86―エイティシックス―


 第二章 白骨戦線異状なし 《3》



 ライデンたちが基地に戻ると他の一七機はすでに出撃準備を終えていて、格納庫の入口に最も近い位置にある自機の前でセオが根性悪の猫みたいににやーっ、と笑う。

「おっそいよ、ライデン。地雷でも踏んだんじゃないかって心配してた」

「遅くねぇよ。それから、まだ冗談に地雷はやめろ」

「あ。ごめん」

 自走地雷で吹っ飛んだクジョー。この戦隊を編成して二月、クジョーは三人目の戦死者だ。

 プロセッサーの損耗率は非常に高い。毎年十万人以上が入隊して、一年後まで生き残るのはそのうちの千人に満たない。それでも生身で肉薄攻撃をかける以外に手がなかった彼らの両親達に比べれば随分ましだ。旧式のロケットランチャーか爆薬を抱いて〈レギオン〉に突っ込むのが唯一の戦術だった当時の損耗率は、日に五割を超えることさえあったという。

 それらに比べればこの隊の損耗率の低さは驚異的だが、所詮、ここも最前線で激戦地だ。

 損害のない戦いなどない。

 死だけはいつも、誰にでも平等で、唐突だ。

「揃ったな。傾注」

 静かなくせに良く通る声がかけられて、全員が姿勢を正す。

 第一戦区の地図の上から透明なカバーを一枚かけて必要な情報を書き込んだ作戦図の前に、密やかに降る月光の気配のように、いつの間にかシンが立っている。

 白皙の容貌に、けれどすっかり馴染みきった砂漠迷彩の野戦服、戦隊長を示す大尉の階級章。こんな時でも外さない空色のスカーフが、その不吉な二つ名の由来の一つだ。

 ああして隠しているだけで、あの死神は首なんかとっくに無くしているんじゃないか。

「状況を説明する」

"死神"の異名を持つ戦隊長の、冷えて冷徹な紅い双眸が隊員達を映す。



 敵総数から進路、対応する作戦まで、簡潔だが異常に明確なブリーフィングを終え、プロセッサー達は各自の〈ジャガーノート〉に搭乗する。いずれも十代半ばから後半の、まだ顔立ちや体型に幼さの残る少年兵ばかり。

 足りない最後のパーツをキャノピの奥に組み込んで、二一機の機甲兵器が束の間のまどろみから目を覚ます。

 有人搭乗式自律無人多脚機甲兵器、M1A4〈ジャガーノート〉。

 節足状の細く長い四本の脚部。蛹じみた有機的なフォルムの小さな胴部。古びた骨の色をした白茶の装甲で身を鎧い、格闘用サブアームの重機関銃二挺とワイヤーアンカー一対、背部ガンマウントアームの五七ミリ滑腔砲。

 全体のシルエットは徘徊性の蜘蛛、一対の格闘アームと振りかざした主砲砲身は蠍の鋏と尾のような、彼らエイティシックスの相棒にして最期の寝床だ。

 伏撃の埋伏地点として選んだ廃都市の崩れ果てた教会の陰、潜ませた〈ジャガーノート〉の狭苦しいコクピットで、シンは瞑目していた紅い双眸を開ける。

 メインストリートにキルゾーンを設定し、その周囲に戦隊の各小隊を射線が重ならないようずらして配した、包囲網の一角。前衛担当の第一(シン)・第三(セオ)小隊と火力拘束役の第二(ライデン)・第四(カイエ)小隊がそれぞれ前衛・火力拘束で組んでメインストリートの左右に、榴弾装備の第五(ダイヤ)小隊と狙撃班の第六(クレナ)小隊がストリートの終端に、各自の〈ジャガーノート〉を伏せさせている。

 お粗末な解像度の光学スクリーンに見るともなしに目を留めたまま、感知した敵機の数と隊形に目を細めた。

〈ジャガーノート〉のコクピットは戦闘機のそれと相似し、多数のスイッチ類の配された左右の操縦桿(スティック)と各種液晶表示式計器(LCD)。唯一の違いは防弾硝子の風防ではなく装甲板のキャノピに鎖されるために機体外を全く視認できないことで、三面の光学スクリーンと情報表示用のホロウィンドウがその代わりを務めるものの、暗闇と閉塞感を緩和するには至らない。棺桶、とはよく言ったものだ。

