「大変な騒ぎになってしまいましたな」
二人の戦いを大勢の生徒から少し離れたところで観ていたカノンは、後ろから響いてきたバリトンに身体を震わせた。
振り向くと、マイヤーが熊みたいな巨体を揺らし、芝生を踏み締めてやってきていた。近くの木陰まで来た彼は、思惑の読めない視線を校庭へ投げる。
カノンは顔を前へ戻して、言った。
「……わざわざ生徒同士の私闘を見に来られるなんて、お暇なんですね」
「教師として、校内で起こったことは把握しておかなければならないですから。それに、彼の後見人も私なのですよ」
もっともな言葉にカノンは黙り込む。
そのとき、金属のぶつかり合う甲高い音が響いた。水無月が何度目かわからない刺突を防いだのだ。
生徒たちが思い思いの声を上げ、それに混じって「ほう」とマイヤーが感嘆を洩らす。
「吸血鬼相手によく粘るものだ。私には、まったくレイピアが見えませんでしたよ。ミス・ザンデルホルツには見えましたかな?」
「……水無月は運動神経がいいので」
マイヤーの質問をはぐらかし、カノンは答える。
もちろん、カノンにはさっきからリタの攻撃なんか見えていない。人間であれば、普通そうだ。気付かないうちにボタンを奪われて終わる。
そうならないのは、偏に水無月が対吸血鬼戦闘用オートマタだからだ。
けれど、それをマイヤーに悟られるわけにはいかない。
自分の背に冷や汗が滲むのをカノンは感じていた。
マイヤーは頷きながら言う。
「そうですな。ミスター・ザンデルホルツは体育の実技もずば抜けて優れていると聞いています。それに加え、学科試験も毎回素晴らしい成績です。三か月前に極東から来たとは思えないくらい言葉も流暢ですし……」
「水無月は努力家ですから」
「彼は何者です?」
マイヤーの静かな問いかけがカノンの耳朶を打った。
校庭ではまた水無月がリタの攻撃を防いでいた。無理な体勢で躱したことで倒れそうになるが、水無月は剣を持たない手をついて軽々と側転してしまった。
アクロバティックな動きに観客の女子たちから黄色い声が上がる。
「彼の素性が私たちにはわからないのです。パスポートも紛失したと言っていましたね。本名はミナヅキ=ビャクダンだと彼は言っていますが、それは本当でしょうか?」
カノンの背後に立つマイヤーは、微動だにしない少女へ囁く。
「三か月前、貴女は従弟と言って彼を私に紹介されました。ですが、彼はどうやって貴女の所在を知ったのでしょう。貴女の出自は大公家の内でも特に厳重に秘匿されております。ハルミ=ビャクダン=ヘルヴァイツに娘がいると彼が知ったところで、貴女の元を訪れることなどあってはならないのですよ」
フェンス越しにカノンは水無月を見つめ続ける。
応えない少女を窺っていたマイヤーは、懐柔するような声音で言葉を重ねた。
「私たちは貴女の身を案じているのです。大公家が調査した結果、ハルミ=ビャクダンの血縁者にミナヅキという名の少年はいませんでした。まるで騎士のように彼を傍に置いておりますが、素性のわからない彼を本当に信頼してもよいものか……」
「わからないのなら、口出しは無用です」
マイヤーを遮り、カノンはぴしゃりと言った。
ボロが出るといけないから黙ってやり過ごそうとしたが、我慢できなかった。カノンは後ろに立つマイヤーを振り仰ぐ。
「少なくとも大公家よりは彼のほうが信用できます。彼はわたしを捨てたりしませんから」
「ですが、調査で彼の戸籍は……」
「調査が不十分だったのでしょう。母の祖国は極東ですから、調べきれないことがあってもおかしくありません」
「しかし……」
「それに、水無月の優秀さこそが、母との血縁関係を証明していると思いませんか? 母は、誰も思いつきすらしなかった《白檀式》を作った天才ですよ」
マイヤーが渋い顔で唸った。
毅然とカノンは勝負の行方へ目を戻す。背中の冷や汗はとうに引いていた。
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