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吸血鬼の平熱は二十五度だ。
外見的には人間と変わらない彼らも、体温を調べれば一発でわかる。
だから、対吸血鬼戦闘用オートマタの目には赤外線サーモグラフィがついている。体温で人間か吸血鬼かを判別し、後者だけを殺害するようプログラムされているのだ。
放課後、廊下の壁にもたれた水無月は、前を通る吸血鬼の生徒相手にひたすら戦闘シミュレーションを繰り返していた。
人間と吸血鬼が共存する未来など、誰が予測できただろうか。少なくとも水無月が春海に作られた十年前は考えられなかった。当時は《白檀式》だけではなく、様々な対吸血鬼戦闘用オートマタがあった。人類の敵である吸血鬼を倒すために誰もが躍起になっていた。
それが今では、戦闘用オートマタをすべて壊して吸血鬼と和平を結び、みんなで仲良くしましょうなどと言っている。
吸血鬼の抹殺という使命を取り上げられた水無月には、やることがない。空虚なのだ。毎日、ただカノンに起こされて意味もなく連れ歩かれるだけ。
もどかしい。自分はこんな平和を享受するために作られたのではないのに――。
ガチャ、とドアが開く音がした。教室から出てきたマイヤーが水無月を認め、朗らかに笑いかける。
「やあ、キミのお姫様を借りて悪かったね」
「従姉です」
にこりともせず訂正した水無月に、マイヤーが苦笑した。
周囲には、カノンと水無月は従姉弟ということにしている。それは、何かと事情を知るマイヤー相手でも例外ではない。
続いて教室から出てきたカノンに、マイヤーは大柄な身体を丸めて囁く。
「困ったことがありましたら遠慮なく頼ってください、ミス・ザンデルホルツ。そのために大公から命を受けた私がいるのですから」
「ありがとうございます、先生。でも、学校での後見人になっていただいただけで、わたしは十分です」
カノンの硬質な声音に、マイヤーは眉をハの字にした。
「ですが、あまり級友ともうまくいっていないご様子……」
「ご心配は無用です。わたしには水無月がいますので」
マイヤーのもの言いたげな視線が水無月を掠めた。
「……その件に関しては、大公も心配なさっていました。年頃の男女が二人きりで、一つ屋根の下に住むなどと……」
「今さら、そんなことの心配ですか?」
強い声にマイヤーが口を噤む。
白銀の少女は凜とした空気を纏い、マイヤーの目を真っ直ぐに見つめていた。
「母が虐殺の妃殿下って世間の非難を浴びたとき、母とわたしを即座に切り捨てた大公家が、何を心配することがあるんですか?」
ごく一部の人しか知らないが、カノンの母親は白檀春海である。
彼女の本名はカノン=ザンデルホルツではない。
ヘルヴァイツ大公の長男、故ヨハネス皇太子と春海の実娘がカノンだ。本来なら彼女は公女(プリンセス)と呼ばれ、宮殿で育つはずだった。
十五歳の少女らしからぬ気迫を受けて、マイヤーは目を伏せた。
「……とにかくお気を付けください。まだ世間から反感の強いドクター・ビャクダンの忘れ形見と知られれば、貴女は大勢の人に命を狙われることとなります。くれぐれも貴女の出自が洩れることがありませんように」
「ご忠告だけは頂戴しておきます」
冷淡に言ったカノンはマイヤーに背を向けた。水無月へ駆け寄る。
「話は終わった。帰ろう」
複雑な表情のマイヤーに見送られ、二人は廊下を歩く。
「さっきのマイヤー先生の呼び出しだけど、高校生オートマタコンテストに挑戦しないかって言われたの」
水無月が訊いてもいないのに、カノンは勝手に話し始めた。前からやってきた吸血鬼の生徒グループに油断なく気を配りつつ、水無月は首を傾げる。
「高校生オートマタコンテスト?」
「国が主催している、高校生チームだけが参加できるオートマタコンテストのこと。ヘルヴァイツ中の高校が各一体、オリジナルに製作したオートマタを出し、そのアイデアや独創性を競うの。たくさんの企業やマスコミが見に来て、優秀な作品には商品化のオファーがあったり、優勝したチームの生徒は名門大学へ特待生入学が約束されたり」
「メリットだらけというわけか。やればいいんじゃないか」
「簡単に言うけど、希望すればコンテストに出られるわけじゃない。コンテストに出せるオートマタは各校から一体だけ。高校の代表になるから、本選の前に校内での選考を勝ち抜く必要がある」
「出場したい生徒も多いだろうしな」
ヘルヴァイツにいる人間の学生は大概、オートマタ技師を目指している。
吸血鬼たちが世界各国で侵略を続けている現在、世界の人口は減少しつつある。その労働力不足からオートマタ産業は堅調に拡大を続け、技師は世界中で求められていた。
「うん。毎年、うちの学院では希望者が多いから、まずクラスの代表を決めて、そこから校内選考が行われるみたい。代表を選ぶ学級会が一か月後にあるから、コンテストに出るなら設計図を提出してほしいって」
「そうか。ま、せいぜいガンバレ」
「せっかくだけど、断った」
は? と水無月は隣を見た。表情の硬い少女の横顔からは真意が読み取れない。
「おまえのことだから、てっきりコンテスト出場を目指すものと思ったが」
「わたしだってコンテストには出たい。お母さんも高校生のとき出場した、歴史あるコンテストだし。でも、たぶん無理」
「無理? 何故だ?」
昇降口を出たところで水無月は窓の開く音を捉えた。ちら、と目線を上げて確認する。問題ない。
水無月は庇の下へ退避し、カノンの行く先を静観する。
「それは……」
バシャッと。言っている途中でカノンに大量の水が降り注いだ。
「まあ、手が滑ったわ! ごめんなさいねえ」
誠意の欠片もない、わざとらしい声も投げられる。
真上にある窓にはバケツを持つ複数の女子生徒がいた。全員、人間だ。その中には、授業中にカノンへ敵意を向けてきた縦ロール少女、ディンケルもいる。
「誰かと思ったら、波動歯車しか使わないミス・ザンデルホルツじゃない。ノートまで濡れちゃったかしら。でも、虐殺オートマタの設計図なんて捨てたほうがいいから、よかったわよね?」
カノンは応えない。長い髪や制服からポタポタと水滴を垂らし、沈黙する。
ディンケルは、ふん、と鼻を鳴らすと、窓をぴしゃりと閉じた。ボリュームのある縦ロールを翻し、取り巻きの女子と共に去っていく。
周囲の下校している生徒たちからクスクスと忍び笑いがした。
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