 敵部隊の隊形は教則通り、そして想定通りの菱形隊形――直衛を従えた偵察隊の後方に、四個部隊がそれぞれ菱形の頂点を成して進軍する機甲部隊の典型的な進撃隊形だ。兵数・性能においてこちらを遥かに凌駕する〈レギオン〉は奇策の類を用いることはなく、その戦術は比較的読みやすい。

 予測されたからどうということもないから、相手を上回る大戦力の投入が、古より変わらぬ戦術の定石であるわけなのだが。

 倍、などという生易しい比率では利かぬ、〈軍団(レギオン)〉の名そのままの大群は、けれどそれもいつものこと――まともな軍隊なら無謀、絶望的と作戦立案段階で回避策が模索される、寡兵による圧倒的多数との死闘が〈ジャガーノート〉の、彼等エイティシックスの戦闘だ。

 ふと、昔誰かが読んでくれた聖典の一節が、記憶の奥底から浮かび上がった。

 誰か。

 もう顔も声も上手く思い出せない。

 最後に見た姿と最期の声に、塗り潰されてわからない。

 言葉だけを覚えている。

 ――主、悪しき霊に問うて曰く。



 知覚同調の向こうで、ごく微かな雑音にすら紛れるようにシンが何ごとか呟くのが聞こえて、ライデンはコンソールに両足を投げ出した姿勢から身を起こす。瓦礫に潜む今はメインスクリーンはコンクリートの灰色に埋まり、受動探査(パッシブ)に設定したままのレーダースクリーン。

 母国語である共和国語ではないから、何と言ったのかはわからなかった。ディキト・エイ・レギオ・ノーメン・ミヒ――それ以上は聞き取れなかった。うんざりとセオが言う。

『シン、今読んでるのってひょっとして聖書? 趣味悪いなあ。しかもそこ引用って最悪だよ趣味悪い!』

「なんつったんだ?」

『悪魔だか亡霊だかが救世主サマに名前聞かれて、数が多いから"軍団(レギオン)"ですって』

 ライデンは黙った。なるほど、悪趣味だ。

 新たな同調対象が知覚同調に加わる。

『ハンドラー・ワンより戦隊各位。――すみません、遅くなりました』

 銀鈴を振るような可憐な声が、同調した聴覚を通じて耳に届く。"死神"に怯えて辞めた前任者の代わりに配属された新しいハンドラーだ。声からして、おそらくは同年代の少女の。

『敵部隊が接近中です。ポイント二○八にて迎撃を、』

『アンダーテイカーよりハンドラー・ワン。認識しています。ポイント三○四に展開済みです』

 淡々とシンが応じ、同調の向こうで息を呑む気配がする。

『早い。……流石ですね、アンダーテイカー』

 本気で感嘆しているらしいハンドラーに、当たり前だ、とライデンは胸中に呟く。シンやこの隊のプロセッサー達の持つパーソナルネームとは、歴戦を示す一種の称号だ。

 大多数のプロセッサーは、小隊名と数字を組み合わせた識別符号(コールサイン)を作戦中使用する。それに当てはまらない名を使うのは、年間生存率○.一パーセント未満の戦場でその絶死の一年を生き延びた古参兵だけだ。死んでいった大多数にはなかった才能と素質、何よりそれを磨き上げる悪運に恵まれた、悪魔か死神に気に入られた化物たち。

 そういう連中は、今度はそれからもなかなか死なない。あっけないほど簡単に死んでいく幾千の仲間を後目に、数えきれない死線をかいくぐって生還する。そんな古参兵に一般のプロセッサーが奉った敬意と畏怖の称号がパーソナルネームだ。自分達では達し得ない高みに達した彼らの英雄に、そして敵と仲間の死を積み上げて闘い続ける戦鬼に対する、せめてもの。

