「ああ、エリスさん。お疲れさま」
三日ぶりに帰ってきた働き者の従業員を温かな言葉で出迎えてくれたのは、受付窓口に座る黒髪の女性。受付嬢のアリスは私より二つ上、私にとってはお姉さんのような存在だ。
「あれ、誰もいないの。局長は?」
お昼の時間帯だというのに、お客さんどころか、ほかの従業員さえ姿が見えない。
「皆さん、ちょうど出払っているところですよ。ブラン局長は部屋で接客中ですけど」
「ふーん」
事務室の奥にある局長室のドアを一瞥し、私は机の上にぱんぱんに膨らんだ郵便鞄を置いた。さっさと引き継ぎ用の資料を書いて、今日は帰って寝よう。アリスが淹れてくれた冷たいお茶を一気に飲み干して一息をつくと、私は鞄を開いて収集してきた手紙の整理を始める。
「ええ、またぁ」
一通の封筒に、作業する手が一瞬止まる。
「どうしたんですか、エリスさん」
怪訝そうにアリスが顔を覗き込ませた。私が手紙の宛先を見せると、彼女は納得した様子で頷いた。
「ああ。また、オリンポスの郵便ポストですか。最近増えましたね。ほら、見てくださいよ」
にこにこ笑いながら、棚からビスケットの缶ケースを下ろした。蓋を開けると、そこに詰まっていたのは赤い紐で縛られた手紙の束だった。ざっと数えて、百通近くはありそうだった。
「これ、全部、ここ二年ほどに来たオリンポスのポスト宛ての手紙ですよ」
そのあまりの数の多さに、郵便業務に携わる者としてはため息をつきたくもなる。この全部が悪戯とは思わないけど、何だかもやもやとした気持ちにさせられる。
――オリンポス。
そう、それはこの星に生きる人間なら、誰でも知っている特別な土地の名だ。
標高二十一キロ。西の果てにあるという霊峰・オリンポス山。その山体のスケールは直径で六百二十四キロもある。標高で比べるのなら、その背丈は金星最大のマスクウェル山のほぼ倍、地球のエベレストが相手なら三倍近く。太陽系最大とも呼ばれる正真正銘の超巨大火山だ。
けれども、オリンポスの郵便ポストという住所は実際には存在しない。そもそも、その一帯にポストが設置されているという話は聞いたことがない。少なくとも、現在の火星郵政公社の集配コースには含まれていない。そもそも、あの辺りには街も村もない。かつては大きな街が麓にあったらしいけど、それも遥か昔の内戦を経て、今は廃墟しか残されていないはずだ。
宛先が存在しない手紙は所謂、宛先不明便となって、規則では最寄りの郵便局で二年間保管し、差出人が回収に来ない限りは保管期限終了後に破棄されることになっている。
見れば、宛先に書かれた文字はまちまちだ。子供が書いたような拙いものや、高齢の人が書いたと思わせる達筆な筆跡もある。その一文字一文字に想いが込められているのだろうが、それが宛先に届けられ、読まれることは永遠にない。ただ、この小さな郵便局でビスケットのアルミ缶の中に詰め込まれて、廃棄処分の日を待つだけなのだ。
「亡くなった人に手紙を届けてくれる郵便ポストですよね。すっごくロマンチック。しかも、そのポストはオリンポス山にあるっていうんですから。きっと、この星で一番、天国に近い場所だからなのでしょうね」
相変わらず、アリスはロマンチストだ。その点、リアリストの私とは違う。現実問題として、届きもしない手紙を多くの人が投函する。それが無為に廃棄されていることは、やはり郵便事業に関わる者として看過しがたい。そもそも、郵便ポストまで届けてほしいと、郵便ポストに投函するということがおかしいのだ。都市伝説だか何だか知らないが、ひどく迷惑な話だ。
「それに、今日。少し変わった配達依頼……いえ、依頼人がいらしたんですよ」
「変わった配達依頼? どういうこと?」
「ふふん。いま、局長が対応しているところだと思いますよ」
アリスは敢えて説明しようとはしてくれない。悪戯っぽく笑って、事務室の奥にある局長室の扉を指差す。首を捻る私の反応を楽しんでいるかのようだった。
「おお。ちょうどいいところに帰ってきてくれたね。エリス君」
ちょうどドアが開き、間からひょっこりと禿げ頭のおじさんが顔を出して手招きをした。この郵便局のボスで私の上司、ブラン局長だ。ほら、と言わんばかり、アリスがウインクする。
いつも局長室に入るときは緊張する。大概、この部屋に呼ばれる時はお小言を聞かされるか、厄介事を頼まれる時なのだ。今日は後者の方らしいことは、部屋に入って即座に察した。
大きな鉄の塊のようなものが、ドアの前で仁王立ちして私のことを見下ろしている。何だろう、この物体。はて、錆だらけになったロボットか何かに見えるけど……。
「局長。何ですか、このガラクタ。こんなもの室内に持ち込まないでくださいよ」
「ちょ、ちょっと。エリス君! お客(クライアント)さんに失礼だよ!」
えっ……私はもう一度、そのボロボロになったロボットの顔を見上げた。昔、持っていたゼンマイ式で動くブリキのロボットの玩具に似ているかも。頭部をすっぽりと覆うフルフェイスヘルメット。ゴーグルの奥に二つ点る緑色の光と目が合った。
「初めまして。長距離郵便配達員(ポストマン)さん」
ロボットらしからぬ凛々しい声が響く。錆びついたギアがぎこちなく駆動し、ずんぐりとした巨体がぺこりと私にお辞儀をした。
「うわ! 喋った! う、動いた、な、何これ、こ、このガラクタ!」
「だから! エリス君! 依頼主に失礼だってば」
「へ……依頼主?」
もう一度、私はそのロボットと目を合わせた。海坊主みたいな頭がこくりと頷いた。
酒樽を連想させるずんぐりとした寸胴のボディーラインから伸びた逞しくも、少し不格好な四肢。全身を覆う鋼鉄の装甲は赤錆塗れで、肩から掛けるマントも泥だらけでほとんど擦り切れていた。ロボットのホームレス、というのが私の第一印象だった。