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「ハンドラー・ワンより戦隊各位。レーダーに敵影を捕捉」
その日もスピアヘッド戦隊は全機が出撃で、管制室のスクリーンを見据えてレーナは言う。
「敵主力は近接猟兵型(グラウヴォルフ)、戦車型(レーヴェ)の混成部隊、並びに対戦車砲兵型(シュティーア)の随伴が――」
『把握しています、ハンドラー・ワン。ポイント四七八にて迎撃準備』
「あ……了解です、アンダーテイカー」
敵の配置と対処する作戦を伝えようとして、中途で遮られてまごつきつつ追認する。
ベテラン揃いのスピアヘッド戦隊はレーナの指揮などあまり必要としなくて、このところのレーナの主な仕事は彼らが十全にその戦闘能力を発揮できるよう支援することだ。敵情を分析したり必要な補給を優先的に受けられるよう調整したり、資料庫に日参して担当戦域の詳細情報を漁ったり。
最近は戦区後方の迎撃砲の使用許可を求めて陳情を繰り返す日々だ。射程の長い迎撃砲を使えれば、長距離砲兵型(スコルピオン)の砲支援を多少なりとも抑えられる。随分戦闘が楽になるはずなのだが、使い捨ての迎撃砲は一度撃つと再設置の必要がある。エイティシックスなどのためにそんな手間をかけるのは嫌だと輸送部がごねているせいで許可は出ないままだ。それってもう錆びてんじゃないの、とは、ついそのことを愚痴ってしまった時のラフィングフォックスの弁。
『アンダーテイカー。ガンスリンガー、配置についたよ』
『ラフィングフォックスよりアンダーテイカー。第三小隊も同じく』
着々と各小隊の配置が完了していく。〈レギオン〉の進路が見えているかのような、完璧なまでの伏撃の布陣。
スピアヘッド戦隊のプロセッサー達は、〈レギオン〉の襲撃や進行方向をほとんど予知しているかのように動く。何か、彼らしか知らない予兆や判断基準があるのかもしれない。
これが終わったら聞いてみよう、とレーナは思う。もし他の戦隊でも応用できれば、急襲で死ぬプロセッサーが減らせるかもしれない。貴重な情報が個々の現場での利用で完結して、集約されて蓄積も周知もされないのもこの歪な戦闘システムの大きな欠点だ。
それはともかく、昨晩ようやく見つけたばかりの第一戦区の戦域地図を見ながら言う。
「アンダーテイカー。ガンスリンガーの配置を、ガンスリンガーから三時方向距離五〇〇の位置に移してください。そこからだと隠れますが、高台があります。稜線射撃になりますし、射界がより広くとれるはずです」
一瞬間が空いて、アンダーテイカーが応じる。
『確認します。……ガンスリンガー、その位置からは見えるか?』
『待って、十秒ちょうだい。……うん、確かにある。移動するよ』
「主攻である第一小隊とはほぼ逆方向の位置取りになります。アンダーテイカーの基本戦術である攪乱からの各個撃破に際し、戦闘序盤の本隊位置の欺瞞にも繋がるかと」
ヴェアヴォルフが嗤う。
『要するに囮ってわけか。お姫様みたいな声して、大したもんだ』
「……戦車型、対戦車砲兵型は仰角がとれません。高台にいるガンスリンガーを直接砲撃はできませんし、砲撃位置変更時にも周辺の地形が遮蔽になりますから……」
『勘違いすんな。……悪くねえ案だ、そうだろ、ガンスリンガー』
『みんなの援けになるなら何だってするよ』
はきと答えた少女の声が、うって変わってそっけなくレーナに向けられる。
『新しい地図でも見つけたの? 便利だね』
レーナは苦笑した。このガンスリンガーという少女からは好かれていないようで、日常の同調はしてくれないし、たまに会話をするとあからさまにつっけんどんな態度を取られる。
レーナの手元にある地図はかつて国軍が年月と労力をかけて作成した詳細極まるものだが、戦時下の現在、肝心の防衛拠点である前線基地には置かれていないのだという。代わりに使っているのは以前のスピアヘッド戦隊員が廃墟の何処かから引っぺがしてきた地図で、それに代々書き足しをして運用しているのだとか。そのため迎撃しやすい地点や選ばれやすい進撃ルートはある程度詳しいが、それ以外の地勢については現場の彼らも知らないことが多い。
「後で転送しましょうか?」
戦闘中に送るにはデータ容量が大きすぎるが、終わって落ち着いた時間ならいいだろう。
揶揄の口調でヴェアヴォルフが言う。
『いいのかよ。敵性市民(エイティシックス)に軍事機密の地図なんざ渡して』
「かまいません。活用しないで、何のための情報ですか」
言い切ると、ヴェアヴォルフは虚を突かれたように黙った。へえ、と軽い感嘆を帯びた吐息。
そもそもレーナが段ボール箱の山から発掘するまで所在も不明という未管理の資料なのだ。コピーはもちろん紛失や盗難にあっても把握できないこんな有様で、機密も何もない。
九年前の戦争序盤で正規軍将兵は後方要員に至るまで戦闘に駆り出されて壊滅してしまったため、資料も業務も正しく引き継ぎされておらず、そのまま所在不明となっている資料は多い。
