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プロローグ
「残念だけど、あなたをノイエンドルフ奪還作戦には投入できないわ」
戦場特有の重々しい緊張感に包まれた公国軍駐屯地。敷地内に設けられた研究所で、白檀春海(びゃくだんはるみ)はそう告げた。
糊の利いた白衣を纏う春海は、極東人らしい艶やかな黒髪が美しい女性だった。歳は三十路目前で、年相応の落ち着いた雰囲気を醸し出している。
春海はヘルヴァイツ公国軍に所属するオートマタ技師であり、また、ハルミ・ビャクダン・ヘルヴァイツの名を持つ元皇太子妃でもあった。
存亡の危機にあるこの国で多くの人々に慕われる春海だが、それは人間に限らず、彼女に製作されたオートマタたちもまた同じ気持ちだった。
「初投入に向けて張り切っていたのに、悪いと思っているわ」
心から申し訳なさそうに言った春海は、前へ座る少年の姿をしたオートマタに目を向ける。
印象的な深い藍色の瞳に見つめられ、少年は瞬きと共に口を開いた。
「白檀博士、いえ、母さん」
春海に作られた少年たちは普段、彼女を母と呼ぶ。公の場では博士と呼ぶよう言われているが、研究室で二人っきりなのだから「母さん」でいいと彼は判断した。
「それで、僕の初陣はいつになるんですか?」
見かけも仕草も話し方も、少年は人間とまったく見分けがつかない。
微笑んで返答を待つ少年から春海は目を逸らした。長い黒髪を揺らして席を立つ。
「……あなたは『不適合』と判断されたの」
――『不適合』?
聞き慣れない言葉に少年の表情が翳る。
春海は部屋の隅へと歩み寄った。そこに置かれている空の輸送用コンテナに目を落とす。
「あなたを戦場には出せない。これ以上、私があなたを研究することもない。そういうわけだから、このコンテナに入ってほしいの」
「待ってください、母さん! 戦場には出せないってどういうことですか!?」
少年は戦闘用オートマタだった。戦うことが使命であり、敵を屠ることが本能のようにプログラムされているのだった。
戦闘をするために作られたオートマタが戦場から退けられる。告げられた『不適合』と併せて、彼の優秀な人工頭脳が事態を把握するのはそう難しいことではなかった。
――自分は廃棄処分される。
焦燥がせり上がり、少年は思わず母へ詰め寄っていた。
「母さん、嫌だ」
「大丈夫よ。大きな戦いになるけれど、あなたがいなくても勝てるというシミュレーション結果が出ているわ」
「嫌だ。僕は戦えます! 兄さんや姉さんたちと同じように作戦を遂行できる自信があります! 戦場へ行かせてください。お願いします、僕を戦わせてください!」
母に捨てられたくない少年は懸命に言う。
しかし、母の口からは無情な命令が下された。
「オーダー、コンテナに入りなさい」
『強制命令(オーダー)』。それは、少年の所有者である春海のみが行使できる、命令コマンド。
プログラム上、その指示には決して逆らえない。
少年の意に反して彼の足は箱へと向かう。
その間にも少年は、この状況を回避できないか人工頭脳を必死に巡らせていた。
どうしてこうなったか、彼には身に覚えがあった。あの日以来なのだ。研究所に侵入者があったあの日、少年が彼らを撃退してから春海はすべての訓練を急遽中止した。そこで何か自分に重大な欠陥が見つかったに違いないのだ。
「ごめんなさい、母さん。僕のどこに問題があったんですか? 教えてください。いけないところはすべて直します。母さんの期待に応えられるよう、どんな努力でもします。だから、お願いだから僕を捨てないで……!」
コンテナの中で哀願する少年を春海は寂しそうに見下ろしていた。
「あなたはここにいるべきじゃないのよ。お別れだわ」
嫌だ。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
「母さん! 僕は……!」
堪らず少年は手を伸ばす。けれど、その手が届く前に春海は優しく終了命令を囁いた。
「おやすみなさい、水無月(ミナヅキ)。よい夢を」