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腑に落ちない結末だったが、勝負には勝った。
校庭から逃げ出すのも負け。リタの一言一句が水無月の記憶領域には正確に刻まれている。
これでリタとの一件は終わった。
そう思っていたのだが、翌朝。
「ミ、ミナヅキ!」
教室の自席でぼーっと窓の外を眺めていると、声をかけられた。リタである。
カノンはちょうど席を外していた。今日はイスにオイルをかけられていた彼女は、新しいイスを調達しに行っている。
水無月の机の前まで来たリタは、腰に手を当ててこっちをじっと睨んだ。水無月は頬杖をついたまま訊く。
「何だ? 何か用か?」
「何か用かですって!?」
リタが何故か驚いた顔になる。
「まさか自分が負けたからって、勝負をなかったことにする肚づもりじゃないだろうな。何度来ても俺の血はやらんぞ」
「違うわ! 王族のわたくしが一度した約束を反古にするとでも思って!? ミナヅキが吸血するなと言うのなら、それに従うわよ。わたくしが言いたかったのはそうじゃなくて……」
リタは水無月の手首に目を留めた。そこにはカノンに巻いてもらった包帯がある。人間がすぐに治っていたらおかしいから、と巻かれたのだ。包帯の下は既に新しい人工皮膚で修復がなされている。
リタが包帯を見つめ、痛ましげな表情になった。覚悟を決めたかのように口を開く。
「……勝負は、わたくしの負けだわ。潔く認めるから好きにしなさいよっ……!」
「そうか」
声を振り絞ったリタに、水無月は淡泊な一言を返した。
どうやら無事に吸血は諦めてくれたらしい。これで万事解決。誰かに正体がバレることもなかったし、問題ない。
そんなことを明後日の方向を見て考えていたら「……ミ、ミナヅキ?」と声がした。
目を向ける。そこには顔中に疑問符を浮かべたリタが。
「なっ、なんで何も言わないのよ! わたくしを好きにできるのよ。どうせ昨日わたくしをどうするか一晩中考えていたんでしょう!? もったいぶらずに早く言ったらいいじゃない!」
……は?
何を言っているのかわからない。呆けた表情になる水無月にリタは顔を真っ赤にして続ける。
「命令しなさいよ! 負けた以上、わたくしは逃げも隠れもしないわ。だから、あなたも自分の欲求をわたくしにぶつけたらいいでしょ! そういう約束だったはずよ!」
「命令? 約束?」
言いながら記憶領域を検索。該当する台詞がヒットした。
『万が一、いえ、億が一、わたくしに勝てたらあなたの命令を何だって聞くと約束してあげるわ。それこそ未来永劫ね!』
ああ、と水無月は納得した。そういえば、この少女はそんなことを言っていたのだった。どうでもいいから記憶領域の隅へ追いやっていたが。
「俺は吸血されなければ、それで十分なんだが」
心底、無気力に水無月は言った。
リタが白目を剥く。今にも卒倒しそうな彼女を黙って観察していると、今度はぷるぷると全身を震わせ始めた。
「……それは、わたくしを自由にできる権利を放棄するということかしら。わたくしにはそれだけの価値もないと……? そういうことなのかしら、ミナヅキ……!?」
何が起きているのだろうか。リタの体温がどんどん上昇している。怒っているように見えるのだが、自分は何も怒らせることを言った覚えはない。
リタはスカートの裾を千切らんばかりに握り締めると、水無月をキッと睨みつけた。
「そんなのは認められないわ! ふざけないでよ! みんなの前で裸にして恥をかかせたくせに、これ以上、わたくしに恥を重ねろと言うの!? 何でもいいから命令しなさいよ! それで、わたくしの純潔でも何でも奪ったらいいじゃないっ!」
「水無月!? 女の子になんてこと言わせてんの!?」
ようやくカノンが戻ってきたようだ。イスを抱えたカノンは、水無月とリタを見比べて顔色を悪くしている。
「俺が言わせたんじゃない。こいつが命令しろって勝手に喚くんだ」
「命令って、ああ、昨日の。吸血を諦めてくれたらそれでいいよね、水無月?」
カノンが、ほっと胸を撫で下ろして言う。
が、リタは地団駄を踏みながら声を張り上げた。
「だーかーらー、それじゃ困るって言ってるの! わたくしにも立場があるのよ。負けたのだから、ミナヅキにはそれなりの命令をしてもらわないと! ミナヅキ、あなたも男ならわたくしにして欲しいことくらいあるでしょ!? ないとは言わせないんだから。自分の頭の中をよーく思い返してみなさいよ!」
ビシリと指を突きつけられ、水無月は瞬く。
「あの、リタさん。落ち着いて。とりあえず、冷静になって」と、カノンがリタを必死で宥めている傍で、水無月はぽん、と手を打った。
「おい、おまえ。本当に命令は何でもいいんだな?」
念押しされたリタは一瞬怯んだ。しかし、すぐに頬を上気させ頷く。
カノンが「水無月!? ダメ! そんなこと絶対にダメ!」と慌てるのを無視して水無月は言った。
「俺たちのオートマタコンテストチームに入れ」
「「ふぇっ!?」」
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