「えー、ノイエンドルフの大敗を機に、国はこれまで人道を考慮して禁じてきた戦闘用オートマタの開発をやむを得ず決定した。国を挙げて製作された対吸血鬼戦闘用オートマタにより、戦局は一変する」
マイヤーは「次のページを見たまえ」と言った。
生徒たちが教科書を一斉に捲る音がしたが、水無月は動かなかった。何があるかわかっているし、そもそもあまり見たくない。
水無月の憂鬱など知る由もなく、マイヤーは続ける。
「左上の写真に載っているのが、一九七〇年のノイエンドルフ奪還作戦に成功した公国軍絡繰騎士部隊だ。この部隊を製作したのが、天才技師とも言われたハルミ=ビャクダン=ヘルヴァイツで……」
「虐殺の妃殿下」
誰かが吐き捨てるように呟いた。
カノンが肩を震わせて俯く。
咳払いをしたマイヤーは聞こえなかったフリをした。
「ドクター・ビャクダンは亡きヨハネス皇太子の伴侶だった。彼女の作った対吸血鬼戦闘用オートマタは絡繰騎士《白檀式(びゃくだんしき)》と呼ばれ、たったの五体だけだ。ムツキ、キサラギ、ヤヨイ、ウヅキ、サツキ。写真を見てもわかる通り、これら五体のみで絡繰騎士部隊は編成されていた」
それは嘘だ。
水無月は知っている。白檀春海が作った対吸血鬼戦闘用オートマタは本当は自分を含めて六体だということを。
睦月、如月、弥生、卯月、皐月、そして水無月。
極東の島国の旧暦はヘルヴァイツでは周知されておらず、水無月の名に反応されたことはない。仮に知っていたとしても、まさか実戦投入されなかった絡繰騎士《白檀式》の六体目が人間に紛れて生活しているだなんて、思いもよらないだろう。
写真では、五体の対吸血鬼戦闘用オートマタが等間隔で横一列に並んでいる。年恰好も見た目もバラバラだが、彼らの胸には同じ徽章が付いていた。
教科書に載っているモノクロ写真ではわからないが、その徽章が燦然とした輝きを放っていたのを水無月は直に見て知っている。
「キミたちも博物館などで、実際に《白檀式》を目にしたことがあるのではないかね?」
頷く生徒たちを見渡し、マイヤーは言う。
「現在、ムツキは失われてしまったが、他の四体は展示されている。《白檀式》は他の対吸血鬼戦闘用オートマタとはコンセプトが根本的に違っていた。彼らのコンセプトを知る者は?」
「……虐殺?」
後方の生徒が小声で言って、周囲が失笑する。
マイヤーは無視して続けた。
「答えは暗殺者だ。彼らは巧妙に人間になりきって吸血鬼へ近付き、吸血鬼軍を翻弄した。たった五体でノイエンドルフを奪還した《白檀式》は、ヘルヴァイツの英雄とまで謳われ……」
「お言葉ですが、先生。虐殺オートマタを『英雄』と仰るのは、いささか軽率ではないでしょうか」
派手な黄金色の髪を縦ロールにした女子生徒が挙手をしていた。マイヤーが一瞬詰まった隙に、彼女は巻かれた髪を揺らして立ち上がる。
「《白檀式》が侵略してきた吸血鬼をどれだけ倒そうと、その後に犯した罪は見過ごせるものではありません。実際、《白檀式》の暴走の原因とされている波動歯車の使用は、現在、真っ当なオートマタ技師の間では暗黙のタブーとされています。もっとも、それをあえて使いたがる危険思想の持ち主もいるみたいですが」
言いながら、彼女の鋭い目がカノンを捉えた。ロックオンされたカノンは身を硬くする。
縦ロール少女は教室内によく響く声で言い放った。
「《白檀式》のような虐殺オートマタを、二度とこの世に生み出してはいけない。それが、わたしたちが歴史から学ぶべきことではないでしょうか」
これが授業中でなかったら、拍手が沸き起こっていただろう。
