一章 絡繰少年の空虚な日々
「おはよう、水無月。今日も素敵な日よ」
あどけない声につられて目蓋を開けると、間近に少女の顔があった。
透明感のある可憐な少女だ。長い白銀の髪が、カーテンから洩れる朝日に照らされキラキラと輝いている。双眸は引き込まれそうな深い藍色。どこか人形めいていると感じるのは、彼女の顔立ちが非常に整っているのと、表情が硬いせいだろう。
水無月のベッドに無遠慮に乗っている小柄な少女は、何かを期待するように大きな瞳でじーっと見つめてくる。水無月は仕方なく口を開いた。
「おはよう、カノン」
途端に少女の口が尖る。
「なんで毎朝、そんな怠そうなの」
「実際、怠いんだ。もう一度、眠らせてくれても構わないぞ」
「そんな二度寝みたいなこと、させない。本当は全然、眠くないくせに」
言いながら、カノンは水無月の上から退いた。制服のプリーツスカートの裾を直した彼女は、布団に包まったままの少年をちらりと見る。
「着替えたらキッチンに来て。朝食できてるから」
水無月の返事を待つことなく、カノンは部屋を出て行ってしまった。
一人になった水無月は身体を起こす。
いつもの自室だ。簡素なベッドに、旧型のテレビ、古びたクローゼット、無骨な机とイス。カノンの家で共に生活すると決まった際、どれ一ついらないと言う水無月に「絶対必要だから!」と彼女が強引に揃えたのだ。
まったく気乗りしないが、ベッドを出て制服に着替える。重い足取りでキッチンへ行くと、カノンは既にテーブルについていた。トーストに木苺ジャムを塗っている。
彼女の向かい側にはもう一枚、皿に載せられたトーストがあった。
察しはついたが、水無月は席には座らず視線を巡らせた。窓際に飾られた小さな写真に目を留める。
端が変色している写真には、荘厳な白い宮殿を背景に三人の人物が写っていた。幸せそうな笑みを浮かべた銀髪の男性と、その隣に寄り添う黒髪の美しい女性。そして、女性に抱かれた小さな赤ん坊――。
立ち尽くしている水無月に気付いて、カノンが言う。
「ほら、水無月も座って。早く食べないと学校に遅刻……」
「おまえに学習能力はないのか?」
呆れ返った少年の声に、カノンは言葉を詰まらせた。
「俺に食事は必要ないと言ったはずだ。おまえは俺の胸を開いてゼンマイを回しているくせに、俺を生き物だと思ってるのか?」
見た目こそ人間と区別がつかないが、水無月は絡繰人形とも言われるオートマタだ。
十六歳の極東人少年をイメージして水無月は作られた。身長一七〇センチ弱、色白で男としては華奢な体格をしている。顔はオートマタらしく整っていて、カッコいいというよりは可愛らしい部類に入るだろう。けれど、不貞腐れたような表情が元来の愛らしさを致命的に損なっている。
「食べることはできるはず。水無月に人工消化器官はあるし……」
「確かに飲食はできる。だが、それはあくまで人間になりすますための機能だ。機械は食事をしない。そんな固定概念を逆手に取り、敵を欺くために俺たちは食事をする。今わざわざ使う機能じゃない」
「そうかもしれないけど!」
「そんなに俺に食事をさせたければ、強制命令すればいいだろ。マスターのおまえには、俺の行動を強制する権限がある」
投げやりに言った水無月に、カノンの眉がわずかに寄った。
現在、水無月の所有者はカノンである。水無月の首筋に入っている所有者認識チップにはカノンの容姿や声紋といった情報が登録されていて、カノンが特定の言葉を言うことでのみ、水無月を起動命令、強制命令、終了命令できる。
「まさか強制命令の方法も忘れたのか? 『オーダー』とつけて命令するだけだろうが。おまえのままごと遊びに俺を付き合わせたければ……」
「もういいっ。水無月の分も食べちゃうっ」
水無月を遮り、カノンは手を伸ばす。向かいに置いてあったトーストを取り、自分のものに重ねた。ジャムサンドになったそれに勢いよくかぶりつく。
モグモグモグモグ……。
小動物みたいに小さな頬をパンで膨らませる少女を、水無月は棒立ちで見つめる。
不意にカノンがキッと水無月を睨んだ。
「食事中にじっと見られてると恥ずかしいんだけど」
「問題ない。おまえの口にジャムが付いているのを俺は過去に十回見ている。十一回目を見られたところで恥じることはない」
瞬時に口元を拭ったカノンが真っ赤になって、ドアを指さす。
「一緒に食べてくれないなら外で待ってて!」