来て、と言われても、水無月は動けなかった。
実のところ水無月が吸血鬼と交戦するのは、これが初めてなのだ。
ノイエンドルフ奪還作戦で実戦デビューするはずだった水無月は、直前で眠らされ初陣の機会を奪われた。それから十年間、一度も起動させられず、目覚めたらヘルヴァイツ国内の戦争は終わっていたのだ。
何度も頭ではシミュレートしているが、実際に吸血鬼と殺り合った経験はない。
加えて、プログラムされている戦闘方法にこんなシチュエーションはない。水無月は暗殺者だ。不意討ちが基本であり、敵が自分を「敵」と認識したときには確実に仕留めていなければならないのだ。互いに武器を持って対峙するなんて想定されていない。
どう動くべきか迷っていると、リタが残念そうな顔になる。
「来てくれないのかしら、ミナヅキ。それなら仕方ないわね。わたくしから行くわ」
宣言通り、リタが地を蹴る。
吸血鬼は人間より総じて筋力があるが、人間をはるかに凌駕するレベルではない。超一流のスポーツ選手であれば、吸血鬼と力比べができる。テレビ番組ではたまにそんな企画をやっている。
走ってくるリタも、人間にしては速い、という程度で驚くようなスピードではない。迎え撃つべく水無月はロングソードを握り直す。
しかし、剣が交わる寸前でリタが消えた。
「っ!?」
消失。完全に姿を晦ましたリタに、水無月が息を呑む。
瞬時に記憶領域(メモリー)を検索、該当する吸血鬼の能力を導き出す。
〈霧化(ネーベル)〉である。
吸血鬼が使う魔術の一種で、彼らは装備ごと霧になれる。そうなればサーモグラフィでも探知できず、手出しは敵わない。が、それは向こうも同じで、〈霧化〉したまま攻撃してくることはない。〈霧化〉の継続時間は最長で十秒。解除と同時に攻撃してくるのが定石であり……
目の端で一閃。
「いただき」
レイピアとロングソードがぶつかった。
突如、傍らに現れたリタに反応し、水無月はロングソードを持ち上げていた。盾として剣を使ったのだ。
レイピアの先端が長剣の刀身に当たり、リタは口元を歪める。
「残念だわ。これで終わりだと思ったのに」
台詞を残し、リタが再び霧になる。
ざわり、と水無月の胸が騒いだ。
――危なかった。第二ボタンを狙うとわかっていなければやられていた。
初撃を防いだのを安堵する間もなく追撃が来る。
少女の紅が視界のあちらこちらで現れる。それを目で追う隙に、刺突への反応がわずかに遅れた。突き出されたレイピアを、身体を反らして避ける。
水無月が体勢を崩したのを好機と見て、リタが踏み込んだ。
ボタン目掛けて鋭い剣先が迫る。それを無理に腕を動かしてロングソードで払った。
「どうしたの、ミナヅキ! さっきまでの自信はどうしたのかしら!」
開始からものの数分で、水無月の表情からは余裕が消え失せていた。リタの煽りに応じることもなく、ひたすら回避に専念している。
そうならざるを得ないのだ。
リタは〈霧化〉で姿を消し、水無月を攻撃する瞬間にしか現れない。いくら水無月が人間以上の反応速度を備えていても、防ぐだけで精一杯である。
――これが、吸血鬼。
うすら寒い驚嘆を覚えつつ、水無月は危なっかしくロングソードで攻撃を弾く――。
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