんか調査しようがないわよ。レイドデバイスには異常なし、それで終了。どうしてもってんなら、〈アンダーテイカー〉だっけ? そのプロセッサー連れてきてって言ったんだけど、輸送部のバカどもが『当フライトには豚の席はありませんー』って」
憤然と腕を組んで背もたれに凭れて鼻から息を吐く。折角ボーイッシュな美人なのに、そういう態度をしょっちゅう取るものだからあんまり女性らしくない。
「連れて来さえすれば頭でも何でもバラして調べてやったのに。まったく」
露悪的に過ぎる言い草に、レーナは眉を寄せた。もちろん本気でないのは分かっているが、流石に聞き苦しい。
「……その、プロセッサーの方の話は、」
「あたしじゃなくて憲兵部の奴が、ね。報告書はもらったけど、本当に形式程度よ。心当たりはありませんとか言われておしまい。ほんとはどうだかわかりゃしないけど」
言って、アネットは皮肉気に口の端を吊り上げた。
「ハンドラーが死んだって伝えたら、たった一言、そうですか、って。だからどうしたって口振りだったって。ま、エイティシックスだもん。仮にも上官が死んだっていうのに、その程度なのよね」
「……」
沈黙するレーナに、ふと、アネットは笑みを消した。
「……ねえ。レーナもやっぱり、研究部に来なよ」
「?」
きょとんと瞬いたレーナに、猫のように吊った双眸が向く。思いの外に真摯な、白銀の瞳。
「今の軍なんて、完璧ただの失業対策じゃない。研究部(ウチ)はまだしも、他の部署なんて仕事にあぶれた高番号区のバカばっかりで」
共和国の現行政区は第一区を中央に、中心つき四角数の形で付番される。番号が高くなるごとに居住環境と治安、教育水準は悪くなり、失業率も高い。
「二年後に〈レギオン〉がいなくなって、その後どうすんのよ。平時に『元軍人』の肩書きなんて、潰し利かないよ」
レーナは微苦笑する。
〈レギオン〉は全機が二年後に停止する。
鹵獲した何機もの〈レギオン〉を調査して判明した事実だ。彼等の中枢処理系には変更不可の寿命が設定されていて、バージョンごとに五万時間、およそ六年弱。万一の暴走時の保険だったのだろう。
帝国が四年前に滅びたと推定される以上、二年後には全〈レギオン〉は中枢処理系が崩壊して稼働を停止する。実際前線で観測される〈レギオン〉の数は、ここ数年減り続けている。最後の更新(アップデート)を受けられなかった機体が壊れ始めているものらしい。
「ありがとう。でも、今は戦時だもの」
「だからって別に、あんたがやらなくたっていいじゃない」
アネットも譲らない。入力を終えたホロスクリーンを手を振って消して、身を乗り出す。
どこか忌々しげに吐き捨てた。
「真偽はどうでも、そういうまともじゃないプロセッサーが相手よ。何があるかわかったもんじゃないわよ。……知覚同調にしたって、本当に安全かどうかなんてわかりゃしないんだから」
レーナはちょっと、目を瞠った。
「……知覚同調は、安全性が完璧に証明されていると、」
口が滑ったらしい。アネットはしまったという顔をして、声を潜めて続けた。
「だって、レーナ。この国よ? 表向きはそうでも、そんなのとりあえずの、ってだけで」
優良種を自称する共和国は、自国の技術にいかなる瑕疵も許さない。実際にはあっても、認めない。知覚同調しかり、……〈ジャガーノート〉しかり。
「実際はそういう、超能力? がある人達を観察して、脳のこの部分が活性化すると知覚同調が使える、ってことがわかってるだけなの。……これもそう」
片手でレイドデバイスをつついた。青い結晶体と、華奢な銀の本体。結晶体には今は情報端末から伸びるコードが幾本も接続されて、内部の情報を書き換えている。
「その元々の『能力者』が親兄弟間で同調できたから、ハンドラー側とプロセッサー側のデバイス両方に二親等相当の擬似遺伝子情報組み込んでるってだけで。何でそれで同調対象になるのかは、よくわからないのよ」
「でも……元はお父さまの研究なのでしょう?」
「共同研究だもん。基礎理論っていうか仮説は全部研究相手の構築で、父さんは環境の準備と、募集した被験者で現象再現するのが担当だったから」
「なら、研究相手の方に確認すれば」
アネットは、その時、ひどく冷えた目をした。
「無理。……エイティシックスだったから」
人間ではないエイティシックスは名前が記録されず、ただ収容時に割り振られた番号でのみ管理される。どの強制収容所に隔離されたのかも、今となってはもう知る術はない。
「今のレイドデバイスは安全装置があるからそんなことは起きないけど、例えば視覚を複数対象と同調したら脳が過負荷で焼き切れちゃうし、同調率最大で長時間同調してると自我崩壊しちゃう。活性しすぎても『帰って』これなくなるし……知ってるでしょ、父さんの事故は」
