続・追憶編 ─ 凍てつく島 ─

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◇ ◇ ◇

ゆきたつを乗せた小型機が着陸したのは東京から約百九十キロ、やけじま東海上約五十キロに位置する『やきしま』という名の小島だった。
  この島は二〇〇一年、年の海底火山活動によって形成された。『やきしま』という名前は、隣に位置する三宅島み やけ じまの名前の由来の一つと言われている『やけじま』の「御」を、誕生した年の干支え と」に置き換えて命名されたものだ。二十一世紀最初の年にできたことから『二十一世紀新島』とも呼ばれている。
溶岩原ようがんげんからなる島の面積はおよそ七平方キロ。二十年世界群発戦争時には国防軍の基地が置かれたこともあるが、二〇五〇年代の度重なる噴火で基地は放棄され、現在は島の西端に犯罪魔法師を収監する施設が置かれている。
ゆきの練習場にここが選ばれたのは、この島が丸ごとよつ家の私有地だからだ。魔法師監獄の管理に責任を負っているのは警察ではなく国防軍だが、実際の運営はよつ家がダミー会社を通じて受託している。なおこのことは十師族じゅっしぞくの間にも知られていない。
  この監獄が国防軍の管轄となっているのは魔法師が兵器として扱われていた時代の名残だが、収容されている魔法師に外国の工作員が多く含まれているという事情もある。そうした非合法工作員は、法の保護の外にいる、存在しないはずの犯罪者だ。何時い つ処刑されるか分からない。消されても、文句を言う者はいない。故に彼らは、決して大人しく閉じ込められてはいない。常に逃げ出すすきうかがっている。
  この島に送り込まれる魔法師は、海という障壁で民間人の住む居住地から隔離しなければならないつわものばかりだ。そんな彼らの脱走を阻止し、抵抗する者を鎮圧する為には看守の方もすごうででなければならない。国防軍がこの仕事を委託する先として、よつ家は打って付けの存在だった。
よつ家の側でも、脱走しようとする犯罪魔法師への対処は貴重な実戦の場となっている。
  世界情勢はまだまだ安定には程遠い。日本も他人事ひとごとではない。わずか数ヶ月前には、おきなわが戦場になった。
  とはいえ、日本周辺で常に戦闘状態が継続しているわけでもない。お互いの・・・・生死を問わない魔法戦闘の経験を積む機会など、めっにあるものではない。やきしまはその貴重な舞台だ。
  「お兄様」
  空港のロビーで迎えを待つゆきが、隣に座るたつに声を掛ける。
  その口調が少しぎこちないのは、まだ照れ臭さが残っているからだ。
ゆきたつのことを「お兄様」と呼び始めたのはまだ四ヶ月と少し前のこと。それまではきょうだいとしての会話すら無い状態だった。
  八月におきなわが外国勢力の侵攻を受けたあの日、ゆきたつはようやく本当のきょうだいになった。あの日から、ゆきたつを兄として心から敬い、慕っている。だがそれまでに家族として過ごした時間が無い所為せいで、「頼たより甲のある兄」としてだけでなく「素敵な異性」としても、たつのことを見てしまうのだ。
  きっと、一時的なものだろう。
ゆきは自分の感情を、そう分析している。
  自分は血を分けた兄に異性を感じるような、アブノーマルな人間ではないとゆきは思っている。この戸惑いは一時的なもので、きょうだいとして共にある時間を積み重ねていけば、肉親の情、きょうだい愛に自然と統合されていくに違いない。
  それまでは気恥ずかしさを覚えるのも仕方が無い。わたしとお兄様の関係は、まだまだ始まったばかりなのだから……。ゆきはそう考えて、自分を納得させていた。
  「何だい、ゆき
  しかしゆきに応えるたつの声は、すごく自然で、優しい。しかったかつての他人口調が嘘のように、愛情に満ちている。それがまたゆきを惑わせるのだが、いちいち恥ずかしがっていては会話が成り立たない。ゆきは揺れ動く心を何とか鎮めて、質問の続きを絞り出した。
  「その……お兄様はこの島にいらっしゃったことがおありなのですよね?」
  「そうだね。これが三度目だ」
たつは何でもないことのように答えたが、あいにくとゆきたつがこの島で何をさせられていたのか知っていた。詳細は聞かされていないが、概要は分かっている。
  この島は犯罪魔法師の監獄で、脱走者の対応はよつ家から派遣された係員に任せられている。ここではある種の治外法権が成立していた。
たつはこの島で、殺人の訓練を受けたのだ。
  人を殺す技術はよつの本拠地にある施設で─ただし本家敷地内ではない──仕込まれている。ここでたつに課せられた訓練は、殺人に対する禁忌を取り除くことを主眼としていた。
  人を傷つけ、人を殺す。
  それを躊躇ためらっていては、護衛対象を危険にさら結果になってしまう場合がある。
  魔法は手足が動かなくても使える。目が見えなくても、耳が聞こえなくても、五感の全てを潰され、指一本動かせない状態にされても、人の命を奪うことのできる魔法がある。
  殺さなければ止まらない暗殺者を前にして、殺すことをちゅうちょしていては守護者ガーディアン失格だ。
よつ家は守護者ガーディアンを、そういうものとして位置づけていた。
  だが幸い、たつは「強い感情」を奪われた副作用で殺人を禁忌と感じていなかったので、その訓練は二回で卒業した。その際に「処分」した魔法師は延べ七人に上るが、今年、二〇九二年の夏に彼が上げた戦果に比べれば大した数ではない。
  とはいえ、世間一般の基準に当てはめれば十分に大量殺人だ。それだけの命を奪って平然としているのは人間としてゆがでいると言わざるを得ない。たつも、それを命じたよつ家も。
たつには自分がゆがんでいるという自覚がある。妹が殺人に忌避感をいだいているのは知っているし、そういう普通の感覚を無くして欲しくないとも思っている。
  「だがゆきの参考にはならないと思う。俺の時とは課題が違うからな」
  これは、その思いが形になったセリフだった。
  今回、ゆきに与えられた課題は広域冷却魔法ニブルヘイムの修得。この魔法は人をターゲットにするものではなく、広い領域を丸ごと込むものだ。たつの時のように、囚人をわざと脱獄させて彼らを狩りの獲物にする必要は無い。人を殺す必要は無いのだ。
  「そうですね……。ですが、この島について知っておくべきことがあれば、ゆきに教えてください」
ゆきが表情を曇らせたのは、たつが殺人を強いられていたことに哀しみを覚えたからだ。彼女はまだ、たつが人殺しを忌避しないということを知らなかった。だから、脱走した囚人の処分を命じられて兄が悩み苦しんだと思い込んでいた。その嘆きに同情し、哀しんだのだった。
たつが間接的な表現で「人殺しをしなくてもいい」と言ってくれたのは、彼自身がそれに苦しんだからだとゆきは解釈した。彼女は兄の心遣いを無駄にしないよう、頑張って笑みを浮かべた。

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