続・追憶編 ─ 凍てつく島 ─

10

◇ ◇ ◇

  二人が宿舎の表に出たのは、警報が鳴った五分後だった。
ゆきのCADに、地下のマグマに干渉する魔法の起動式は入っていない。他の冷却魔法で代用できないこともないが、先程思いついた反動の可能性を考慮すると、汎用的な術式を安易に使うのは避けるべきだとたつは考えた。
  本来ならば変数を最小限に抑えた起動式をエディターで一から作成し、CADに追加インストールして臨むべき実験だ。しかし今は、時間が無い。噴火まで最短で一時間という猶予は、たつにとっても短すぎるものだ。起動式を書き上げる時間はあっても、それを組み込んだCADが安全に動作するかどうかをテストする時間が無い。
  魔法師はCADから出力される想子サイオン情報体に対して無防備だ。起動式に有害なコードが含まれていても、それを無抵抗に魔法演算領域へ、心の奥底へ呼び込んでしまう。たとえ起動式の作者に悪意が無くても、ちょっとした記述ミスが魔法師の正気を失わせることだってある。
  無論たつには、ゆきに対する悪意など一切無い。逆にゆきを害そうとするものがあれば、それが故意でなくても、それが自分自身であっても、全力で排除しようとするだろう。だからこそ、改良ではなく新規作成した起動式を安全テストもせずに、ゆきに使わせる選択肢は無かった。
  汎用的な術式は使えない。
  新規に作成した起動式はCADでテストしている時間が無い。
  ここでたつが選んだ選択肢は──。
  「ゆき、手を」
たつが自分の右手を、向かい合わせに立つゆきの前に掲げる。
  「……はい?」
  「手を出してくれ」
  深雪の瞳を正面からのぞき込みながら、自分と同じように手を上げることを妹に求める。
ゆきが怖ず怖ずと、左手を肩の高さまで上げた。
  「あっ……!」
たつは自分の右手をゆきの左手に重ね、指と指をからめた
ゆきの口から、小さな吐息が恥ずかしげに漏れる。
  「ゆき
  「……はい」
たつまなを受け止めかねて、ゆきが目を伏せる。
  「今から、お前の想子サイオンを使って起動式を作る」
  しかしこの思いも寄らないセリフには、顔を上げずにいられなかった。
  何を言われたのか理解できず、その意味を問うことも思いつかず、ゆきは自分に真っ向けられたたつの目を見返す。
  声も無く自分を見詰めるゆきの瞳を受け止めて、たつは迷い無く、惑い無く、言葉を続けた。
  「その起動式を使って、地下のマグマを抑え込む魔法を組み上げてくれ」
  ここでたつが選んだ選択肢は、自分がCADの代わりを務めることだった。
  『分解』と『再成』。この二つの魔法が魔法演算領域を占有している為、たつは他の魔法を使えない。他の構造を持つ魔法式を組み立てられない。
  この欠陥を克服する為、彼の母親と叔母おばたつの精神に人工魔法演算領域を植え付けた。ただ一種類を除く「強い感情」の全てを代償にして。
  残念ながら人工魔法演算領域の性能は平均的な魔法師の魔法演算領域にも劣っている。スピードはともかく、事象干渉力が決定的に低い。結果的にたつは「分解と再成以外の魔法は使えない魔法師」から「分解と再成以外の魔法は三流の魔法師」にクラスチェンジしただけだった。
  ただ、人工魔法演算領域は意識領域内に組み込まれている為、無意識領域にある魔法演算領域には無い特徴を持っている。それは、意識的に・・・・起動式を読み解き、意識的・・・・に起動式や魔法式を組み立てることができるという性質だ。
  この性質を発展させることで彼は、魔法式を丸ごと記憶して、それを直接魔法発動に用いる『フラッシュ・キャスト』を身につけた。フラッシュ・キャストはたつだけの技術ではないが、通常のそれが記憶した起動式を魔法演算領域に送り込むことにより、CADを操作するプロセスを省略するものであるのに対して、たつのフラッシュ・キャストは起動式から魔法式を組み立てるプロセスをも省き、より高速な魔法発動を可能にしている。
  しかし今の状況で必要なのは、人工魔法演算領域を使って意識的に起動式を組み立てる技能だ。よつ家におけるたつの評価は「強力な異能者だが魔法師としては三流」。よつの魔法師としては・・・・・・・失格のらくいんを押されているが、よつ家で魔法の訓練を受けてこなかったわけではない。本家の者としての待遇の代わりに与えられたガーディアンの役目にも、魔法の技能、魔法に対抗する技能が必要だ。通常の四系統八種の魔法が使えないのであればその代わりにと、たつは無系統魔法の技術を徹底的にたた込まれている。
想子サイオン情報体を認識する先天的な「眼」と、幼い頃から積み重ねてきた、無系統魔法の厳しい修練。その二つが組み合わさった結果、想子サイオンを直接操作する技術に限って言うなら、たつの技量は十三歳にして既に、達人のレベルに達していた。
  通常は、他人の想子サイオンで起動式を構築するなど不可能だ。だがたつが身につけた想子サイオン操作技術と、たつゆきの特殊な結びつきによって、二人の間ではその不可能であるはずのことが可能になっている。試したことは無いが、それが可能だとたつ知っていた・・・・・
ゆきも、そんなことができるのか、とはなかった。
  「はい」
  彼女は少しほおを赤らめ、目を潤ませた顔で、一言うなずいただけだった。
  それでたつも、最終的な決断に至る。
  必要な起動式のひながたは、部屋からここまで歩いてくる間に完成していた。