「……」
アネットの父親であるヨーゼフ・フォン・ペンローズ博士は、知覚同調理論とレイドデバイスの完成直後、実験中の事故で狂死した。
レイドデバイスの神経活性率が、誤って理論上の最大値に設定されていたのだという。集合無意識の更に下の『何処か』、人類を『個』とした場合の『全体』――世界そのものの集合無意識にまで、潜ってしまったのではないかとも。
「長期使用でどういう影響が出るかもわからないんだから。……エイティシックスはすぐ死ぬから別にいいけど、あんたは何かあったら、困るでしょ」
む、とレーナは反射的に顔をしかめた。アネットは純粋に、心配してくれているだけと分かっているけれど。
「それは、でも、……卑怯なことだわ」
果たしてアネットは聞き飽きたと言いたげにぞんざいに片手を振った。
「はいはい。あんたもほんと、物好きよね」
一瞬気まずい沈黙が硝子壁の両側に満ちる。
かき消すように、不意にアネットはにやりと笑った。
「物好きついでに、レーナ。シフォンケーキ食べてかない? 新作。卵本物」
「えっ」
途端にぴょこんと見えない猫耳を立てたレーナに、アネットは笑いを噛み殺した顔になった。
レーナだって女の子だ。甘いものには無条件で心惹かれるし、大量の卵白を使用するシフォンケーキは、養鶏場を作る余裕もろくに無い今の共和国では大変な贅沢品だ。やはりかつての貴族階級で、大邸宅の広い庭で鶏を飼えるペンローズ家のご令嬢だからできる趣味である。
ただし。
「ええと……それは入っていないチーズの味がするとか、黒い煙を吐きそうとか、見た目がその……カエルに似てるとか……そういうことはないわよね……?」
ちなみに以前アネットがシュークリームを作った時の試食者の感想である。
最後のは正確には、『ぶくぶくに肥ったヒキガエルの轢死体』と言っていた。形状はともかく何故か色までそっくりだったのだとか。
「今あるのは大丈夫よ。昨日見合い相手が来やがってそいつで実験済みだから」
試作五号あたりで泡吹いて撃沈したが。
「ならいいけど……いくら気に入らなくても、その方にもまともな新作も分けてあげてね」
「もちろん。わざわざ可愛くラッピングまでしてあげたわよ。ピンクの包み紙でリボンで、キスマーク付きのメッセージカードに『愛しのテオバルトへ』って書いて、愛人と同棲してるアパルトメントのポストに」
「……」
気の毒に、と思うべきなのかどうか、レーナは迷った。
ケーキと紅茶とアネットとのおしゃべりを楽しむ間にデータ書き換えの完了したレイドデバイスを、帰宅した屋敷の自室でレーナは首に嵌める。
白系種(アルバ)好みの繊細な装飾紋様の施された、見た目には瀟洒なチョーカーのような優美な銀の環。演算用の擬似神経結晶を飾りの小粒の結晶体が取りまいて煌めく様は、ヘッドセットや咽頭(スロート)マイクと同じ軍用の通信機器とは思えない。
ふと、昼間の話を思い出した。
死神。自殺者さえ出している。人の死をどうとも思わない、――エイティシックスの。
どんな、人だろうか。
わたしたちを、――やはり、嫌っているのだろうか。
一つ首を振り、ふ、と短く息をついた。
よし。
「――アクティベート」
知覚同調を起動。距離も天候も地形の影響も受けない、起動の場所も時間も選ばない画期的な相互通信手段。
接続完了。問題なし。さわさわと、この部屋の音ではないごく微かな雑音。
「ハンドラー・ワンより、スピアヘッド戦隊各位。――初めまして。本日より、貴方がたの指揮管制を担当いたします」
戸惑うような、間が空いた。
それをレーナは哀しく感じる。
担当した戦隊の誰もが、着任に際しこうして挨拶すると、一様に戸惑う。
本来なら同じ人間同士、当たり前のことのはずなのに。
困惑の気配は一瞬、同調した聴覚の向こうで、静かな、ごく年若い声が応じた。
『初めまして、ハンドラー・ワン。こちらはスピアヘッド戦隊戦隊長、パーソナルネーム〈アンダーテイカー〉です』
不吉な異名や噂とは裏腹、耳に心地よい正確な発音と発声の、深い森の湖水のように静穏な声だった。元は中流以上の家の出ではないかと思わせる、おそらく同年代の少年の声。
『ハンドラー交代の通達は承っています。本日よりよろしくお願いいたします』
寡黙な性情を容易に想像させる淡々とした声音に、レーナは微笑んだ。
そう、こうして直接会話をすればすぐにわかる。誤魔化すことなど絶対にできない。
彼らは、人間だ。
エイティシックスなどという、人間以下の何かではない。
「こちらこそ。よろしくお願いしますね、アンダーテイカー」
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