それを問題と捉えて然るべき、まっとうな職業軍人の誇りも、また。
「それから、あなたたちはエイティシックスなどではありません。少なくともわたしはそんな風に呼んだ覚えは、」
『へいへい。……っと。来るぞ』
一気に緊迫が同調の向こうに満ちる。幾人かがどこか愉しそうですらあるのは古参兵の戦慣れか、戦闘に際し大量に放出されているだろうアドレナリンの影響か。
腹底に轟く砲声が、同調を通じて耳に響く。
戦闘はめまぐるしく、〈レギオン〉の赤いブリップを着々と削りながら推移する。
スピアヘッド戦隊は戦域内の原生林を経由して別働隊を迂回させ、火力は高いが機動力・防御力ともに低い対戦車砲兵型を先に殲滅。ついで近接猟兵型と戦車型の混成部隊を原生林内に引きずり込み、分断して各個撃破を重ねていく。障害物の多い森の中では小回りの利かない戦車型は機動力を活かせず、射界も大きく制限される。空間がないから〈レギオン〉は小規模の部隊で分散せざるをえず、圧倒的なまでの数の利も生かせない。
傍目にはまるで手慣れた作業であるかのような、けれど実際にはそんなはずもない戦闘。今も撃たれた砲弾をきわどいタイミングで避けて〈ジャガーノート〉の一機――〈キルシュブリューテ〉が木々の向こうに飛び込み、そのまま戦車型の左側面を狙うべく疾走する。
レーナはぞっとなる。戦車型の位置取りがおかしい。他の敵機の位置からして、そいつはそこにいるはずがない。本来常に念頭に置いて然るべき、互いの援護がそこではできない。
慌てて確認した、進行方向。戦域地図上は明記された、けれどおそらくキルシュブリューテは知らない、見た目には何かで埋もれてしまっているそれ――。
「そっちは駄目です、キルシュブリューテ!」
『え?』
制止は、遅きに失し。
〈キルシュブリューテ〉を示すブリップが、レーダースクリーン上で不自然に止まった。
「っ……。なんだ、湿原……!?」
突然がくりとつんのめっって止まった自機の中、くらつく頭を振ってカイエは呻く。スクリーンの映像では自機の両前脚が半ばまで地面に埋まってしまっていて、それは暗い原生林の中、小さな草地に見えていた湿原だ。接地圧の高い〈ジャガーノート〉が苦手とする軟弱地盤。
後ずされば抜ける。判断し、両の操縦桿(スティック)を握り直して――
『キルシュブリューテ、そこから離れろ!』
シンの警告に顔を上げた。視線に追従して〈キルシュブリューテ〉の光学センサが上を向き。
目の前に、戦車型がいた。
「……あ」
戦車砲弾の最低起爆距離(ミニマムレンジ)内。だから戦車型は最前脚を振りかぶった。冷徹に。挟まれた者がどれほど泣き叫ぼうとも気にも留めずに磨り潰して回る歯車の無慈悲さで。
「いやだ」
泣き出す寸前の子供のような、力ない声だった。
「死にたくない」
唸りを上げて振るわれた、五〇トンもの重量を高速駆動させる巨大な脚が横殴りに〈キルシュブリューテ〉を払い飛ばす。
接合部が弱くて、一定以上の衝撃を受けるとそのまま中身ごと吹き飛んでしまう、プロセッサー達がギロチンと呼んで嫌うクラムシェル型のキャノピが、異名そのままに吹き飛んだ。
刎ね飛ばされたまるい何かが、てん、と落ち、緑陰の向こうに転げて消えた。
絶句したのは一瞬、怒号と悲憤が通信網を錯綜する。
『キルシュブリューテ!? ―――――くそっ!』
『アンダーテイカー、回収に行くわ、一分ちょうだい! あのまま放ってなんかおけない!』
応じるシンの声はひたすらに静かだった。氷に鎖される冬の夜の深い湖水。そのように。
「駄目だ、スノウウィッチ。……友釣りだ。待ち伏せがいる」
カイエを屠った戦車型がまだ近くに潜んでいる。負傷した戦友や死体を餌に、取り戻そうと近づく敵兵を撃ち殺す、元は狙撃兵(スナイパー)の常套戦術。
息をつめたアンジュが、激情に任せコンソールを叩く鈍い音。せめてもと〈スノウウィッチ〉が撃ち込んだ五七ミリ榴弾が〈キルシュブリューテ〉とその周辺を爆炎に包み込む。
「キルシュブリューテは戦死。キノ(ファーヴニル)、第四小隊の援護に回れ。……敵残存兵数もそう多くない。キルシュブリューテの抜けた穴を突かれる前に片づける」
『了解』
応答は悲憤を帯びつつもそれに支配されない冷静さで、仲間が目の前で吹き飛ばされる光景も突然シグナルロストに変わる友軍機のブリップも、"号持ち"の彼らはうんざりするほど見慣れている。悲しむのは戦闘が終わってから、それができなければ同じ死体になるだけと嫌というほど心得た理性が、感情は切り捨てて必要な冷徹を保たせている。戦場という狂気に適応しきった、人間というより戦闘機械に近いモノと成り果ててしまった意識が成せるそれ。
わずかに一息、ほんの刹那だけ足を止めていた四つ足の蜘蛛の群が、がしゃがしゃと不気味な足音で再び緑陰の暗闇を這いずり始める。
冥府の手前の薄闇の中、死んだ仲間の道連れに誰彼かまわず縊り殺して引きずり込もうと蠢き回る、彷徨う亡者の白骨のように。
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