カノンとマイヤーのやり取りが終わっても、水無月の戦いは終わらない。
 神経を限界まで研ぎ澄ます。リタが攻撃を仕掛けてくるのは一瞬だ。少しでも遅れればそれが命取りになる。
 今、リタの姿は校庭にない。
 ロングソードをボタンの前で構えて〈霧化〉の解除を待っていると、後ろから声がした。
「つまらないわね。ミナヅキってもしかして、女の子は傷付けない、なんてポリシーがあったりするのかしら?」
 振り返ると、数メートル離れたところにリタがいた。
 水無月が守りを固めるや否や、彼女はまた〈霧化〉してしまう。
「吸血鬼の性別なんか気に留めたこともない」
「それならどうして攻撃してこないのかしら? 同級生に怪我させるのを躊躇っているんじゃないわよね? ヴァンパイアの治癒力は知っているでしょう?」
 くつくつと嗤うリタが今度は隣に現れる。レイピアがロングソードとぶつかって、その紅は消えた。
 吸血鬼の最大の強みは、その生命力だろう。彼らは心臓を損傷しないと死なないのだ。それも、銀もしくは水銀でないと傷付けられない。だから、吸血鬼の防具は大概、胸部だけなのである。
「まさかわたくしを捉えられなくて、攻撃できないとか? そんなはずはないわよねえ。今朝は心臓を抉るなんて言っていたんだもの。工事用オートマタより手応えがないなんて、あるはずないわよねえ?」
「黙れ」
 挑発に乗った水無月が駆けた。
 数メートル先に現れている紅い吸血鬼へ、ギリギリ人間と言えるだけのスピードで迫る。
 面白そうにこっちを見つめるリタはまだ〈霧化〉しない。
 いける、と水無月は一気に間合いへ踏み込み、少女へ逆袈裟に剣を振った。――手応えが、ない。
 正面に立ったままの吸血鬼の口の端が持ち上がるのを見た。
 レイピアがボタンを狙って突き出される。
 剣を振るった直後の水無月には、レイピアを弾くことはできない。
 くっと歯噛みし、咄嗟に水無月は手でボタンを庇っていた。
 ぐさり、とレイピアの尖端が少年の手に突き刺さる。
「まあ、手で守ったらダメよ! 怪我をしてしまったじゃない。わたくしはミナヅキを傷付けないためにボタンを狙うと決めたのに」
 レイピアを引き抜いたリタは距離を取ると、愛犬が粗相をしたみたいに嘆いた。
 人工血液が流れ出る手を見つめ、水無月は脳内でさっきの一幕を反芻する。
 水無月が斬りかかったとき、リタは剣を受ける直前に〈霧化〉したのだ。そして、水無月の斬撃をやり過ごし、そのまま動くことなく〈霧化〉を解除した。
 だから、手応えはなかったのに、リタは目の前にいたのだ。
 挑発は水無月に攻撃させて隙を作るためで、水無月はリタの思惑にまんまと嵌まったことになる。
 ぽたぽた、と滴る人工血液が校庭に赤い染みを作っている。
 それを見て、リタは失望したように首を振った。
「降参なさい、ミナヅキ。もうわかったでしょう? これ以上やるのは無意味だわ。所詮、口先だけね。心臓どころか、わたくしのどこにもあなたの剣は届かない」
 ぎり、と水無月は唇を噛み締めていた。
 屈辱だった。こんなはずじゃない。仮にも対吸血鬼戦闘用オートマタとして、吸血鬼に屈するなんて万が一、いや億が一にもあってはならないのだ。
 本来、水無月の性能はリタにコケにされるものじゃない。
 吸血鬼をはるかに上回る身体能力。吸血鬼の心臓を貫くための銀製のアサシンブレード。水銀入りの人工血液を弾とした四連装拳銃。
 それがこの衆人環視では、人間を完璧に演じて戦わなければならない状況では、何一つ活かせない。
 さっきからフェンスの向こうでは、大勢のギャラリーが歓声やら野次やらを飛ばしている。それを水無月は憎々しげに見遣った。
 その中、マイヤーと共にいるカノンが目に留まる。水無月と命運を共にしている彼女は、祈るように手を組んで悲愴な表情をしていた。
「はあ、これがミナヅキの血なのね。どんな味がするのかしら」
 気が付くと、リタはレイピアの先についた赤を眺め、恍惚とした表情を浮かべていた。
 そこはかとなく不安になる。
「おい、間違ってもそれを口にするんじゃないぞ」
「安心なさい、直接吸血しなければ〈魅了〉はできないわ」
 そんなことが問題なんじゃない!
 舐められれば、その時点で水無月に人間の血が流れていないとわかってしまう。水無月の内心など知らず、リタはレイピアの先を指でなぞり『血』を集めた。
「昨夜は味気ない血液入りドリンクで我慢したんだもの。味見くらい、いいわよね」
 リタが人工血液のついた指を口へ運ぶのと同時に、水無月は駆けた。
「やめろっつってんだろうが……!」
 剣をかざし、肉薄する。
 リタは動きを止めると、口元に余裕の笑みを浮かべた。
 が。

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