 スピアヘッド戦隊のプロセッサーは全員がこの"号持ち"、それも戦歴四年から五年に及ぶ最古参ばかりだ。城の奥のお姫様の指揮など、無くても別に困らない。

 同時に少し、感心した。

 ポイント二○八は、現時点で〈レギオン〉の襲撃を検知した場合の最良の迎撃地点だ。着任からわずか一週間、ただ善良なだけのお嬢さんではないらしい。

 警告音。

 脚先の振動センサに感。ホロウィンドウがポップアップし、ズームオン。

 前方、ビルの残骸を左右に侍らせるメインストリートの緩やかな勾配の、陽光を負う頂点にぽつりと黒影、次の瞬間稜線全体が鉄色に染まる。

 来た。

 レーダースクリーンが、瞬く間に敵性ユニットのブリップで埋まる。

 機械仕掛けの魔物の軍勢が、侵蝕する影のように廃墟の灰色を塗り潰して歩み来る。

 互いに五〇から一〇〇メートルほどの間隔を置いた、整然たる隊伍。最軽量の斥候型(アーマイゼ)でさえ十トンを超えるとはとても思えぬ、骨の擦れるようなささやかな駆動音とほぼ無音の足音が、数えきれないほど折り重なって葉擦れのようにざあっ……と広がった。

 その、異様と威容。

 三対の脚をせわしく動かし、胴体下部の複合センサユニットと肩上の七.六二ミリ対人機銃を細かく左右に振りながら先頭を進む、人喰魚のように鋭角的なフォルムの斥候型。

 七六ミリ多連装対戦車ロケットランチャーを背負い、一対目の脚先に高周波ブレードの鋭利な鈍色を煌めかせる、六足の鮫じみた獰猛な姿の近接猟兵型(グラウヴォルフ)。

 五十トン級の戦車の車体に一抱えもある八脚の節足を生やし、威圧的な一二〇ミリ滑腔砲で傲然と進行方向を見据える戦車型(レーヴェ)。

 上空に展開する阻電攪乱型(アインタークスフリーゲ)の大群が陽光を遮って曇りの暗さが辺りを包み、〈レギオン〉の血であり神経網である流体マイクロマシンの代謝された残骸が銀の鱗粉か粉雪のように降る。

 斥候型の偵察隊がキルゾーンの内に踏み込む。埋伏した第一小隊の前にさしかかり、気づかずに過ぎる。本隊を先導しながら各隊の前も行き過ぎ、最後尾の戦車型が今、包囲の中に――

 達した。檻に入った。

『撃て』

 シンの号令と同時、あらかじめ担当の箇所に照準を定めていた全機がトリガを引いた。

 初撃は先頭集団に第四小隊が一斉射、ついで最後尾に第一小隊が背後から砲撃。脆弱な斥候型と装甲の薄い後部を撃ち抜かれた戦車型がくずおれ、即座に戦闘態勢を取った〈レギオン〉の隊列に、残りの全機が放った砲弾が突き刺さる。

 炸裂。轟音。引きちぎられた金属片とマイクロマシンの銀色の血が黒炎を背景に飛散する。

 同時に二一機の〈ジャガーノート〉が射撃位置を離脱。

 あるものは遮蔽から出て更に砲撃、あるものは遮蔽物を辿って移動、先に射撃した僚機を狙う〈レギオン〉に側面や後方から砲撃を浴びせかける。その頃には最初の〈ジャガーノート〉は掩蔽に飛び込み、別の敵機の側面に回り込むべく移動を開始している。

〈ジャガーノート〉は、どうしようもない駄作機だ。

 重機関銃弾にもぶちぬかれる薄っぺらなアルミ合金装甲に、履帯式戦車よりはマシという程度の機動性能、戦車型とやりあうにはあまりに火力不足な貧弱な主砲。

 華奢な四本足は歩行制御プログラム開発の時間か技術が足りなかったか(多脚の歩行制御は脚の数に比例して複雑性が増す)、ともあれそのせいで機体重量の割に接地圧が高く、東部戦線に多い湿地帯のような軟弱地盤では足を取られる。シネマやアニメの戦闘ロボットのように跳んだり跳ねたり目の回るような高速で駆けまわったり、あまつさえ飛んだりなど夢のまた夢。思わず笑い出したくなるほどの走る棺桶具合なのである。

