86―エイティシックス―


 第二章 白骨戦線異状なし 《2》



「ジャーン! これがホントの『グラン・ミュールの外に棲息する豚野郎』です!」

「悪趣味だよハルト」

 隊舎の厨房。趣味のスケッチの片手間に、大鍋一杯にくつくつ煮立つベリーのジャムの火の番を買って出ていたセオは、同じ隊員の少年のボケに呆れた声音でつっこむ。翠緑種(ジェイド)の金の髪に翡翠の瞳。今年十六にしては小柄で華奢な体躯。

 でっかい猪を裏庭に通じる通用口の前に横たえて、おどけて両手を広げた緋鋼種(ルビス)のハルトは頭を掻く。今日は当番もなかったので、近場の森まで狩りに行っていたのだが。

「うーん、受けが今一だなあ。笑うとこだろここ」

「どっちかっていうと凍えるとこだよ。……でもまあ、」

 スケッチブックを置いて、セオはしげしげと獲物を見やる。〈ジャガーノート〉で牽引してきたのだろうが、それにしても一人ではさぞ苦労したろう、化物じみて巨大な猪だ。

「すごいね。大物だ」

 ハルトは得たりとばかりににかりと笑う。

「だろ!? 今夜はバーベキューだからな! ライデンどこ行ったかな、あとアンジュ。夕食の当番交代してもらわないと」

「ああ、今日よりにもよってシンだもんね。ライデンは物資調達に『街』に行ってる。アンジュは今日洗濯当番。他の女子も全員行ったけど」

 ふっとハルトはセオを見た。

「それ、いつの話?」

「たしか……朝食後すぐだったかな」

「今、昼前だけど」

「そうだね」

「「……」」

 いくら基地の全員分の洗濯物とはいえ、六人がかりで午前中いっぱいかかるほどではない。

そして洗濯場は川縁で、今日は快晴で春で暑い。

 そわ、とハルトは露骨に浮足立つ。

「……つまり水浴び。ただいま川原はこの世の天国!?」

「そのまま本物の天国に直行する前に言っとくけど、全員銃持ってったからね」

 ぴたっとハルトが硬直する。セオは思い切りため息をついて、木杓子を鍋につっこんでかき混ぜた。もういいかなと、煮詰まり具合を見て火を止める。

 蓋を閉めたところで、知覚同調(パラレイド)が起動した。

 入隊時に首の後ろにインプラントされた擬似神経結晶素子(レイドデバイス)と、同調対象設定等の可変情報登録用のイヤーカフ状のデータタグ。その二つが起動を示して幻の熱を帯び、イヤーカフを指先で弾いて受信状態に切り替える。

「アクティベート。……って、」

 同調対象の相手に、セオはふっと翡翠の双眸を冷えさせた。同じくイヤーカフを片手で押さえて笑みを消したハルトと、視線を交わして同調相手に問う。

「シン。……どうしたの」



 大きさの割に結構な水量の川のほとりに洗濯場はあって、その川原と水の流れの中で、六名いるスピアヘッド戦隊の女子隊員達は水遊びの真っ最中だ。

「カイエー、何してるの。突っ立ってないでこっち来なよ」

 何やら端の方でもじもじしている仲間に、クレナは追いかけっこの足を止めて声をかける。ショートボブにした落栗色の瑪瑙種(アガット)の髪と、猫みたいな金色の金晶種(トパーズ)の瞳。

 野戦服の上ははだけて袖を腰に巻いて結んで、オリーブドラブのタンクトップとその下の豊かな曲線を陽光に晒しているが仲間達も同じ恰好だし別に恥ずかしくない。

「いや、その、だってよく考えたらこれはこれで恥ずかしい恰好のような……」

 黒髪黒目、小柄な体躯に象牙の膚の極東黒種(オリエンタ)のカイエは、何故か男口調だがもちろん女子だ。濡れてぺったり張りつくタンクトップが気になるのか目元を赤らめ、騎士の兜飾りのような長いポニーテールが首筋から薄い胸の谷間に絡んで、まあ、確かに結構、艶めかしい。

「というか、いいのかな……私たちだけ水遊びなんかしていて……わぷっ!」

 青みがかった銀髪を長く背に流したアンジュが、両手で水を掬ってばしゃっとひっかける。野戦服の上を脱いではいないがジッパーを臍の下まで下げて、お淑やかな彼女なりに解放的な格好だ。髪色のとおり月白種(アデュラリア)の血の濃い彼女だが、瞳は曾祖母の祖母譲りの天青種(セレスタ)の淡い青で、極端な純血主義の共和国ではたったそれだけの混血でもエイティシックスの扱いになる。

