13
巳焼島の東海岸で発生した溶岩噴出による安全上の影響は無いと確認され、収容所の囚人が監獄に戻された夜。
島の南、海上空港の反対側の海上に、小さな救命ボートが浮かんでいた。
ゴムボートではなく、樹脂製の組み立てボートだ。
いずれにせよ、太平洋を渡れるような代物ではない。
避難の際に、漂流してしまったのだろうか。
それにしては、救援を求める無線発信も無ければ照明信号も見られない。
救命ボートには、男が二人。いずれも日本人ではない。
そして二人とも、魔法師だった。
「そろそろ合流地点じゃないか?」
「無線は使うなよ。ここまで上手くいっているのが台無しになる」
二人が話している言葉は広東語だ。どうやら彼らは、捕らえられた大亜連合の魔法工作員のようだった。
「何時までもあんな所に捕まっていてたまるものか」
「我々がマスコミに収容所の実態を伝えれば、日本はたちまち捕虜虐待で世界中から非難の的だ」
ざまあ見ろ、という表情で、二人が顔を見合わせて笑う。
救命ボートが、海中から突き上げる大きな波に揺れた。
来たぞ、と二人の男が、どちらからともなく口にする。
二人のすぐ側に、小型潜水艇が浮上した。
男たちの目が、揃って潜水艇へ向く。
「潜水艇で脱走か。ありふれた手だ」
その言葉は日本語だった。
その声は浮上した潜水艇の逆方向、男たちの背後から聞こえた。
潜水艇の周りに細かな気泡が生じる。バラストに注水して再び潜り始めたのだ。
救命ボートの男たちが置き去りを抗議する時間は無かった。
その必要が無かった。
潜水艇の上部ハッチが、いきなり開いた。というより、外れ飛んだ。
この状態で潜れば、艇内に浸水して海の藻屑だ。当然、潜水艇は潜航を中止した。
「さて。張と林だったな。脱走は重罪だ。このまま射殺しても良いんだが、大人しく牢屋に戻るか?」
二人は海の上から掛けられた声に、振り返らずそのままゆっくり立ち上がった。
不安定な救命ボートが揺れる。
その揺れによろめく振りをして、二人は同時に、海に飛び込んだ。
否、飛び込もうとした。
男たちの身体がボートから海へ落ちる。
海面へ接触する寸前、男たちの身体は輪郭を失い、波の泡に溶けるが如く消え失せた。
潜水艇が浮上したまま前進を始める。
突如見せられた人体消失現象に、パニックを起こしたのだろう。
彼らが恐怖を覚えたのは、人間として正しい反応だった。
それはまさしく、彼らの未来だったのだから。
潜水艇の外殻が突如接合線から分解した。
外殻だけではない。艇そのものが、一瞬でばらばらに分解した。
波間に人影が浮かび上がる。
潜水艇の破片に運良く巻き込まれず、海上に脱出できた乗組員だ。
あいにく彼らの幸運も、ここまでだったが。
波間に浮かんだ人影は、すぐに救命ボートの囚人と同じ運命をたどった。
元素レベルに分解されて、死体も残さず消え失せた。
海上に残されたのは、転覆した救命ボート。
そして、波の上に立つ二つの人影のみ。
「脱走者処分へのご協力、感謝する」
男たちの背後に立っていた、柳中尉が声を掛ける。
「全員、消してしまって良かったのですか?」
ボートと、沈んだ潜水艇と、闇を挟んで反対側に立つ人影が、達也の声で答えを返す。
そこに達也が立っているのか、それとも声だけが届いているのか、柳の技量を持ってしても判別が付かない。
「処分する方が後の面倒がなくて良い。死体が残らないのは、尚更望ましいな」
柳は苦笑を抑えて闇に向かい答えを返した。
自分が向かい合っている相手がわずか十三歳とは、四葉家の関係者と知らなければ信じられないところだ。
「──君の方こそ良かったのかね?」
「何がでしょうか」
柳の質問は、肝腎な部分が省略されている。
達也がそう問い返してくるのは、当然だった。
「いや……何でもない」
柳はそれを、はっきりと言葉にしなかった。
──こんなに何人も殺して、君は平気なのか?
柳が、十三歳の少年に訊ねたかったことだ。
彼は結局、それを訊けなかった。
柳は、その問いを口にする資格が自分に無いことを弁えていた。
西暦二〇九三年、国防陸軍第一〇一旅団独立魔装大隊は、柳連中尉を新たな幹部メンバーとして迎え入れた。
柳中尉は着任と同時に大尉へ昇進した。
わずかに遅れて、大黒竜也という名の特務士官が特尉として独立魔装大隊に入隊した。
彼の入隊に当たっては、大隊隊長の風間少佐と、柳大尉の強い推薦があったと伝えられている。
(完)