 そういう脆弱な〈ジャガーノート〉は、小火器装備の斥候型はともかく近接猟兵型や戦車型とは正面からやり合っても勝てない。複数機で連携し、低い機動力を地形や遮蔽でカバーしながら、装甲の薄い側面や後方に回り込んで狙うのが常道だ。この地で散ったエイティシックスの先達たちが夥しい犠牲を払いながら編み出し、受け継ぎ、磨き上げてまた後進たちに引き継いで、そうやって七年に渡り伝えられてきた戦術だ。

 それを元に数年を戦い抜いたスピアヘッド戦隊のプロセッサー達は、だから誰よりもこの戦い方に慣れている。基本的には連携を組む小隊内で指示も連絡も不要、互いが互いの意志を齟齬一つなく汲みとった協調を以て作戦行動を行える。

 それに。

 ふ、と知らず、獰猛な笑みが口の端を掠めた。

 こっちには、"死神"の加護がある。



 崩落した建築物と瓦礫の陰の薄闇を、首のない骸骨のパーソナルマークを負う〈ジャガーノート〉――〈アンダーテイカー〉が駆ける。

 敵機の射線には寸毫も身を晒さず、けれど己の照準からは決して逃がすことはない。斥候型を、近接猟兵型を、時には戦車型さえ巧みに死角に回り込んで仕留め、僚機の砲撃域に釣り出して殲滅させる。

 敵部隊の連携を掻き乱すため、あえて単機で突出し敵陣深く斬り込むのが、先頭で敵と渡り合う前衛(ポイントマン)の中でも近距離戦闘に特化したシンの役目であり、同時に最も得意とする戦い方だ。

 一時も消えることのない接近警報の赤色光が映り込む血赤の双眸は、敵性ユニットのブリップで埋め尽くされたレーダースクリーンなど最早見てもいない。異名そのまま、戦死者の順を定める死神の冷徹で屠るべき敵機を選定する冷えた眼差しが、ふと、微かな慨嘆に揺らぐ。

 また、自分からは出てこない、か。

 無意味な思考は束の間、自らが引いたトリガのもたらす爆炎に呑まれて消える。次の敵機に視線と意識は移り、射撃の合間に市中に散らばった僚機に最も効率の良い殺戮の指示を飛ばす。

「――第三小隊。交戦中の小隊を誘引して南西に後退。第五小隊は現在地で待機。射撃ゾーンに敵小隊が進入したら斉射で仕留めろ」

『ダイヤ(ブラックドック)了解。……アンジュ(スノウウィッチ)、今のうちにリロードしとけよ』

『セオ(ラフィングフォックス)も同じく。こっちを撃たないでよブラックドック!』

「ハルト(ファルケ)。方位二七〇、距離四〇〇。ビルを超えてくるぞ、顔を出したところを叩け」

『りょーかい。キノ(ファーヴニル)、手伝って』

 遠く、連続する砲声が廃墟の瓦礫を震わせる。

 ビルの壁面を垂直に駆け登る驚異的な機動で上方からの奇襲をかけるはずだった近接猟兵型の群が、飛び降りた瞬間に機関砲の掃射を喰らって空中でずたずたに引き裂かれる。

 次の標的を定めようと視線を巡らせかけ、それの動きに気づいてシンはちらと視線を向ける。

「全機攻撃中止。散開」

 突然の指示に、しかし全機が即応した。どうした、などという間抜けなことは誰も問わない。前線が苦戦していれば〈レギオン〉が投入してくる、敵兵種はあと一つ――。

 ぃぃぃいいいいん、と、接近する甲高い轟音。

 戦場のそこかしこに遥か彼方から飛来した砲弾が突き刺さり、炸裂。灼けた黒土が泡が膨らむように吹き上がる。 

 後方に展開された百五五ミリ自走砲型〈レギオン〉、長距離砲兵型(スコルピオン)の砲支援だ。

 支援コンピュータが弾道を逆算、発射位置を東北東三〇キロ付近と特定するが、そんな遠距離を攻撃できる兵装がこちらにない以上無駄な情報。長距離砲撃には不可欠な、弾着確認の前進観測機の潜伏位置を、地形と敵機の展開状況から推定し――。

