続・追憶編 ─ 凍てつく島 ─

7

◇ ◇ ◇

  二日目午前中、ゆきは中学校の宿題。
たつは収容所の工作室を借りて何やら作業していた。
  そして、昼食後。
  「ゆき、これを」
  練習に使うようがんげんを前に、たつゆきにその成果物を差し出した。
  「メガネタイプのARディスプレイですか……?」
ゆきの言うとおり、それは大きめのレンズに現実の風景と重なる映像を映し出す物だった。
  「そうだ。掛けてみてくれ」
たつの意図は分からないが、ゆきは指示に従ってそのメガネを掛けた。ARディスプレイだから当然だが、レンズに度は入っていない。フレームもリムレス(縁無し)で、掛けている最中はテンプル(ツル)につながる左右の端以外目立たないようになっている。
  右のモダン(耳に掛かるツルの先端)から伸びた細いコードの先にCPU、バッテリーその他諸々もろが納められた拡張現実AR映像ユニットがつながっている。ゆきはそれをジャケットの襟にめてたつに言われたとおりスイッチを入れた。
  風景に重ねられた映像は単純なものだった。地面から伸びる、赤いワイヤーフレームの立方体。それだけだ。視覚実感で、一辺十メートル。それが二十メートル先にそびえ立っている。
  「お兄様、これは一体?」
  「その立方体内部に照準を合わせてみてくれ」
  なる程、とゆきは思った。昨日もそうだが、ニブルヘイムがいかない理由は主に、発動対象の領域を明確に定められないことにある。こうして視覚化することで照準に慣れるというのは確かに有効かもしれない。
  一般に、仮想型端末は魔法師に悪影響を与えると言われている。AR端末はVR端末程有害視されていないが、決して歓迎されてはいない。
  しかしこのARメガネを使用することについて、ゆきためは無かった。
  兄が使えと言っているのだ。自分に害があるはずはない。
ゆきは無条件で、そう確信していた。
  広域冷却魔法ニブルヘイムの発動へ、ゆきは意識を向けた。
  ニブルヘイム。その意味は「霧の国」だ。
  連想により思い描かれる、赤い光の線で囲まれた空間に白い霧が充満するイメージ。
  行ける、とゆきは直感した。
  指が自然に、CADの上を躍る。
  肉体に重なる想子サイオン情報体に吸収された起動式は、ゆきが意識しなくても魔法演算領域に送り込まれる。
  霧のイメージを、ゆきは自分の魔法演算領域に流し込んだ。
  起動式を設計図として。
  霧のイメージを照準データとして。
  魔法演算領域で、魔法式が構築される。
ゆきの、意識と無意識のはざ。意識の最下層、無意識の最表層に存在するゲートから、魔法式が外の世界へと書き出される。
  指定した領域の、分子運動を減速し、分子振動を減速する。
  振動減速系広域冷却魔法ニブルヘイム。
  「成功だ」
たつの声が、ゆきの意識を現実へ引き戻した。
  ARメガネを外す動作は、半分以上無意識のものだった。
  空中に冷たい霧が漂っている。
  白く染まったようがんげんの一角はでこぼことした曲線で囲まれているように見えるが、真上からかんしたなら正確な正方形を描いているだろうと分かる。
たつのセリフの意味が、徐々に意識へ浸透していく。
ゆきの顔に、ようやく笑みが浮かんだ。

  二日目の成功率は約七十パーセント。ARメガネの助けを借りても、確実に成功させるには至らなかった。しかしこの成功率は、照準を正確に定めることまで含めて七割である。冷却の事象改変を引き起こすだけで五割前後だった一日目に比べれば、大きな進歩と言えた。
  「この調子でいけば、冬休みの間にニブルヘイムをマスターできるだろう」
たつのセリフは、無責任な気休めではない。
  「ありがとうございます。明日も頑張ります」
ゆきも兄が単なる慰めを口にしたとは思っていない。だが、しっかりとした手応えを感じていないのも事実だった。
  何かが足りない気がする。そんな不安が、ゆきの心に巣くっていた。
  その不安は、一週間後に思わぬ形で現実のものとなった。

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