二章 紅の吸血鬼王女

 ……目蓋が微妙に重い。
 睫毛を増量された水無月は、翌日もカノンと登校していた。水無月の目元にちらちらと視線を走らせるカノンは、嬉しそうにしている。
 対する水無月は、いつも以上に不機嫌丸出しの仏頂面だった。
「もう、そんな表情しない。せっかく綺麗な顔してるんだから」
 カノンの言葉に水無月はヒクっと頬を引きつらせる。
「誰のせいだと思っている。こんな変なパーツ追加しやがって……」
「変じゃない。水無月はちゃんと可愛くなってるよ。自信持って!」
「それが嫌だっつってんだろ!」
 しかめっ面全開で水無月は校舎へ入る。そのとき、二人の前を生徒の集団がバタバタと駆けて行った。
 カノンが小首を傾げる。
「なんだか校内が騒がしい……?」
 カノンの言う通り、妙に浮き足立った生徒たちがいる。彼らの言葉を拾ってみると、
「どうやら、うちの学院に王女が来たらしいぞ」
「王女?」
「だが、今のヘルヴァイツは共和制だし、ヘルヴァイツには大公しかいないはずだが」
「王といったら、吸血鬼王のこと。吸血鬼の中には王族と言われる特別な一族がいて、普通の吸血鬼にはない力を持っているらしい」
「王族の力の話は交戦した兄姉から聞いたことがある。ということは、王女というのは吸血鬼王ローゼンベルクの娘か」
「おそらく。ヘルヴァイツにいる吸血鬼王はローゼンベルク王だけだし。でも、なんで王女様がいきなりうちの学校に来たんだろ?」
「問題ない。王族だろうが、敵は必ず仕留める」
「何度言ったらわかるの、水無月。ヘルヴァイツでは、もう人間と吸血鬼は敵対していないの」
 廊下を曲がったとき、黒山の人だかりができていて二人は自然と足を止めていた。どうやら王女が来たのは一年生の教室のようだ。
 と、誰かが「紅薔薇少将! ファンです! 握手してください!」と叫んだ。
 カノンが瞬く。
「紅薔薇少将って昨日も見た。《赤の乙女部隊》のすごい有名人」
「《赤の乙女部隊》?」
 聞き覚えのある言葉に、水無月は首を伸ばした。
 そこには昨日遭遇した紅い少女の姿が。
 あ、と水無月が思ったとき、取り囲む人の頭越しに少女がこっちを向いた。その目が見開かれる。
「まずいっ!」
 さっと顔を伏せた水無月は回れ右をした。
「水無月!?」とカノンが声を上げるが、水無月はそれどころじゃなかった。昨日の今日だ。偶然にしては出来すぎている。
 後ろに集まってきていた生徒たちを強引に押し退け、逃走する。だが、
「見つけたわ! 今度こそ逃がさなくてよ!」
 声が響いた。
 刹那、風を切り、水無月の眼前に鈍色が現れる。顔の真横で衝撃音がした。
 突然のことに水無月は急停止していた。目の前数センチ先には、細長い刀身――サーベルがある。水無月の行く手を遮るように投擲されたそれは廊下の壁に突き刺さり、今なおビイィィンと震えていた。
 水無月はゆっくりと首を回す。
 廊下を埋め尽くす人垣。それが割れた。
 海を真っ二つにした預言者のごとく、道を開けた生徒たちの間を少女は堂々とやってくる。その手には空の鞘が握られていた。
 ……なんで校内にサーベルを持ち込んでるんだ。
 内心でツッコミを入れている間に少女は水無月の前まで来る。壁からサーベルを引き抜いて鞘に収めると、彼女はにっこりと微笑んだ。
「また会えたわね。再会できて嬉しいわ」
「俺は二度と会いたくなかったけどな。……会いに来たの間違いじゃないのか?」
「ご明察。あれからあなたが着ていた制服を調べて、お父様に頼んでここに転入させてもらったのよ。どう、ここの制服は似合うかしら?」
 肩にかかる長い紅髪を払い、少女は胸を張る。
 抜群のプロポーションだ。似合わない制服などあるはずもない。
 その証拠に、さっきからギャラリー――特に男子生徒の視線は、彼女の豊かな双丘やプリーツスカートから伸びるしなやかな脚に釘付けである。生徒がこれだけ集まっているのも、有名人である以上に、彼女自身が魅力的だからだ。
 しかし、水無月は少女の肢体を注視することなく、無機質に問いかけた。
「それで、そこまでして俺に何の用だ?」
「昨日、確認しそびれたことを確かめにきたのよ」
 水無月は目を眇めた。
「工事現場にあった《怪力無双》、調べてみたらやっぱり人為的に止められていたわ。ゼンマイやチップがピンポイントで破壊されていたのよ」
 少女は水無月へ近付くと、その瞳を覗き込んだ。まるで少年の眼窩に嵌まる球体の真贋を見極めるかのように。
 居並ぶ生徒たちの中で、カノンが息を詰めるのが見えた。
「現場を検めたけど、あなた以外に人はいなかったわ。他に誰かが立ち入った、という情報もなし。つまり、あなたは二十体以上の暴走オートマタを、何の装備もなくたった一人で破壊したのよ。そして、わたくしの直感が正しければ、あなたは――」
 少女の腕がさっと水無月の手へ伸びる。
 ――どうする、逃げるか? だが、どこへ? 学校を突き止められている以上、逃げ場はない。今、殺す? ここじゃダメだ。目撃者が多すぎる。口を塞いでどこかへ連れ去り、始末する? それもダメだ。俺がこいつを攫うのを見られていたら、真っ先に疑われるのは俺だ。そもそもこいつはまだ誰にも俺の正体を言っていないのか? もしや既に学校は共和国軍に包囲されているのでは? くそ、結局ここで詰みなのか!?
 一瞬のうちに人工頭脳をフル回転させた水無月が、覚悟と共に目蓋を閉じたとき、少女は少年の手を握って言った。

「とんでもなく強い人間だわ」

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