『ハンドラー・ワンより戦隊各位。前進観測機の推定位置を送信します。候補は三か所、確認と制圧を』

 ちらっとシンは目を上げた。デジタルマップ上に三つの光点が灯るのを一瞥し、把握している敵機の位置と照らし合わせて、後方のビル群に潜む狙撃手(マークスマン)のクレナに標的を指示する。

「クレナ(ガンスリンガー)。方位〇三〇、距離一二〇〇のビル屋上に四機」

『了解。任せて』

「ハンドラー・ワン。指向レーザーによるデータ伝送は、こちらの位置が特定される恐れがあります。作戦中の指示は口頭のみにしてください」

『っ……すみません』

「次の観測機が出てきます。引き続き位置の特定をお願いします」

 ぱっ、と嬉しそうな笑みの気配が知覚同調の向こうで湧いた。

『はい!』

 声を弾ませるハンドラーの少女にかすかに眉をひそめ、――点灯した接近警報と響き渡る叫喚に、シンは意識を戦場に戻す。



 自軍の損害もお構いなしに――真実無人機同士だからできる戦術だ――撃ち込まれる砲弾の嵐が耳を聾する戦場を、ライデンは次の獲物を探して駆け回る。

 飛び交う火線は、まだ敵機のそれの方が遥かに多い。ばら撒かれる重機関銃弾の一発が致命傷、戦車砲など喰らえばひとたまりもなく木端微塵だ。

 遮蔽物を伝って移動した廃墟の陰に、先客がいた。〈アンダーテイカー〉。弾薬を撃ちきったらしく、〈スカベンジャー〉――やはりというか、ファイドだった――から補充を受けている。

「ちっと多いな」

『カモ撃ちなんだろ。楽しめばいい』

 セオとのやりとりを聞いていたらしい。皮肉を言ってきやがる。

『……確かに思ったより戦車型が多い。補給ついでに合流したかな』

 小雨が降ってきたから傘をさそうか、程度の声音だった。というか、シンが動揺したところなどライデンは見たこともない。多分死ぬ時も、死んでさえもこいつはこのままなのだろう。

『遮蔽が限られる分厄介だ。そのうちこちらの移動パターンも解析される。その前に削っておいた方がいいだろうな』

 ファイドのクレーンアームが弾倉コンテナ全てを交換し、補充完了。〈アンダーテイカー〉が立ち上がる。

『戦車型は受け持つ。その他の相手と、援護の指揮は任せた』

「了解だ、アンダーテイカー。……またアルドレヒトのジジイにどやされるな」

 微かに笑う気配。〈アンダーテイカー〉が廃墟から飛び出す。

〈ジャガーノート〉の最大速度で遮蔽間を巧みに伝い、戦車型の四機分隊に接近。無謀などという言葉では到底足りない、傍目には自殺行為そのものの特攻に、ハンドラーの少女が悲鳴のような声をあげる。

『アンダーテイカー! 一体何を……!?』

 戦車型の一輌が砲塔の向きを変え、砲撃。寸前で〈アンダーテイカー〉は機体を軽く横に振って回避に成功する。更に砲撃。また外す。

 砲撃。砲撃。砲撃。砲撃――人間も兵器も等しく灰燼に変える百二〇ミリ砲弾の連撃を、〈アンダーテイカー〉はことごとく回避して前進する。砲身の向きを見て間に合う機動ではない。経験で培った勘だけが頼りの、首のない白骨が這いずる様によく似た悪夢のようなマニューバ。

 業を煮やしたように、戦車型が機体ごと向きなおる。爆発じみた速度で跳びだし、それ自体凶器のような八脚で地面を蹴りつけて猛進、接近する敵機を真っ向から迎え撃つ。

 鋼の総身の仮借ない重量を驀進させながら足音は皆無、静止状態から一瞬で最高速度に達し、瞬く間に〈アンダーテイカー〉の眼前に迫る。強力なショックアブソーバーと高性能のリニアアクチュエータがもたらす、理不尽なまでの運動性能。

 八脚を溜め、跳躍した。踏みつぶす気だ。今――

 瞬間、〈アンダーテイカー〉が跳んだ。

 戦車型の突撃を横っ跳びに回避し、空中で向きを変えると着地と同時に再跳躍。戦車型に取り付くや脚部関節を足場に瞬く間に砲塔上面に駆け登り、前脚を広げた極端な前傾姿勢でガンマウントアームの主砲を鋼色の装甲に突き付ける。