「真面目ねえ、カイエちゃんは。いいのよ、洗濯はちゃんとやったんだから」

 他の女子隊員達も口々に言う。

「ていうか、シンもわかってて許可くれたんでしょ別に」

「あっうん。今日は暑くなりそうだからなって、珍しくちょっと笑ってたわよ」

「そういうとこは悪い奴じゃないのよねーあの鉄面隊長も」

 そうして、不意にクレナを見やってにやーっと笑った。

「ごめんねぇ気が回らなくて。あんたもシンも当番ないんだから、口実作って二人にしてあげればよかったわよね」

 不意打ちにクレナは真っ赤になった。

「ちっ、違うもん! あたし別に、そんなんじゃないもん!」

「どこがいいのあんな何考えてるかわかんない奴」

「だから違うってば!」

「ちなみにカイエちゃんはどう?」

「シンか? ふむ。悪くないと思うぞ。寡黙なところとか、ストイックでいいな」

「ちちちちちちょっとカイエ!?」

 途端に慌てるクレナに、カイエは笑いを噛み殺す。何ともまあ、わかりやすい。

「そうかそうか。別に誰も想いを寄せてないのなら、私が狙っても構わないわけだな。なら早速今晩にでも、東方伝統の『夜這い(ヨバーイ)』に……」

「かっ、カイエ!? あのその、別にあたしシンのこと何とも思ってないけど、その、そういうのってよくないと思う! ほら、ヤマトナデシコのタシナミとかって、だからその、」

 わたわたするクレナを見やって、女子どもはにやーっと笑った。

「「「「「クレナ、かーわいい」」」」」

 引っ掛けられたことに一拍おいて気づいてクレナは叫ぶ。

「もー!」

「おーいたいた」

 がさりと藪が鳴って隊員のダイヤが顔を出した。ひょろりと高い背。青玉種(サフィール)の明るい金髪と碧眼。

 ちなみに男だ。

「「「「「キャ――――――――――――――――――――――――――――――ッ!」」」」」

「ぎゃ――――――――――――!」

 およそ女性という種族の全てが生まれながらに持つ超音波兵器の集中砲火と手近の投擲可能な物体の爆撃を浴びて、ダイヤは慌てて藪の向こうに退避した。

「っておい! 誰だ拳銃投げた奴! 初弾入ってんぞ危ねえだろ、」

「「「「「ギャ――――――――――――――――――――――――――――――ッ!」」」」」

「キャ――――――――――――っ!」

 二度目の絨毯爆撃をまともに喰らい、ダイヤは完全に沈黙した。

 あたふたと服を着込む他の女子たちを後目に、アンジュが近寄って覗き込む。

「それで、どうしたのダイヤ君」

「そこはかわいーく、大丈夫? って聞いてくれていいとこだぜアンジュ」

「マアダイジョウブカシラダイヤクン」

「あっ悪ぃごめんなさい無表情棒読みはやめてください涙が出ちゃう……」

 野戦服を襟のベルクロまできっちり留めて着込んだカイエが、周りを見回して他の少女達の状況を確認してから言う。

「ふう。もう出てもいいぞダイヤ。……どうしたんだ?」

「あーうん。実はワタクシ、本日から伝令のアルバイトを始めまして」

 誰かから伝言を預かったらしい。今更野戦服の上から豊かな肢体を抱きしめて隠しながら、クレナは唇を尖らせる。

「そんなの知覚同調使えばいいじゃない。なんでわざわざ、」

 ダイヤはばりばり頭を掻いた。

「つって、女子ばっかでキャッキャウフフなとこに同調(レイド)繋いて、うっかり恋バナ中とかだったらお互い気まずいだろーよ。『クレナ、シンが好きなのー』とか言ったりしてたらさ」

