*

 夕食はシチューだった、らしい。
 例のごとく食事を拒否した水無月は、自室で寝転がってテレビのニュースを見ていた。
 吸血鬼王ルートヴィヒによる北欧への侵攻が始まって十日。戦況は吸血鬼軍の優勢。今月中にも陥落か。吸血鬼の属国で十五回目の人身納税。各地で嘆きの声。ヴァンパイア至上主義過激派ルートヴィヒ王弟ヴィルヘルムがヘルヴァイツに不法入国。ヴァンパイア革命軍によるテロへの警戒を強め、軍を各地に配備……。
 水無月には起動されなかった空白の十年間がある。その間にヘルヴァイツ国内での人間と吸血鬼の戦争は終わり、国の情勢は一変してしまった。三か月前に目覚めさせられたばかりの水無月は、世情を知るためニュースを見るのが欠かせなかった。
 コンコン、とノックがした。
「水無月、入ってもいい?」
 カノンの声だ。
 水無月はカノンの所有物なのだから勝手に入ってきてよいのに、彼女は必ずこうして入室の許可を求める。一度、何故そんなことをするのか訊いたら、「お、男の子の部屋をノックもなしに開けられるわけないっ!」と顔を赤くして言われた。理解不能である。
 ドアを開けると、作業着のつなぎに身を包んだ少女がいた。
 嫌な予感が走る。
「水無月、今日こそは許さないから。正体がバレるのは、わたしたちにとって絶対に避けないといけないってわかっているはず。勝手なことをするなら……」
「待て。おまえの手にあるそれは何だ?」
「水無月の睫毛だよ! これをつければ、水無月は今よりもっと目がぱっちりに見えて、可愛くなれるんだよ! よかったね!」
「よくない!!」
 水無月は睫毛から逃れるように、ずざざっと後退った。
 危ない雰囲気を放つカノンは、水無月を逃がすまいと室内へ入ってくる。両の瞳は爛々と輝き、妖しく歪んだ口の端にはヨダレが光っていた。……絶対にこれはヤバい!
 身の危険を覚えた水無月は退路を探すも、室内はそう広くない。すぐに部屋の隅へ追い込まれる。
「ダメよ、水無月。これはお仕置きなんだから。自分がどれだけ大変なことをしたのか、きちんと身体で理解してもらわないと、ふふ……」
「やめろ……口頭による注意勧告を要求する!」
「それで言うことを聞かないから、最終手段に出ているの。前に言ったはず。水無月が勝手なことするなら、わたしも勝手にするって」
「あれは、勝手に俺を改造するって意味だったのか! くそ、想定できなかった……」
「あー楽しみだなあ。ふふふ、水無月に新パーツ追加。どれだけ水無月は可愛くなるかなあ、ふふふふふ……」
「カノン、正気に戻れ。今のおまえは正常な状態じゃない」
「わたしはいつだって正気だよ。その証拠に水無月のお洒落パーツ開発は超☆順調だよ!」
「くだらんパーツより、筋肉を開発しろ! 筋肉を!」
 吠える水無月にも、オートマタマニアの本性を露わにしたカノンは取り合わない。ニタニタと怪しい笑みを顔中に浮かべ、少女は目でベッドを示した。
「さあ、横になって、水無月。ついでに内部の手入れもするからね」
「俺のゼンマイはエーデルライト九五〇だ。不眠不休で最低ひと月は動く。毎晩眠らせて手入れする必要がどこに……」
 瞬間、緩み切っていたカノンの表情が一変した。
「何をバカなこと言ってるの!? 一日稼働させた歯車はオイルで手入れするのが常識、というかオートマタの所有者として果たすべき最低限の義務。日々の怠慢が錆びの原因になることを知らない人が多すぎる。どうして所有者の手入れが法律で義務化されていないのか、わたしは常々疑問に思っているんだけど」
「……ああ、また変なスイッチを押してしまった……」
「水無月は自分にどれだけ貴重な歯車が入っているか自覚がない。波動歯車は今、なかなか手に入らない貴重品。それが錆びたら取り返しがつかない。しかも今日は戦っているから、修復しないといけないパーツもあるはず。チェック項目は、人工皮膚の擦傷がないか、神経ケーブルの断線がないか、あとは、『血』の補充だって……」
「わかった! わかったから、いい加減黙れ!」
 このまま放っておいたら延々と少女の話を聞かされる羽目になるのだ。一度、夜通し歯車について語られた水無月は知っている。こうなったらカノンは手に負えないのだ。
 すべてを諦めた水無月がベッドに横たわると、カノンが傍らに跪く。顔を覗き込まれた。
 少女の面影が、母のそれと重なる。
 ――だから、眠るのは嫌なのだ。最後に見た春海の寂しげな眼差しと、捨てられたときの絶望を思い出すから。
「おやすみなさい、水無月。よい夢を」
 マスターの声紋で終了命令(シャットダウン)を認識。水無月は抗いようもなく、意識を深い深い闇へと落とした。

前へ|・・・|78910111213|・・・|次へ



購入はこちらから