 見えている中では最も装甲の薄い、砲塔後部上面に。

 撃発。

 信管の最低起爆距離設定(ミニマムレンジ)を消去(キル)した高速徹甲榴弾が装甲を貫通、秒速八千メートルにも及ぶ高性能爆薬の破壊的な爆轟を機体内部に撒き散らす。

 黒煙を噴いて頽れる戦車型から飛び降りた時には、〈アンダーテイカー〉は二機目の戦車型に狙いを定めている。同軸機銃の弾幕を小刻みに左右に跳躍することでかいくぐって近接し、脚部に斬撃――格闘アームの選択兵装だがシン以外に装備している奴を見たことのない、強力だが非常に間合の狭い高周波ブレードの一閃。

 頽れた二機目の上面に砲撃を喰らわせ、沈黙したそいつを盾に三機目の砲撃を防ぐ。爆炎が戦車型の貧弱なセンサを塗り潰した隙に手近の高架にワイヤーアンカーを撃ちこんで高速上昇、敵機を見失って砲塔を彷徨わせる三機目の砲塔に飛び降りて零距離射撃を叩きこむ。

『っ……』

 ハンドラーが絶句しているのが、同調の向こうに感じ取れた。

 このアルミの棺桶の開発者が見れば腰を抜かすか泡吹いて失神するだろう、神業そのものの機動にライデンは目を細める。

〈ジャガーノート〉は本来、こんな戦闘を行う想定で作られていない。火力も装甲も機動力も足りないまま突貫作業で作られた、撃てればいいだけの自殺兵器だ。たった一機で戦車型を、それも続けざまに何機も撃破していくなどありえない。

 無論、代償も大きい。

 ただでさえ脆弱な〈ジャガーノート〉の足回りは限界以上の負荷を強いられて戦闘が終わるころにはがたがたに壊れてしまうし、主力である戦車型を護ろうとする他の〈レギオン〉の集中攻撃の的にもなる。その分ライデンたちが戦車型以外を撃破するのも楽になるから結果的に早く戦闘も終わるとはいえ、正直、何だってシンがまだ戦死してないのかは不思議で仕方ない。死なないどころかもう五年も、こんなやり方で生き残っている化物なわけなのだが。

 もったいねぇ、といつも思う。

 三年、共に戦った。三年間ライデンはシンの副長で、つまりは三年ずっと二番手だった。同じ"号持ち"のライデンにも同じ真似はできない。比肩できたことなど一度だってない――あの首のない死神こそは、掛け値なしの戦闘の天才だ。ただ生き残る悪運に恵まれただけではない、しかるべき時間と装備を費やせばあるいはこの戦場から全ての〈レギオン〉を駆逐する要となったかもしれない、そういう、不世出の英雄の器量だ。

 ただ、シンは生まれるべき戦の時代をとことん間違えた。遥か昔の騎士の時代なら後世に語り継がれる武勲詩の主人公ともなったろうし、最後に人間同士が殺し合った大戦の頃なら、英雄として輝かしい名を永遠に戦史に刻んだろう。

 この馬鹿げた戦場では、そんなものは望むべくもない。

 人の尊厳も権利もなく、死んで入る墓もなければ刻む名前も名誉もない、使い捨ての兵器として死ぬまで使い潰された果てに、戦場の片隅で人知れず散るのが彼らのさだめ。この戦場に果てた幾百万の同胞と同様に、朽ちて還る己の白骨の他に遺すものなど何もなく。

 阻電攪乱型の霧が晴れて陽光が戻る。生き残った〈レギオン〉が、長距離砲兵型の支援を受けつつ撤退を始めた。冷徹な自動兵器達は仲間がどれだけ壊されようと復讐には逸らない。損害数が一定に達し、目標を達し得ないと判断すればあっさりと矛を収めて退くだけだ。

 傾いた太陽の光線が、戦車型の残骸の中に立つ〈アンダーテイカー〉の輪郭に散っている。

 振りかざした古刀の切先に閃く月光のような、それはうつくしさだった。

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