俯くカノンとやる気なく頬杖をついている水無月以外、生徒は皆、神妙な顔で頷いている。
マイヤーは難しい表情になり、教科書へ目を落とした。
「……ミス・ディンケルの言う通り、《白檀式》は虐殺オートマタと言われてもおかしくない惨劇を生んだ」
水無月が横目でカノンを窺うと、彼女は無表情でノートを見つめていた。
「一九七二年、ケルナーの悲劇。ノイエンドルフ奪還から二年後、ケルナー地方で暴走した《白檀式》は三日にわたり人間、吸血鬼問わず虐殺した。製作者であるドクター・ビャクダンも彼らの手によって命を落とし、誰も《白檀式》を止められる者はいなくなった」
暴走が起こらなければ、春海はヘルヴァイツを救った技師として後世に讃えられただろう。
けれど、《白檀式》は何故か暴走してしまった。
地方都市が丸々一つなくなるくらい人が死に、白檀春海の名は英雄を作った技師ではなく、虐殺を生んだ技師として人々の胸に刻まれてしまった。
「吸血鬼を倒すために作られたオートマタが人類の敵に回ったことで、人々は絶望した。ヘルヴァイツはオートマタに滅ぼされると誰もが思ったとき、思いがけない者から助けの手が差し伸べられた。吸血鬼王ローゼンベルクである」
「ですが、先生。ローゼンベルク王はルートヴィヒと共に攻めてきたのでは……?」
「最初こそ、ルートヴィヒ軍と侵攻してきたローゼンベルク軍だが、彼らは対吸血鬼戦闘用オートマタにより撤退を余儀なくされていた」
チョークの音高く、板書しながらマイヤーは言う。
「そして、《白檀式》の暴走を機にローゼンベルク王はヘルヴァイツ大公に和解を申し出る。大公がそれを受け入れたことで、人類と吸血鬼は史上初めて手を取り合った」
皮肉にも、暴走した絡繰騎士《白檀式》を倒すために人間と吸血鬼が協力したのだ。
春海が知ったら、どう思ったことだろう。
「今から七年前の一九七三年、ヘルヴァイツ大公と吸血鬼王ローゼンベルクが交わした和平条約は締結されたこの地の名を取って、イエッセル条約と言われている。主な内容を言える者は?」
「はい。ヘルヴァイツを共和制にしてローゼンベルク王を国政に参加させること、戦闘用オートマタの製造および所持の禁止、ヘルヴァイツ国内において吸血鬼の居住権を認めること、以上です」
「素晴らしい。よく予習してきているようだ」
重要だから皆も覚えておくように、と付け加えたマイヤーに、生徒たちが一様にペンを走らせる。
水無月だけは頬杖をついたまま窓の外を見ていた。
穏やかな午前の陽射しが降り注ぐ街並みは静かで、悲鳴も銃声も聞こえない。空は黒煙や粉塵を知らないかのように、どこまでも高く青く澄み切っていた。
「吸血鬼と共同戦線を張り、《白檀式》を破壊したヘルヴァイツは国名をヘルヴァイツ共和国と改め、人類と吸血鬼が平等に暮らす世界で唯一の国家となった。だから、このクラスにもいるだろう? 人間と吸血鬼が両方」
――一時の方向に敵三体、三時の方向に敵一体、五時の方向に敵二体。
頭の中では何度も殺している。壊されずに取り残されてしまった対吸血鬼戦闘用オートマタは、脳内だけで吸血鬼を殲滅する。
マイヤーは笑顔で授業をこう締め括った。
「吸血鬼王ローゼンベルクの庇護を得たヘルヴァイツ共和国は、他の吸血鬼から侵略される脅威もなく、今世界で最も平和な国だと言われている。キミたちもそのことを誇りに思い、人類と吸血鬼の発展に貢献するように」
平和すぎるのだ、この国は。
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