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 ヨーロッパ大陸の中央に位置するアルプス山脈に囲まれた小国、ヘルヴァイツはオートマタ産業で栄えている。
 ゼンマイ仕掛けの機械人形。それがオートマタだ。東洋では絡繰人形とも言われている。
 最初は楽器を自動演奏するオルゴールとして発明されたオートマタだが、開発が進むにつれ、それは多種多様な役割を果たすようになった。二十世紀も後半の現在では世界中で、人間に替わる労働力として欠かせないものとなっている。
 十八世紀から国を挙げてオートマタ研究を進めてきたヘルヴァイツは、今やオートマタ大国として国際的地位を確立していた。世界各国から技師を志す人々が集まり、国中にオートマタが溢れている。特にその首都イエッセルでは、人間より機械人形を見かけることが多いほどだ。
 カフェの店先には接客用オートマタ、ビルの建設現場には工事用オートマタ、公園や道端には清掃用オートマタ……。
 外見は人間そっくりに作られている機械人形だが、彼らが人間か否か判別するのは容易である。首筋を見ればよいのだ。
 オートマタは必ずそこに用途を示すマークが刻まれている。それは所有者認識チップの挿入口も兼ねていて、マークのないオートマタの製造、販売は現在のヘルヴァイツでは違法だ。
 だが、水無月の首筋にマークはなく、チップの挿入口は髪によって巧妙に隠されている。

   *

 朝食を済ませたカノンに伴われて水無月が家を出ると、郵便配達用オートマタの黄色いバイクがエンジンを吹かして横切っていった。紅葉した街路樹の下を抜けていく彼は、鮮やかな手際でポストへ郵便物を投げ込んでいく。
 イエッセルの郊外に住んでいる二人は、毎朝バスで通学している。最寄りのバス停へ行く途中にも、パン屋や花屋では店主と共に開店準備に勤しむオートマタが見えた。オープンカフェではいつものように「モーニングコーヒーはいかがですか?」と愛想よく声をかけてくる女性の接客用オートマタがいて、カノンは鼻をヒクつかせながら通り過ぎる。
「あっ、新しいパーツ屋ができてる」
 いきなりカノンが目の色を変えて駆け出した。向かった先、真新しいショーウィンドウにはオートマタの部品が展示されている。
「見て、水無月。このゼンマイ、エーデルライト九五〇だって。わっ、すごい値段! 何これ、こんな高いの!? こっちはエーデルライト八〇〇だけどゴールドが入ってるみたい」
 カノンは高級ゼンマイに興奮を抑えきれないようだ。水無月は嫌な場所に店ができたな、と乳白色のゼンマイをちらりと見た。
 ヘルヴァイツがオートマタ大国となった一番の要因は、十八世紀末にエーデルライト鉱石が発見されたためと言われている。
 白花石とも呼ばれるその鉱石は、ヘルヴァイツ領でのみ採掘される。
 オートマタの動力源であるゼンマイ。そこに、エーデルライト鉱石から精製される金属を使用することで、その稼働時間が飛躍的に伸びたのだ。ゼンマイのエーデルライト含有量によっては、一か月以上連続稼働するオートマタもある。
「歯車(ギア)も売っているみたい。遊星歯車(ギャラクシー・ギア)がいっぱい展示されてる。ギャラクシーって言われるだけあって、これだけが並んでると綺麗。じっと見てると、満天の星の中にいるみたいな気分に……あっ、あれ、波動歯車(ハーモニー・ギア)!? 今、ほとんどのお店で取り扱ってないのに! あれも売り物なの!? 水無月、帰りにここのお店……きゃっ!」
 ドン、と音がして、カノンが歩道に倒れ込む。
 ショーウィンドウに夢中になっていたカノンが、誰かの背中にぶつかったのだ。
「す、すみません。わたし、よそ見してて……」
 路上にぺたんと坐ったまま、カノンは謝罪する。しかし、相手は応えなかった。
 作業着の青年は、カノンを完全に無視して石畳を箒で掃き続けていた。街路樹の落ち葉を黙々と集めている。ぶつかられたことを気にする様子もない。
 彼の首筋には清掃用オートマタを示すマークが印されていた。
「……一応言っておくが、バスが来てるぞ」
 水無月がバス停を見て言う。「え」と呆けた声を出したカノンは、弾かれたように立ち上がった。
「いけない。水無月、乗るよ!」
 走り出したカノンに水無月も続く。けれど、小柄な少女の走る勢いはすぐに落ちて、水無月が彼女を追い抜いた。二人はなんとか発車直前のバスに着く。
「チケットを拝見します」
 バスの運転席にいるのは運転用オートマタだ。彼に求められるまま乗車チケットを提示し、水無月はバスのステップを上がる。
「チケットを拝見します」
 後ろのカノンにもオートマタは言う。しかし、
「あれ? どうしたんだろ。確か、ここに入れたはずなのに……」
 カノンはごそごそとカバンを漁っていた。教科書やノートが詰まった中身をかき回している。
「チケットを拝見します」
 いつまでもチケットを出さない少女に、オートマタはまったく同じ調子で同じ台詞を繰り返す。苛立った様子はなく、親切そうな微笑は一片たりとも崩さない。
 困惑したカノンは顔を上げた。
「水無月、わたし、昨日ちゃんとチケット、カバンに入れてた?」
 問われた水無月は記憶領域を検索する。
「昨日、午後五時五十三分、おまえは学校帰りのバスで乗車チケットを提示した後、それをカバンのポケットへ入れている」
「そうだよね。だったら、やっぱりカバンの中に……」
「だが、今から三分前、おまえが清掃用オートマタとぶつかった際、チケットはカバンから飛び出している」
「はあ!? 水無月、どうしてそんな大事なこと早く言わないの!」
「問題ない。おまえが拾っていないなら、チケットは歩道にあるだろう。既にさっきのオートマタに清掃されている可能性もあるが」
 唐突に水無月は腕を引っ張られた。カノンが頬を膨らませている。
「すぐにチケットを探すよ。……すみません、下ります!」
 強引にバスのステップを下りさせられたとき、運転用オートマタの穏やかな声が追いかけてきた。
「チケットを拝見します」

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