レイピアを失ったリタの手に、赤いものが見えた。
 鮮血の色をしたそれは生き物のように怪しく蠢き、煙のように急速に拡がり、液体のように流動的に形を変え、長大になっていく。
「それがミナヅキ、あなたは違ったわ。わたくしと対等に剣を交え、あまつさえ、わたくしを追い詰めてみせた。認めるわ。あなたは強い。人間とは思えないほどにね。だから、わたくしもあなたを侮るのはやめにするわ」
 今や風は轟々と嵐のごとく吹き荒れていた。
 視界の端では、カノンが乱れる長い髪やスカートを押さえている。
 突然の天変地異に驚くギャラリーの中で、吸血鬼の生徒たちが「逃げろ!」と叫んだ。半狂乱になった吸血鬼たちは一目散に逃げ出し、それにつられた人間の生徒たちの一部がわけもわからず続く。校舎の窓はとっくに締め切られていた。
 風を纏い、おもむろにリタが手を掲げる。
 そこにあったのは紅蓮の大剣。
 天へと伸びた刀身の周辺には、まるで花弁のごとく無数の赤い刃が飾られている。刀剣で作られた巨大な花がリタの手に咲いたようだった。
「この勝負、あなたが勝つなんて絶対にありえないのよ。でも、十分誇っていいわ、ミナヅキ。人間でありながら、わたくしにブラッディソード〈風葬の薔薇(トルナルド・ローゼ)〉まで抜かせたんだもの!」
「ブラッディソード……!」
 知っている。吸血鬼王族のみが使える魔術だ。
 彼らの手から現れる紅い剣は、個々人によって性質が異なる唯一無二の武器である。吸血鬼を統べる力と称されるだけあって、ただの剣ではない。特殊な効果を派生させて一騎当千の威力を誇るものだ。
 どうやらリタのブラッディソードは、「風」を生み出せるらしかった。
 赤い赤い夕空が舞い上がる砂塵で汚れていく。
 暴風に耐えきれなくなった木々が折れ、どこかでガラスの割れる音がした。まだ校庭に残っているギャラリーはなんとかフェンスに?まっている状態だ。
 カノンは吹き飛ばされないよう必死でフェンスにしがみつき、マイヤーでさえも近くの木に手をついていた。
 嵐の中心で吸血鬼王女は、真紅の髪をはためかせ嗤う。
「お遊びは終わりよ、ミナヅキ。わたくしの本気であなたを仕留めてみせる」
 水無月は目を細めた。
 どう見てもボタン一つを狙う武器ではない。
 ハンデはつけたが、端から水無月に勝たせる気はなかったのだ。旗色が悪くなったら、王族の切り札であるブラッディソードを使ってでも水無月をねじ伏せるつもりだった。
 逆を言えば、これ以上の隠し玉はリタにはない――。
「降参するなら今のうちよ。敗北を認めれば、〈風葬の薔薇〉は収めてあげるわ」
 傲然とリタは言う。
 確かに普通ならば、これを見せられただけで畏怖し、すぐさま降伏するだろう。それだけの威圧感をブラッディソードは備えていた。
 けれど、水無月は対吸血鬼戦闘用オートマタだった。
 初めて見る吸血鬼王族の真骨頂を前に怖じ気づくどころか、彼の胸は熱く燃え盛っていたのだ。
 高揚感に口元が歪む。歓喜すら滲ませ、水無月は応えた。
「ありえないのは俺が勝つことじゃない。俺が『敵』に負けることだ」
「そう、なら己の選択を後悔なさい」
 裁きを下すかのごとくリタが剣を振り下ろす。
 刹那、爆風。
 凄まじい風圧に、少年の足がずり、と後退した。
 そして、水無月は薔薇が散るのを見た。
 ブラッディソードの花びらのような無数の薄い刃が四散し、一斉に水無月へ襲いかかる。
 ――『敵』を認識。戦闘モードへ移行――
 危険、と人工頭脳が判断し、自動的にプログラムが起ち上がった。
 その瞬間から、水無月は人間としてではなく、対吸血鬼戦闘用オートマタとしての戦いを展開する。
 人工筋肉を駆使し、人間なら到底進むことは叶わない嵐を疾ける。
 襲いくる幾千もの赤い刃。その軌道を一ミリの狂いもなく読み、回避か迎撃を選択した。
 目にも留まらぬ速さでロングソードを振り、迎撃と判定された刃を撃ち落としていく。
 今の水無月の姿はギャラリーにもリタにも見えていない。ギャラリーは土煙のせいで、リタは自らの攻撃のせいで、水無月は誰からも死角にあるのだ。
 刃の豪雨を潜り抜けたのは、時間にしてわずか数秒。
 最後の花弁をロングソードで撥ね飛ばした水無月は、リタに迫る。
 あれだけの攻撃を突破し、自分に到達するとは予想だにしていなかったのだろう。
 少女の紅い瞳が見開かれた。
 たった一本残った長大な刀身を構えるが、遅い。
「後悔するのはおまえだ、吸血鬼っ!!」
 リタの懐に飛び込み、水無月は渾身の突きを繰り出す。
 そこで、水無月は痛恨のミスをした。リタの無防備な箇所ではなく、鎧に覆われた胸を狙ったのだ。
 原因は水無月の仕様にある。対吸血鬼戦闘用オートマタとして水無月は敵の心臓を狙うようプログラムされている。だから、殺す必要のない勝負でも、咄嗟にそこを突いてしまったのだ。
 その結果、無数の斬撃で摩耗していたロングソードは鎧にぶつかって折れ、同時に鎧も水無月の刺突に耐えきれず、ぱかっと割れた。
 リタの鎧が落ちる――。
「しまった、剣が……!」
 自らの失策を悟った水無月は動揺して、瞬時に距離を取った。
 だが、そこでふと嵐が止んでいるのに気付く。
 あれだけ吹き荒れていた風が嘘のようである。秋の空は穏やかな夕暮れを映していて、校庭には折れた木々の枝葉が散乱している。視界を悪くしていた土埃もない。
 それもそのはず、リタはどういうわけかブラッディソードを消し、蹲っていた。
 何だ? 何をやっているんだ?
 水無月の剣が折れた今が彼女にとって好機なはずだ。しかし、リタはしゃがんだまま動こうとしない。
 観客を含めた誰も彼もが静まり返る中、鳥が啼きながら夕空を横切っていった。
「おい」
 このまま膠着状態が続きそうだったので、水無月は声をかけた。
 さっとリタが顔を上げる。
 少女は涙目だった。
 戸惑ったが、水無月は続ける。
「おまえも剣を変えたんだから、俺も新しい剣にするぞ。勝負はまだ続行……」
「いやああああああああっっっ――――!!」
 水無月が言い終えないうちに絶叫が響き渡り、リタが立つ。
 鎧を失った少女は下着姿だった。それも下だけだ。何も纏っていない胸は両腕でしっかり押さえているが、豊かすぎるため隠しきれていない。逆に押さえつけることでむにゅうぅと形を変えた双球は、より卑猥で煽情的だった。
 猛然と走ってくるリタに、水無月は咄嗟に身構えた。
 が、そのまま彼女は水無月の横を素通りし、凄まじい勢いで校庭から走り去ってしまった。
「…………………………は?」
 うおおおおっとギャラリーの男子たちが沸く中、一人マヌケな声を洩らした水無月は折れたロングソードを手に立ち尽くした。
 カノンを見ると、彼女は額を押さえていた。

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