「なっ……!」

 およそ自分では絶対出さないかわいこぶった声音で物真似をされてクレナは耳まで赤くなり、その周りでカイエ以下他の女子隊員どもは好き勝手に言い合う。

「ふむ。結果として覗いたのはいただけないが、それについてはまあ正しい判断だな」

「私達には面白いけど、流石にクレナちゃんは気まずいわよね」

「ていうかまさにソレ言ってたとこだったし」

「それよ。今度シンが繋いできそうなとこでそれ言わせるのよ。どんな反応するか見物だわ」

「クレナがね。シンは駄目よ、あの鉄面死神ったらきっと顔色も変えないわよ可愛くない」

「あああああたしそんなこと言ってないもん! ちょっとやめてよ!」

「「「「「「クレナったら、かーわいい」」」」」」

「うわぁぁぁぁんみんなのバカぁああああああああ!」

 その場の全員(ダイヤ含む)に声を揃えられ、クレナは頭を抱えて絶叫した。

 くっくっと肩を揺らして笑いながらカイエが問う。

「それで、結局なんだったんだ? 伝言とは」

 問われて、ダイヤはふと、表情を消した。

「ああ。……そのシンからなんだけど」

 その言葉に、少女達の表情が一斉に緊迫した。



 人はパンのみにて生くるにあらず。

 何千年も前のいけ好かない救世主気取りの言葉だが、至言だと思う。人生には菓子とかコーヒーとか、もっと言えば音楽とかゲームとか、そういう、潤いというものが必要だ。この地獄に彼等を叩きこんでくれやがった共和国の白ブタどもは、最低限の餌以外を家畜にくれてやる必要を欠片たりとも感じていないようだが。

 また裏を返せば、人間にはまず第一に、日々の食事が重要だということでもある。

「さてファイド。ここで問題だ」

 長期保存の食料や勝手に生い茂っている家庭菜園の野菜類、逃げ出して野生化した家畜類や放棄された娯楽の品を調達に、定期的に探索している都市の廃墟。

 瓦礫に埋もれた広場で、戦隊副長のライデンは基地付属の生産プラントの合成食料と、市庁舎の災害用備蓄倉庫から持ち出した缶詰のパンをコンクリートに並べる。精悍な長身に着崩した野戦服。黒鉄種(アイゼン)純血の鉄色の髪は短く刈られ、野性味の強い鋭利な顔立ち。

 向かいには馴染の〈スカベンジャー〉……戦闘中の〈ジャガーノート〉に随伴して弾薬やエナジーパックの補給を行う、角張った本体に短い四本の足を生やした不恰好な無人機(ドローン)がうずくまっていて、レンズ状の光学センサで眼前の物体をしげしげと眺めている。

「どっちがゴミだ?」

「ぴ」

 果たしてファイドは即座にクレーンアームを伸ばして、合成食をぽいっと投げ捨てた。

 飛んでいく白い塊を見送りつつ、ライデンは残ったパンを齧る。無人機にもわかるゴミ具合。それを平然と食料(エサ)と言い切る白ブタどもの味覚は一体どうなっていやがるのか。

 必要な物品は全て現場で生産できるよう、各強制収容所と基地には生産プラントと自動工場が付属している。

 生産調整と動力供給も地下ケーブルを介して壁の向こうからの、無駄に高度な自動給餌システムだが、何しろこちらを豚と言って憚らない白ブタどもが用意した代物だ。生産される物品は本当に必要最低限、食料の名目で毎日合成される物体は何故か全てプラスチック爆薬に似ていて、当然というべきかアホみたいに不味い。

 よって、少しでもマシなものが喰いたければ、こうして九年前に放棄されたきりの廃墟に調達に来ることになる。幸い哨戒の必要が無いこの隊では、その分の時間もエナジーパックも余るから、探索に時間も割けるし〈ジャガーノート〉を足代わりに持ち出せる。

「つーわけで、ファイド。今日の調達目標はこっちのゴミじゃない方だ。他の食料品も含めて、積めるだけ持ち出すぞ」

「ぴっ」

 ヤンキー座りから立ち上がるライデンに、がしゃがしゃとやかましい足音をたててファイドも倣う。機体の残骸から砲弾片まであらゆる再利用可能な無機物を拾い集め、コンテナに満載して持ち帰るのも、彼ら〈スカベンジャー〉に設定された任務の一つだ。ライデンの命令はちょっと変則だが。

 ちなみに〈スカベンジャー〉は徒名で、何しろ戦闘中に自身のストックが不足すれば撃破された〈ジャガーノート〉や同じ〈スカベンジャー〉の残骸からそれらを剥ぎ取り、戦闘が無い時も拾える破片を探して戦場跡を這い回るその行状が行状だ。なのでプロセッサーの誰もが制式名ではなく、身も蓋もなく〈死肉漁り〉と呼んでいる。弾薬切れやエネルギー切れの懸念を払拭してくれる頼もしい戦友にして、同類の死骸を貪欲に貪る機械仕掛けの死肉漁り。

