2
◇ ◇ ◇
深雪が東京の自宅を出発したのは、冬休み二日目の朝だった。
「深雪、身体に気をつけて」
大型セダンの運転席から深雪に声を掛けたのは、彼女の父親、司波龍郎だ。彼は空港まで、わざわざ会社の車の運転席に座って娘を乗せてきたのである。
「くれぐれも無理はしないようにな」
「はい、お父様」
父親の神経質な言葉に内心うんざりしながら、深雪は神妙な顔で頷いてみせる。
もし出発時刻が決まっている航空会社の定期便を利用するのであれば、深雪は車を辞退しただろう。公共交通機関を使った方が空港に早く到着する。荷物は割増料金を払えば済むだけだ。積み下ろしは達也に任せれば良いから、龍郎は必要無い。
自家用機であっても空港の都合というものがあるので、何時でも好きな時間に離陸できるわけではない。だが間違いなく、定期便よりは融通が利く。少なくとも離陸予定時間に遅れたからといって、置き去りにされることはない。
だから、偶には父親らしいところを見せようとした龍郎による好意の押し付けを甘受したのだが、深雪はそれを後悔し始めていた。
「達也。深雪をしっかり見守っているんだぞ」
龍郎のターゲットが達也に移る。くどくどと言われるまでもない指図を受けた達也は、およそ感情というものが欠落した表情で「分かっている」とぶっきらぼうに答えた。
「達也、親に向かってその言い方は──」
「何か問題でも?」
龍郎のセリフを達也が冷たく遮る。
途端に、龍郎のちっぽけな怒りはしぼんでしまった。
四葉家の序列の中で、達也はまだ深雪の守護者でしかない。だがそれでも、本家に立ち入ることを許されない龍郎より立場は上になる。
達也は別に、父親を使って憂さ晴らしをしているのではない。親子の情を消し去られている達也は、龍郎に対して丁寧に接する必要性を覚えないだけだ。
「お父様、そろそろ出発の時間ですので……。お兄様、参りましょう」
深雪が割って入ったのは、息子を相手に怖じ気づいている父親への救済措置だった。
深雪にとって達也は既に至上の存在となっていたが、父親を敬う気持ちも残している。深雪が司波龍郎という人間に見切りをつけるのは、母親が死んだわずか半年後に、母が存命中から愛人関係にあった古葉小百合という女性を後妻として迎えた時である。
「そうだな」
既に荷物は車からカートに積み替えてある。達也は軽く頭を下げただけで龍郎に背を向けて、カートを押し始める。
「行って参ります」
深雪は淑女を目指す少女らしく、きちんと足を揃え手を重ねて父親に一礼する。
そして龍郎と別れを惜しむことなく、兄の背中を追い掛けた。