  つないだ手から吸い上げた余剰想子サイオンで、ひながたどおりの起動式を作成する。
  それは一切の変数を必要としない、魔法師の意識的操作を不要とした起動式だった。事象改変の対象となるマグマのデータも、エレメンタル・サイトで収集して起動式に組み入れてある。どのように事象を書き換えるのかだけでなく、ターゲットの座標も、必要な事象干渉力も、必要な要素は全て記述されている。
  噴火を阻止する為に必要な、残されたファクターは記述された魔法を実際に行使する魔法師のみ。それだけが、たつには担えない役割だ。
  「では、起動式を流すぞ」
  「……はい」
  今度は、答えが返ってくるまでに一瞬以上の間があった。機械CADが作成した起動式を読み込むのには慣れていても、他人が作った起動式を受けれるのは初めてのことだ。
  男も女も、大人も子供も、未知の体験には恐れをいだ。特に、な少女にとっては、己の中に他人が作り出したものを受けれるという行為が何かとても恐ろしく思えてしまうのは当然であり、その恐れはあってしかべきだとさえ言えるのではないだろうか。
  しかし中学生になったばかりの少年にとって、それは理解しがた恐怖だ。たつもまた例外ではない。妹がおびえているということは分かってもそこに特別な意味をいだには至らず、時間に余裕が無いこともあって、待った無しで起動式をゆきの中へ流し込んだ。
  「んっ……!」
ゆきかすかに眉をひそた。
たつの心をろうばいが襲う。
  「ゆきつらのか?」
たつゆき想子サイオンだけで起動式を組み上げたつもりだった。自分の想子サイオンが混ざらないよう、細心の注意を払ったつもりだった。しかし、ゆきが不快感を覚えているなら、それは──。
  「いえ、少し驚いただけです」
  だからゆきの答えに、たつは珍しく素直に・・・表情を緩めた。
  「これは!?」
  しかし次の瞬間、ゆきが上げた声に、たつは再び緊張に襲われる。
  「分かります……いえ、これは……見えています!」
  だがそれは、失敗のサインではなく、成功のあかだった。
  「お兄様、見えます! お兄様がご覧になったものが、見えています!」
たつゆきが何を言っているのか、すぐに理解した。そして心から感心した。
  魔法師は魔法発動の対象を、イメージにして魔法演算領域に送り込む。それが魔法の照準になる。
たつは魔法発動の照準データを起動式に組み込んで、ゆきの中に送り込んだ。ゆきはそれを、魔法演算領域で処理する過程でイメージに還元したのだ。
  魔法師にとってはブラックボックスであるはずの、魔法演算領域で行われている処理。それをゆきは、断片的なイメージとしてではあれ認識したということだ。そのことが何を意味するのか、今のたつには分からない。だがそれは間違いなく、卓越した才能を表しているのだろうと彼は思った。
  一方でゆきも、感動を覚えていた。いや、心を震わせている程度は、彼女の方がたつよりもはるに激しかったに違いない。
ゆきは心の中で展開されたイメージに、圧倒されていた。
  地下深くにうごめマグマ。その色、その熱、その広がり。押し退られた焼け土と、抑え込む岩盤。それが一瞬の静止画ではなく、無数の瞬間の映像として重なり合い、同時に存在している。その重層的なイメージは、ゆきが今まで目にしたことのないものだ。
  「これがお兄様のご覧になっている『世界』……」
  魂を抜き取られたかのように、ゆきぼうぜんつぶや
  だが彼女はすぐに、緊張感を取り戻した。
  起動式の読み込みにより自動的に活動を開始した魔法演算領域のフィードバックが、彼女に我を取り戻させた。
  魔法式が組み上がり、必要な事象干渉力が自分の中から吸い出されるのをゆきは感じた。まだこの段階では、自分の外に魔法の力は放たれていない。だから自分から吸い出されるというのは錯覚だ。意識が、無意識への力の流れを誤って解釈しているものだ。
  だがこの誤解が、本来意識することのできない魔法演算領域の活動をゆきに知らせた。
  魔法式の準備は整っている。
  照準も、事象干渉力のそうてんも全て完了している。
  後は魔法を放つだけだ。
  自動的に魔法が組み上がっても、魔法師がトリガーを引くまで魔法は発動しない。
  強制によるものであろうと、自由意思によるものであろうと、魔法を放つのは魔法師自身だ。
  「行きます!」
たつが設計したとおりの魔法が、ゆきの決断によって地底に放たれた。
  岩盤を押し割ろうとしていた溶岩の最上層部が一瞬で冷却されて、新たな岩盤に変わる。
  失われたマグマの熱の代わりに、東側の火口を中心として地盤に圧力が加わる。
  押し出されようとしていたマグマが急冷却して固体化したことによる体積の減少は、上から加えられた圧力に押し潰されたが、減圧が解消するまでのタイムラグに発生した火山ガスは出口を求めて島の東側へと抜けた。
  噴火が起こらないように上から押さえつけているゆきの魔法が及んでいない、やきしまの東端に新たな溶岩の通り道ができる。
  噴火の圧力は、収容所に被害を及ぼさない島の東海岸で解放された。
  溶岩の熱で蒸発する海水が白い壁となって、西にしだけの低いりょうせんの向こうに立ち上っているのが見える。
  「ゆき、お疲れ様。中へ戻ろう」
  「はい、お兄様」
  宿舎と収容所から慌ただしく出てくる軍人の流れに逆らって、二人は宿舎の中に戻った。

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