 ファイドはもう五年近くも、シンにつき従っている〈スカベンジャー〉だ。

 なんでもシンが昔所属していた部隊が彼を除いて全滅した際、唯一全損は免れたが動けなくなっていたファイドを牽引して連れ帰ってやってからの縁だという。

 最低限の学習機能はあるとはいえ、恩義を感じるなどという高等思考がゴミ拾い機ごときにあるとも思えないが、それ以来シンを最優先の補給対象と認識しているらしく、何度部隊が変わってもついてくるし出撃時には必ずすぐ傍に控えている。全く融通のきかない他の〈スカベンジャー〉からはちょっと考えられない忠義っぷりだ。型番からして戦争序盤に投入された初期型の生き残りで、ご長寿な分学習量も多かったのだろうが。

 そしてそこまで健気に尽くされていながら、シンがくれてやった名前がファイド。犬につける名前だ。ポチとかシロとかそんな感じの。……やっぱりあの馬鹿は頭がおかしい。

「ぴ、」

「ん?」

 従うファイドが不意に脚を止めるのに、ライデンは振り返った。

 光学センサが向けられている先を見やると、瓦礫の陰の花壇の大樹の根元に、すっかり変色して崩れた白骨死体がうずくまっていた。

「……ああ」

 呼んだのはそれでか、とライデンは白骨に歩み寄る。ぼろぼろの野戦服。崩れ去った手がそれでも赤錆びたアサルトライフルを抱え、首の骨に認識票のチェーンがかかっているからエイティシックスではない。おそらくは九年前、楯となって果てた共和国正規軍将兵の一人か。

 一歩遅れて従うファイドが、ぴ、とまた電子音を鳴らす。何か持ち帰るか、と聞いているのだ。シンがつけた癖のせいで、ファイドは戦闘以外の時間は戦死者の遺品を――死体そのものは白ブタがわざわざ禁則事項に設定していて拾えない――優先して拾う傾向がある。

 しばし考えて、ライデンは首を振った。

「いらねえよ。……こいつの弔いはこのままでいい」

 この樹は知っている。桜。大陸極東部原産の、春の始めに溢れるように花をつける樹だ。今年の花の時分にカイエの提案でここの目抜き通りの桜並木を基地の全員で見に来たが、夜闇に滲むように浮かび上がる薄紅の花の群は、満月の光の中ほとんど彼岸のものの美しさだった。

 あの花を見上げて花の褥に眠る兵士を、今更暗い土の中に閉じこめることもないだろう。

 あるいはこの白骨は白系種(アルバ)かもしれないけれど、戦い抜いた果てに死んだ者の遺骸だ。ブタ扱いは相応しくない。

 短く黙祷を捧げ、顔を上げたところで、イヤーカフが幻の熱を帯びた。

『――散歩組各位。聞こえる?』

「セオか。どうした?」

 すぐ隣にいるかのような明瞭な声。同調先は廃墟にいる全員で、代表してライデンは応じる。

『予報が変わった。一雨来るよ』

 ライデンは険しく目を眇めた。見れば東の空、〈レギオン〉支配域上空に、目の良い彼が凝視しなければわからない程度の濃淡で、微細な銀の煌めきの群が広がり始めている。

 電波及び可視光を吸収し屈折し攪乱する、蝶の姿と大きさの飛行型〈レギオン〉、阻電攪乱型(アインタークスフリーゲ)。襲撃に際し先兵として展開しレーダーを欺瞞、ほぼ完璧に本隊を隠しきる〈レギオン〉どもの急襲の要だ。

「いつだ」

『二時間後くらいだろうってさ。直近の群に後方から別の群が合流してるって。多分補給。終わり次第来るよ』

 直近とはいえ到底視認など不可能、レーダーもすでに欺瞞されている彼方の状況を、目の当たりにしているかのようにセオは……その伝える言葉の主は語る。

「了解、すぐ戻る。――チセ、クロト、トーマ。聞いてたな。ルート一二入口に集合」

『了解』

『今回も〈羊飼い〉はいないらしいから、単純な力押しで来るだろうね。相手の進路にもよるだろうけど、ポイント三○四付近で待ち伏せ、一網打尽、ってとこかな』

 探索組に指示を飛ばし、自身も少し離れたところに停めた自機に向かうライデンに、笑みを含んだ声でセオは言う。ライデンも獰猛に口の端を吊り上げた。

「〈羊〉だけか。――カモ撃ちだな」

 決して口にしたほど楽な戦いではないが、単純な戦術しかとらない〈羊〉との交戦は〈羊飼い〉が率いるそれより何倍もましだ。厄介な敵がいないと予めわかっている分、気が楽でもある。

 まったく、本当に死神様々――そこまで考えて、ふと、ライデンは顔をしかめた。

 当の本人にとってはどうなのだろう。

 あの、無くした首を探して戦野を彷徨う、赤い瞳の死神には。

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